忍耐力を成長させる(パート2)
Growing in Perseverance—Part 2
June 8, 2026
マリア・フォンテーン
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私は最近、何ヶ月も前に聖句や名言をまとめておいたものを見つけました。これが皆さんにとって祝福となり、勝利が見えるまで忍耐し続けるために必要な余分の力を与えてくれることを願っています。
忍耐力は、辛抱強さ以上のものだ。それは、神が語っておられることは実際に起こるという絶対的な保証と確信が辛抱強さに結びついたものである。—オズワルド・チェンバーズ
根気よく進み続けることで、カタツムリは箱舟にたどり着いた。—チャールズ・スポルジョン
何かを成し遂げようとするのであれば、成功は、何かをつかみ取った時の輝きや勢いにではなく、つかみ取った後に持ち続ける、永続的で神聖な闘志にかかっていることを、心に留めておいてほしい。—A・B・メルドラム博士
失敗を保証する唯一のこと、それは努力するのを止めることだ。—ジョン・C・マクスウェル
偉大な仕事は、力によってではなく、忍耐強く続けることによって成し遂げられる。—サミュエル・ジョンソン
祈りに対する答えが遅れても、それは、神が無関心であるという意味ではなく、ご自身のタイミングについて、より大きな目的を持っておられるということだ。神を信頼しよう。—リック・ウォレン
祈りの成功には、他のあらゆる分野での戦いと同様、忍耐が不可欠な要素である。—E・M・バウンズ
状況がどれほど暗く絶望的に見えても、祈りを止めてはいけない。—ビリー・グラハム
執拗に神に従おうとする信仰は、神に喜ばれる信仰でもある。—フランシス・フランジパン
祈ることが自分にできる最後の手段だと思える時でさえ、祈ることを止めるのは、どんな場合にも早すぎる。—ハロルド・リンゼル
粘り強い祈りは、神を変えるわけではない。答を受けられるように私たちを形作ってくれるのだ。—ビル・ジョンソン
働きにすべてがかかっているかのように働き、祈りにすべてがかかっているかのように祈りなさい。—ウィリアム・ブース
天国への道は、上へと向かっている。辛くて疲れるものであり、私たちの肉が持つ偏見に反するものであっても、上り坂を進むことに満足しなければならない。—ジョナサン・エドワーズ
障害物とは、ゴールから目を話した時に見える恐ろしいもの。—ヘンリー・フォード
決して諦めてはいけない。諦めそうになる場所と時にこそ、潮の流れが変わるのだから。—ハリエット・ビーチャー・ストウ
私たちは常に、加熱炉の中か金床の上にいる。神は試練によって、私たちをより高いものに形作っておられるのだ。—ヘンリー・ウォード・ビーチャー
粘り強く祈るとは、神の気が進まないというのに、それに打ち勝とうということではなく、神が喜んでしてくださることは何なのかを見出すことである。私たちの主権者である神は、御心を成し遂げる手段として、時には粘り強い祈りを必要とするようにされた。—ウィリアム・スラッシャー
地獄を通っているのなら、立ち止まらずに進み続けなさい。—ウィンストン・S・チャーチル
幾度も敗北に遭遇するかもしれないが、敗者になってはいけない。むしろ、敗北に遭遇することで、自分が何者なのか、どんな状態から立ち上がれるのか、どうすればまた切り抜けられるのかを知ることができるのかもしれない。—マヤ・アンジェロウ
私は、主の仕事をすることで疲れてはいるが、主の仕事に対して疲れてはいない。—ジョージ・ホウィットフィールド
過去に逆境に立たされ、戦ってそれを乗り越えたことがなかったなら、忍耐力は身につかない。苦痛は目的に、苦しみは満足に、敗北は決意に、悲しみは共感に、絶望は天の勝利に、変えられる。その一つひとつが、信仰から生まれる忍耐力の下に征服される時に。—不詳
* * *
(マリア:)記事の最後に読むものが、一番記憶に残ることが多いものです。そこで、イエスに従う決意と忍耐を鼓舞してくれる聖句で締めくくるのがいいのではないかと思いました。
だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。—ヘブル10:35–36
[わたしは]ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。—ピリピ3:12–14
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。—ヘブル12:1–3
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。—ローマ5:3–5
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。—2テモテ4:7–8
また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け[ようではないか。]—ヘブル10:23
試錬を耐え忍ぶ人は、さいわいである。それを忍びとおしたなら、神を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう。—ヤコブ1:12
わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。—ガラテヤ6:9
初版は2023年3月 2026年6月アンカーに再掲載 朗読:レノア・ウェルシュ