瞑想のための言葉(パート3)
Words to Meditate On—Part 3
April 25, 2019
イエスからの言葉
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これは、あなたがどこまで疲れ果てることができるかを見るためのコンテストではない。この競走はとても長いので、全ての人が何度も、あちこちで、疲れてしまう。自分の重荷を負い、疲れ果てることによって、わたしや他の人たちにあなたのスタミナを証明しようとしても、それには何ら価値がない。悪戦苦闘して踏ん張らなければならないことも何度もあるだろうが、休むべき時だって何度もある。愛する人よ、休みなさい。重荷を下ろしなさい。リラックスしてわたしの腕の中で休みなさい。しばらくの間、あなたを抱いて運んであげよう。あなたはわたしのために多くのことを成し遂げた。そして、再びそうするだろうとわかっているが、今はあなたを抱いて力を補充してあげよう。
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喜び! あなたが救われた魂をわが王国に連れてくると、大きな喜びが天にある。わたしはあなたに、わたしの領域におけるありとあらゆる美しさや複雑さを明かしたが、これを決して忘れてはいけない。失われた魂がわたしを知り、その名が命の書に永遠にとどめられることほど、わたしの王国の隅々に喜びと嬉しさと幸福をもたらすものは他に何もないことを。それ以上に大きな喜びはない。ああ、とても多くの魂をわたしのもとへと送ったあなたがたは、いかに輝くことか。あなたはまばゆいほどに輝くだろう。星のように輝いて永遠に至るのだ!
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あなたを待っている美、あなたの人生のためのわたしの計画の成就、あなたの運命の素晴らしさ、そしてあなたの人生の複雑な秩序を見ることさえできれば、この人生の試練についてそれほど思い悩むことはないし、多くの恐れや心配を背負い込んで過ごす時間もそれほどないことだろう。あなたの人生はわたしの手の中にある。あなたの人生はわたしのものだ。あなたがいつの日かわたしの視点から見るときに、美しく純粋に見えるようになるものでないかぎり、わたしは何ひとつあなたに触れさせない。未来を恐れる理由などない。それは確実にわたしの手の内にあるのだから。
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問題を心配したところで何の得もない。大切なのは、祈りであれ行動であれ、何らかの措置を講じることだけだ。だから、問題や状況に対して自分にできる策が尽きたなら、それについて考え続けて不必要に力を使い果たしてはいけない。ただ、わたしにしかできないことをさせなさい。あなたは何かができるかできないかのどちらかだ。そして、もしできないのなら、それはわたしが今一度わたしの力を示すための機会なのだ。
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時として、この地上で犠牲にしたものは永遠に失われると感じやすいものだ。時々あなたは自分の犠牲のいくつかを忘れさえし、わたしもそれらを忘れているに違いないと思っているのだろう。しかし、いつの日かあなたが天国に行った時、わたしはあなたが地上でわたしのためにしたすべての犠牲を示すつもりだ。わたしのためにあきらめ、脇においたすべてのものが展示されている場所を案内しよう。それぞれのものの横で、あなたはそのための十分な報酬を見て、それを受け取るだろう。
今も、あなたは自分の払った犠牲に対して報酬を受け取る。あなたがわたしに与えたものすべてと引き換えに、わたしはこの地上でいろいろな方法であなたを祝福し、報酬を与え、あなたに与え返す。しかし、これまでわたしがどれほどあなたに与え返したとしても、それぞれの犠牲に対する見返りはまだ完全に終わっていないことを保証する。天国に入る時初めて、あなたはわたしがあなたのために取っておいた報酬と見返りが全て揃った包みを受け取るのだ。
いつの日か、人生の旅路が終わる時に、あなたは払った犠牲の一つ一つが獲得した賞と祝福をあますところなく受け取るだろう。
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わたしの言葉が語っている全き平安と休息を見つけることは不可能ではない。「わたしは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守る。彼はわたしに信頼しているからである。」 全き平安とは何だろう。全き平安とは、小さなことでわたしへの集中が妨げられない状態のことだ。問題やジレンマや挫折、邪魔がわたしへの信仰と信頼のつながりを揺るがしさえしない状態のことだ。
全き平安とは、大きな混乱や迫害や危険の多い時期や、てんやわんやのスケジュール、慌ただしい状況の真っ只中にいるにもかかわらず、わたしの保護と完全な支配を確信し、また、あなたの人生と状況にわたしの手が働いていることを確信して、ぐらつかず穏やかでいる状態のことだ。全き平安とは、あなたの信仰とわたしの間を何ものも邪魔しない状態のことだ。全き平安とは、あなたの思いがわたしの経路にしっかり集中して、何ものにも動かせない状態のことだ。
どうやってこの全き平安を得るのだろう。先ほどの節には、「彼はわたしに信頼しているからである」と極めて明確に書かれている。わたしに思い煩いを委ねることで、わたしへの信頼を示しなさい。そうすれば、わたしは全き平安をもってあなたを守る。
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愛する人、大丈夫だ。今はあなたを悩ませていることがあるのを、わたしは知っている。あなたは人生と未来のある特定の面について心配と恐れがある。そして、それらを完全にわたしの手に委ねるのはあなたにとって難しい。あなたはそれを確実に片付けるためには、ある程度の懸念を抱き続けなければならないと感じている。しかし、わかるだろうか、そういった懸念を抱き続けほど、それらに対するわたしの力は少なくなるのだ。
これらの困難をわたしに解決してほしいと本当に思うなら、本気でそれらを手放す必要がある。今すぐわたしに渡しなさい。わたしに委ねなさい。もうそんなものは持っていたくないと、わたしに告げなさい。それらのことは気にしなくていい。わたしを信頼して解決を任せると、わたしに告げなさい。覚えていなさい。わたしはあなたに懸念を与えているこれらのことを成し遂げる。
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立ち止まって、静寂に耳を傾けたことはあるだろうか。ただ静まるためにるために立ち止まったことはあるだろうか。祈りのうちに静まるのでもなく、わたしから聞くために静まるのでもなく、ただ静まるために。静けさは美徳であり、この静けさと穏やかさのこつをマスターするには練習が必要だ。しかし、それはとても有益だ。この静けさは思いを静めることを教えてくれる。なぜなら、あなたもその静かな穏やかさの状態を心底楽しむためには、あなたの思いも静まっていなければならないからだ。
じっとしていなさい。静寂な風、静かなそよ風に耳を傾けなさい。思いを落ち着かせなさい。何も考えずに思いを静めなさい。時折、わたしとの静かなひとときを楽しみなさい。わたしの静寂に、わたしの前で穏やかで静かになる方法を教わりなさい。
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たとえほんの少しの時間であっても、毎日わたしについて考え、わたしについて黙想するための時間をとることがとても重要だ。わたしの顔を深く想い、わたしの約束について考え、わたしがあなたに対して抱いている深い愛を思い起こし、わたしと心を通じ合わせるために、しばし立ち止まることは、あなたがその日に出くわす数々の小さな戦いのために、あなたの精神を強め、励ますだろう。このちょっとした心地よい交わりは、わたしたちを結びつけ、誰が真に自体を掌握しているのか、誰がそのすべてをしなければならないのかを思い出すのに役立つ。たとえほんの少しの間でも、毎日この時間をとるようにしなさい。
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いつか、わたしは大空という薄い層を突き破って、わたしの眩い輝き、壮大さ、そして威厳を地上に浴びせる。天使たちは、わたしが最初に地上に来たときのように、わたしの再臨を告げるだろう。あたりはラッパの音で満たされる。聖徒と天使たちが天の幕からわたしの花嫁の美しい帰還をのぞくとき、あなたは彼らが賛美する声を聞くだろう。また音楽を、今まで聞いたこともない最も美しい音色を聞くことだろう。
そしてその瞬間、わたしが途方もない力と美しさで雲を突き抜けて来るのをあなたが見るとき、あなたはわたしと目を合わせ、わたしがあなたの心に個人的な言葉を話すのを聞くだろう。あなたが立ち上がってわたしを抱擁し、天国に入るとき、地上でのあなたの人生は突如として短く思える。そのとき、瞬く間に、すべてはその甲斐があったと知るだろう。
わたしの顔を一目見ただけで、あなたの悲しみは永遠に消し去られる。わたしの栄光と偉大さを一目見ただけで、あなたはそれに飲み込まれて、完全な歓喜を味わうことだろう。
初版は2006年10月 2019年4月に一部を抜粋の上、再版
朗読:マリア・フォンテーン 音楽:マイケル・ドーリー