マグダラのマリヤとは誰だったのか?
Who Was Mary Magdalene?
March 6, 2018
引用文集
オーディオ・ダウンロード(英語) (7.3MB)
イエスが初めてマグダラのマリヤと出会われた時、彼女は7つの悪霊に憑りつかれていました。イエスがそれらを彼女から追い出された後、彼女は最も傑出した初代教会の女弟子の一人となりました。マグダラのマリヤの名前は、他のほとんどの弟子たちが逃げてしまったにもかかわらず、イエスが十字架に架かっておられた間中ずっと、そばを離れなかった人の一人として挙げられています。[1] 彼女は主の埋葬の手助けをし、翌日の日曜日に墓を訪れましたが、見ると墓を封じていた石が転がされており、天使たちからは、主がよみがえられたと告げられました。[2] 彼女は、記録に残された中で、復活後のイエスに出会った最初の人物でもあります。[3] また、おそらくイエスとその弟子たちは、時折泊まる場所や食べ物が必要だったでしょうが、マグダラのマリヤはそれらを提供して、彼らの宣教を支援しました。[4]—R・A・ウォーターソン
マグダラのマリヤは売春婦だったのか?
小説家や映画脚本家が、イエスの人生に何か好色なものを盛り込もうとする時、彼らは決まってマグダラ出身のマリヤという、一人の女性に焦点を当てます。マグダラのマリヤは売春婦だったのでしょうか?
人々が眉をひそめて、「マグダラのマリヤは売春婦だったのか?」 という疑問を抱くような過去が彼女にあったと、ほんのわずかでも匂わせているのは、ルカによる福音書だけです。ルカ8章には、女信者および財政的な援助者の一人として彼女の名前が挙げられ、彼女が7つの悪霊の支配から解放されたとあります。
その後数世紀にわたって、神学者らは多大な影響力を持つイエスの一信者としての彼女の役割を、意識的に軽んじようと努めました。彼女はルカ7章に登場する、イエスの足に香油を注いで、イエスにゆるして頂いた「罪深い女」や、「姦淫の場でつかまえられ」、石打の刑になるところを、イエスに救われた女として認識されるようになりました。6世紀に、教皇グレゴリウスは、彼女が罪を悔いる人の模範であると説きました。
マグダラのマリヤが売春婦であったと言っているのは、西方教会だけです。東方教会は、常に一使徒として彼女に敬意を払い、彼女を「使徒たちへの使徒」と呼んできました。これはヨハネの福音書の中で、イエスが彼女を名指しで呼び、ご自分がよみがえったことを、他の弟子たちに知らせるようにと告げられたことに基づいています。—biblicalarchaeology.org [5] より
聖人から罪人へ
ダン・ブラウン、ウィリアム・E・フィップス、マーティン・スコセッシ、彼ら全員が、イエスの恋人や妻を誰とするかにあたり、マグダラのマリヤを選びました。それも驚きではありません。マグダラのマリヤは長年、新約聖書に登場する女性の中でも誘惑的な人として認識されてきたからです。大抵の人は彼女のことを、イエスに出会った後に改心した売春婦であると考えています。英国の現代画家クリス・ゴロンによる絵画『改心前のマグダラ』では、マリヤが宝石や化粧に身を包んだ、挑発的な魔性の女といった体で描かれています。
しかし、新約聖書にそのような描写は一つもありません。むしろ、4つの正典福音書のうち3つにおいて、マグダラのマリヤの名前が出てくるのは、イエスの死と復活に関する記述の中だけです。彼女は主の十字架刑[6] と埋葬[7] の目撃者であり、空っぽの墓[8] に到着した最初の人たちの一人(ヨハネによると、まさに最初の人)です。そして彼女は復活後のキリストを目撃した最初の人の一人(これもヨハネによれば、まさに最初の人)なのです。[9]
イエスの日々の生活や公生涯に関連づけて、マグダラのマリヤの名前に言及しているのは、ルカの福音書だけです。そこでマリヤは、イエスが村々を回って神の御国の良き知らせをのべ伝える際に、イエスに付き従った人物として名前が挙げられています。「そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリヤ、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。」[10]—バーガー・A・ピアーソン
復活を目撃した最初の人物
すべては復活に帰結します。20世紀にわたるキリスト教の歴史と、何十億という人々の信仰が、この一つの出来事にかかっているのです。そして、極めて重大なこの奇跡を目にした最初の人物、イエスが御姿を現された最初の人物とは誰でしょう? その事実は信仰のきわめて重要な側面であるため、クリスチャンなら誰でも、考えもせずに答えられるべきのように思われます。「イエスの母親は誰でしょう?」 や「イエスを裏切った使徒は?」 といった、似たような質問を尋ねられた時と同様に。
しかし、4つの福音書の著者全員が同意しているように、復活を最初に目撃したのはある女性であり、その名前や評判は、数世紀にわたってひどく誤解され、誤って解釈され、歪曲されてきたので、それが間違っているにもかかわらず、一般には良き知らせを最初に携えた忠実な人物というよりも、むしろ売春婦として認識されているのです。
その女性とはマグダラのマリヤであり、数世紀にわたる彼女についての誤った認識は、ようやく正されつつあります。
今では聖書学者らによって、彼女がイエスの御足を涙で拭いた後に改心した、悪名高い罪人と同一人物であるという通説が覆されたので、改心した売春婦という、マグダラのマリヤのレッテルが間違いであったという認識が少しずつ広まっています。そのレッテルに代わって、聖書に沿った真の人物像がよみがえらされ、ついにこの「使徒たちへの使徒」である女性が、歴史上における彼女にふさわしい地位を獲得しつつあるのです。それは、イエスに愛された弟子であり、初代教会における傑出した指導者であるというものです。
彼女についての記述は新約聖書に12箇所あり、それは処女マリヤに次いで、二番目に最も頻繁に言及された女性ということです。記述の大半は十字架刑と、空っぽの墓についての話に見られ、そこで彼女は十字架の下にいた忠実な弟子や、復活の最初の目撃者の一人として描かれています。
マリヤは聖書の他の女性たちとは異なり、別の人物との関係によって特定されていません。誰の母でも妻でも姉妹でもなく、ただマグダラのマリヤと呼ばれており、その肩書きから言うと、ガリラヤ湖北西岸に位置する漁業の中心地であったマグダラという町の出として有名だったと思われます。イエスに従うために家を出た彼女は、イエスの宣教活動を財政面で支援していた、何人かの裕福で資産のある女性の一人であったと考えられています。
このようなイエスの女信者たち(実際には弟子)は、すべてが崩壊し始めた時に、中心的な存在になりました。他の人々が逃げてしまった時も、この女性たちは忠実であり、それを先導したのがマグダラのマリヤだったのです。
4つの福音書の復活についての記述には、墓にいた御使いの数や、遺体に香油を塗るためにどの女性がマグダラのマリヤに同行したのか、あるいはまた、彼女らが走ってキリストの復活を知らせに行った時、皆に信じてもらえたかどうかといった詳細において、異なる点があります。しかし、次の一事については、4つの福音書すべての記述が一致しています。それは、マグダラのマリヤは最後まで忠実であり、その忠実さに報いて、よみがえられた主が御姿を現して下さったということです。—ハイディ・シュランプ [11]
2018年3月アンカーに掲載 朗読:ルーベン・ルチェフスキー
1 マタイ 27:56; マルコ 15:40; ヨハネ 19:25.
2 マタイ 28:1–10; マルコ 16:1–11.
3 ヨハネ 20:11–18.
4 ルカ 8:1–3.
5 http://www.biblicalarchaeology.org/daily/people-cultures-in-the-bible/people-in-the-bible/was-mary-magdalene-wife-of-jesus-was-mary-magdalene-a-prostitute.
6 マタイ 27:55–56; マルコ 15:40–41; ヨハネ 19:25.
7 マタイ 27:61; マルコ 15:47.
8 マタイ 28:1–8; マルコ 16:1–8; ルカ 24:1–12; ヨハネ 20:1–10.
9 マタイ 28:9; ヨハネ 20:14–18.
10 ルカ 8:1–3.