素晴らしきいやし主
Wonderful Healer
August 28, 2014
イエスからの言葉
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主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。
主はもろもろの星の数を定め、すべてそれに名を与えられる。
われらの主は大いなる神、力も豊かであって、その知恵ははかりがたい。
主はしえたげられた者をささえ、悪しき者を地に投げ捨てられる。
主はおのれを恐れる者とそのいつくしみを望む者とをよみせられる。
—詩篇 147:3–6, 11
*
四苦八苦するのはやめて、わたしの愛の内に休みなさい。わたしを尋ね求めるなら、わたしに会うと知って、安心していなさい。恐れてはならない。また自責の念に駆られて投げ出してしまったり、わたしがあなたを愛していないなどと感じてはいけない。あなたの人間的な弱さやもろさは知っているが、わたしはそれらにもかかわらず、わたしの道があなたにとって、できる限り容易で楽なものになるよう配慮している。
父親が、自分を喜ばせようと躍起になる子どもを憐れむように、わたしも扉の取っ手に手を伸ばすあなたを憐れんで、手ずからその扉を大きく開放し、あなたがわが王国に自由に入ることができるようにする。来てわたしの霊の実にあずかりなさい。あなたにわたしの霊を豊かに注ごう。あなたはその霊の実を、永遠に渡って自由に楽しむことができる。
荒野での時間
うみ疲れることなく、わたしの愛を信じ、信頼しなさい。あなたの試練や戦いや、木の下に横たわり、手を冷たい水に浸して元気を回復しなければならない荒野のような時期が、わたしから来ていると信じるのだ。あなたは今それを祝福と見なしてはいないが、この静寂と祈りと孤独と熟考の時期は、やがて霊的な深みという成果をもたらしてくれるだろう。
あなたは知恵や憐れみや理解を見いだすだろう。わたしの中に強さを見いだすだろう。わたしとの関係を通じて、必要な力を見いだすだろう。こう思っているね。「この荒野のような場所には、これまで何度も来たことがある。この静寂も孤独も、もういやというほど味わったのに、なぜもう一度そこを通らなければならないのだろう? 私が教訓を学んでいないからだろうか? それとも心があまりにかたくなで、神の声が聞こえないために、神がその御手をわたしの上に置いて懲らしめ、何度も繰り返し砕かれるのだろうか?」
この時期は罰や懲らしめではない。あなたがわたしの声に耳を傾けず、教訓を学んでいないからなのでもない。わたしはあなたを祝福し、あなたを称え、わたしと共に過ごす時間という特権を与えている。私たちが互いと交わり、より親密な方法で互いをより深く知ることのできる時間を。
家族や仕事や宣教活動といった他のどんなものをも「神」として、わたし以上に優先してほしくはない。あなたのためにわたしが立てた将来の計画を成就するために、あなたにはわたしと過ごすこの親密な時間が必要になるだろう。その時あなたは、わたしと波長を合わせ、祈り深く賢明で、親切で愛情深く、同情心にあふれ、また落胆し絶望した人々の気持ちが理解できる者となるように求められるだろう。
荒野のような場所で時間を過ごしてきたがゆえに、あなたは心から誠実に語ることができるようになる。あなたはその経験から語れるようになり、わたしに信頼し、わたしの声を聞くことによって得られる祝福や益について証言できるようになる。
心の手術
ありのままの姿でわたしのところに来なさい。あなたに新たな心を与え、あなたの内に新たな霊を授けよう。沢山の小石が、あなたの心の美しさを損ねていることはわかっている。わたしがあなたにできないことをするのだと、つまり小石を一つずつ取り除いていくのだと信頼しなさい。あなたの内側に働きかけるこの作業に、痛みが伴わないなどと思わないでほしい。心(心臓)の手術は深刻で、常に痛みが伴う。あなたは知らなかったが、これまで味わってきた数多くのつらい経験は、わたしがあなたの心に施した巧みな手術だった。大変な時期を経験している時には、苦笑しつつもわたしを見上げ、あなたの中でわたしが起こしている再生を感謝しなさい。この信仰の行為は、即座にあなたの苦しみを取り除きはしないが、あなたの苦悩に意義を与えてくれる。
救世主であるわたしに接がれ、新たな被造物となることの素晴らしさに驚嘆しなさい。あなたを罪に定める「罪と死との法則」から、あなたは永久に解放されている。激痛に苦しんでいる時ですらも、あなたはこの輝かしい真理を喜ぶことができる。わたしは存在するあらゆるものの創造主であり、わたしに似せて造られたあなたも、自分の内に豊かな創造力を宿している。状況を新鮮な見方で見ようと努めなさい。あなたの中に、あなたを通じて新しい何かを創造するわたしと共同で働くことに、意欲的でいなさい。わたしは宇宙の最高権力者ではあるものの、なおパートナーとして、あなたと一緒に働きたいと望んでいる。この聖なる冒険に乗り出すことを承諾してくれるなら、あなたはわたしがあなたを造った目的を、より完全に果たせるような存在になる。[1]
船を港に入れる
このようなつらい経験を味わっている時期に、あなたが体と心に感じてきた痛みやトラウマを、わたしも感じている。その苦悩や悲しみや、喪失感や無力感がわかる。この絶望感や憂うつな気持ちを乗り越えて、この感情の起伏のジェットコースターから降りたいと望むなら、わたしにしっかりとしがみつきなさい。より強い信仰を求めて祈り、まったき平安をもってあなたを守るというわたしの約束を信じなさい。わたしに思いを留め続け、わたしと周りの人々の愛を信じ、受け入れなさい。
この砕きや圧搾や、激しい感情や嵐のような経験は、たぐいまれで貴重な宝石を磨いているようなものだ。わたしはその幾つかの部分が削り取られることを許し、それらは一見失われたように見えるが、この過程を経てこそ、燦然と光り輝くような、真の内なる美しさが現れる。この過程を経て、あなたは内面的な深みを身につけたのであり、それは貴重な宝石だ。今あなたの心の中の愛は、もっと自由にあふれ出ることができる。それを妨げるものが何もないからだ。
力と勝利への鍵とは、わたしに対するあなたの愛や信頼であり、わたしと他の人々を信用することだ。持っていないものではなく、持っているすべてのものに目を向けることが重要なのだ。わたしや愛する人々からもらった愛を信じ、受け入れることが不可欠だ。信じて受け入れ、信頼し、愛の内に休み、愛情深い反応を返すなら、心と霊に安らぎといやしを見いだすだろう。今荒れ狂う海で波に揉まれているあなたの船は、わたしの平安と安らぎと喜びという穏やかな港に入るだろう。
わたしが一緒にいる
わたしの目から隠れているものなど、一つもない。わたしはあなたのすべての思いや、願いや、密かな祈りを知っている。あなたがわたしを仰いで呼び求める時、わたしはいつも近くにいる。あなたの祈りを聞いて、わたしの心は憐れみで動かされる。決して心をかたくなにしたりはしない。あなたの祈りを聞くのに飽き飽きしたりすることも、あなたに背を向けることもない。眠ることは決してないし、ドアに「就寝中」の札を掛けたりもしない。決して遠く離れていることもない。疲れていたり忙しすぎて、あなたのために時間が取れないなどということも決してない。常にあなたの祈りを聞き、それに答える。あなたの望み通りの方法で答えることもあれば、あなたの知らない方法で答えることもあり、またあなたの見えないところで答えることもある。しかし、あなたの祈りを聞いて、それに答えることは確かだ。
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さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。—ヘブル 4:14–16
特に表記がない限り、初版は1997年。2014年8月に改訂・再版。
朗読:ガブリエル・ガーシア・ヴァルディヴィエソ。音楽:ダニエル・ソッジ。
1 Sarah Young, Jesus Lives (Nashville: Thomas Nelson, 2009).