イエスの誕生(パート1)
The Birth of Jesus—Part 1
December 6, 2021
ピーター・アムステルダム
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イエスの生涯は、マタイとルカの福音書で告げられている、イエスの誕生物語で始まります。旧約聖書はイエスの到来を予告し、神が約束した救い主メシアについて、具体的な情報を明かしていました。メシアがベツレヘムで生まれること、[1] ユダ族の出であって、[2] ダビデの位の継承者となり、[3] その位は限りなく続くことであり、[4] 他にもその生涯と死について数多くの予言がなされています。福音書には、イエスの生涯、死、よみがえり、また、それがこの世界にもたらした救いに関する旧約聖書の予言の成就が描かれています。
マタイはまず、イエスが約束されたメシアに必要とされる家系の条件を満たしていることを示すために、簡潔な系図から始めています。それはユダヤ人の父であるアブラハムから始まって、族長が含まれ、イエスがユダヤ人であることが強調されています。また、ダビデをダビデ王と呼ぶことで、ダビデの血を引いているイエスには王家の血が流れており、「ユダヤ人の王」と呼ばれるにふさわしい正当性があることを指摘しています。[5] この後も子孫の系図がしばらく続いて、イエスの母マリヤの夫であるヨセフの所で終わります。
ルカもまた、自身の福音書に系図を含めました。ただし、マタイがしたように単にアブラハムまでさかのぼるのではなく、最初の人アダムに、さらには神ご自身にまでさかのぼったのです。ルカの系図は、マタイのようにイエスの誕生の物語の前に来るのではなく、イエスが洗礼を受けた箇所のすぐ後に来ます。[6]
イエスの誕生について書いた時、マタイとルカはそれぞれ異なる側面や異なる出来事を取り上げましたが、その一方で、二人が扱った領域や重要点はほとんど同じでした。マタイはヨセフとその役割に焦点を当てて語る一方で、ルカの記述はマリヤの役割に焦点が当てられ、マリヤの観点から物語を語っています。
マタイの記述から、私たちは、ヨセフが「正しい人」であることがわかります。つまり、ヨセフは神の律法を順守するユダヤ人だったということです。ヨセフはマリヤという若い女性と婚約しており、彼女は「まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重に」なりました。[7] 「婚約」というのは、一世紀のパレスチナにおいて、婚姻に先立って設けられた婚約段階のことです。ヨセフとの婚約中、マリヤは妻であると見なされていましたが、単に結婚の過程の最初の段階を経ただけで、まだ同居を始めていませんでした。それなのに、二番目の段階に行く前に、マリヤは妊娠したのです。
マタイは、マリヤの妊娠が聖霊によるものであると告げていますが、その出来事の詳細については一切書かれていません。その一方で、ルカはもっと詳しく説明しており、御使いガブリエルがつかわされて、「ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった」と述べています。[8] ガブリエルはマリヤに、彼女は神から恵みをいただいており、また「あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」と告げました。[9]
マリヤはなぜそのようなことがあるのかと尋ねました。彼女は処女だったからです。すると、御使いはこう答えました。「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。」[10] おそらくまだローティーンであったろうマリヤは、自分はまだ婚約しただけで、将来の夫と性的関係を持っていないのに、なぜ子を生むことができるのかという、当然の質問をしました。御使いはそれに対して、妊娠は聖霊が彼女をおおうことによるのであると答えたわけです。
この受胎は、歴史上、他に類を見ないものでした。マリヤは神の創造のわざによって妊娠したのです。この創造のわざが一体どのように行われのかは告げられていません。それは、神がいかにして世界を創造されたかについて、神がそう語られ、そうなったという以外には何も詳細を告げられていないのと同様です。
マリヤはそれに同意して、言いました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように。」 [11] フルトン・シーンは、この状況を、次のような美しい表現で説明しました。
「受胎告知と言われるものは、実際には、神が人間の一員となるのを助けてくれるように、被造物の、自由意志による同意を求めていることなのです。…それゆえに、神がされたこととは、人間を代表する一人の女性に、自由意志によって人間の性質を神に与えるよう求めるということでした。神がその性質を備えた新しい人をお造りになれるように。アダムには古い人性(人間の持っている自然の性質)があったように、キリストには、新しい人性があります。そしてキリストとは、自由意志によって選択を下した一人の人間の母親を通して人となられた神なのです。」[12]
御使いはマリヤに、これらのことは本当であるというしるしを与えました。年老いたエリサベツという親戚もまた、男の子を身ごもっていると告げたのです。ルカは、「マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き」 、エリサベツに会いに行ったと書いています。エリサベツはもう子を産めない年になっていましたが、奇跡によって男の子を妊娠していました。[13] およそ3ヶ月間エリサベツの所に滞在した後、マリヤは妊娠3ヶ月でナザレの町の実家に戻ります。
マリヤが町に戻ると、当然と言える問題に直面します。彼女は妊娠しており、ヨセフは自分が父親ではないと知っているのです。マタイは、マリヤが妊娠前にヨセフと一緒になっていなかったことを明確に書いています。「まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった」と。[14] マリヤが妊娠しており、その子どもが自分のものではないと知って、ヨセフがどれほど傷付き、苦しみ、悲しみ、裏切られたと感じ、怒りながら、「このことを思いめぐらし」ていたかは、ただ想像するのみです。[15]
将来の花嫁であるマリヤは、ヨセフの考えからすれば姦淫を犯していました。モーセの律法によれば、マリヤは石打による死刑にもなりかねません。[16] しかしヨセフは、「彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心」しました。[17] いくつの翻訳聖書では、「内密に去らせる」などと訳されています。
さて、離縁を完全にひそかに行うことはできません。離婚書類や証明書は、二人の証人の立ち会いの下、夫から妻に渡さなければならなかったのです。ヨセフがどのような理由をつけて離婚するにせよ、皆、本当の理由は姦淫であろうと判断するでしょう。マタイが、「ヨセフはひそかに離縁しようと決心した」と言ったのは、ヨセフがマリヤを姦淫のかどで公けに非難しないことにしたという意味だったのかもしれません。神のおきてを守る正しい人ヨセフにとっては、マリヤと離縁するのが正しいことでした。ヨセフは憐れみ深くなろうとし、姦淫を理由にするつもりはありませんでしたが、それでも、おきてに従って離縁することにしたのです。
次にこのように書かれています。「主の使が夢に現れて言った、『ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである。』 ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。」[18]
夢でヨセフに与えられたメッセージは、離縁するという考えや、マリヤと結婚すればモーセの律法に反することになるのではないかという懸念に、終止符を打ちました。御使いは、子どもは聖霊によるのであるから、ヨセフは、マリヤと結婚すれば神のおきてを破ることになるのではないかと心配する必要はない、なぜなら、姦淫は行われていないから、と告げたのです。ヨセフはそれを理解し、言われた通りにしました。
次にヨセフは、マリヤを妻として家に迎えることで結婚の第二段階を果たし、それによって、マリヤと産まれてくる子どもへの責任を負うようにしたのです。子どもが生まれると、ヨセフは御使いに言われた通り、その子をイエスと名付けました。子どもに命名することで、ヨセフは妻の子どもを自分との間の嫡出子であると認めたことになり、そうして法的にイエスの父親となりました。
ナザレではおそらく、マリヤがヨセフと暮らすようになる前に、イエスを妊娠したと知られていたはずです。なぜなら、子どもはマリヤがヨセフのところに引っ越してから9ヶ月たたずに、ずっと早い時期に生まれただろうからです。ナザレの村人たちがマリヤとイエスに対してどのような態度を取ったのかは、書かれていませんが、おそらく、イエスの生涯の後の方になって、何人かのユダヤ人が「わたしたちは、不品行の結果うまれた者ではない。わたしたちにはひとりの父がある。それは神である」と言ってイエスをあざけった場面で、それをかいま見ることができるのではないでしょうか。[19]
マタイとルカの福音書は、マリヤが他の人間の手を要するのではなく聖霊のわざによって受胎したことを語っています。マリヤとヨセフは二人とも、信仰の選択をしなければなりませんでした。マリヤにとっては、御使いが告げたことを信じ、神のひとり子メシアの母になるという任務を受け入れるという選択です。ヨセフにとっては、御使いが夢で、その子どもは聖霊によるのであり、これは神のみわざであると語った言葉を信じるという選択でした。マリヤとヨセフは二人とも、彼らのした決断によって、神への愛と信頼を表しました。彼らは信仰の人たちであり、確かに、イエスを育てるのにふさわしい人たちだったのです。
初版は2014年12月 2021年12月に改訂・再版
朗読:ジョン・ローレンス
1 ミカ 5:2.
2 創世記 49:10.
3 サムエル下 7:12–13.
4 ダニエル 2:44.
5 Leon Morris,The Gospel According to Matthew (Grand Rapids: William B. Eerdmans’ Publishing Company, 1992), 24.
6 ルカ 3:22.
7 マタイ 1:18.
8 ルカ 1:27.
9 ルカ 1:31–33.
10 ルカ 1:35.
11 ルカ 1:38.
12 Fulton J. Sheen,Life of Christ (New York: Doubleday, 1958), 9–10.
13 ルカ 1:39.
14 マタイ 1:18.
15 マタイ 1:20.
16 申命 22:20–21.
17 マタイ 1:19.
18 マタイ 1:20–21, 24–25.
19 ヨハネ 8:41.