重い皮膚病の人に歩み寄る
Walking Toward the Lepers
June 14, 202
スティーブ・ハヌマン
イエスは重い皮膚病(ツァラアト)にかかった人のいる方へと歩かれました。他の人たちがその人々から遠ざかっていく中、主がそちらに向かって歩いていくのは、信じられない光景だったに違いありません。しかし、正直に言えば、私はそういった病気を持つ人たちに完全に共感することができたわけではありません。癒やされたいという必死さを、真に想像することができなかったのです。しかし、それは私自身が癒やされることを切実に求める立場になるまでのことでした。
私はアメリカ人で、その時、生まれて初めて入院しました。とても良い病院のようですが、日本の大阪の中心部にある、とても混んで忙しいところです。
1週間前、私は前立腺の摘出手術を受けました。統計によると、男性の8人に1人が、ある時期に前立腺がんと診断されるといいます。私は常日頃から7人のうちに入れると思っていたのですが、今回はその1人の方になってしまいました。血栓にならないように、術後はすぐに歩き回ることが本当に大切だそうです。主治医が病室まで来て、できるだけ早く歩くように促してくれました。それで、歩くことにしたのです。
病院のホールを1周すると、私の予想ではだいたい250メートルになります。高校時代にアメリカンフットボールをやっていたのですが、この250メートルはフットボールの競技場の2.5個分でしょう。フットボールチームにいた時、フィールドでの足の速さは一番でした。私はたいていフィールドで一番小柄だったので、自分の3倍はある選手にぶつからないように、速く走らなければならなかったのです。
しかし今、私は突然61歳になって、尿を溜める袋に管でつながれ、車輪のついたスタンドにつかまっています。病院のホールがフットボール場のように見えるので、私はずっと自問自答していました。「フィールドで一番足の早かった奴が、今はどこに行ってしまったんだ?」「もうそんな奴はいないのさ」。そして心の中のジョークに大笑いするのです。
この1週間の入院生活に対処する方法のひとつは、ユーモアを探すことでした。多くの苦しみを前にして、ユーモアの種を見つけるのは少々難しいものです。そこで私は、最高のユーモアの種は自分自身の状況にあると結論づけたのです。さっきも言ったように、入院は生まれて初めてでした。そしてこの1週間、日本語があまり流暢でないために、何をすればいいのかわからない、看護師や医師が何を言っているのかよく理解できない、ただの愚か者だったということが数え切れないほどありました。
大阪の警察病院6階の廊下を長い時間散歩している時には、ユーモアなどほとんど見つかりません。目にするのは、ほとんどが様々な病気を持つ高齢者であり、聖書によく出てくるような「足の不自由な人」もいます。正直なところ、歩き回り、新たな1周をするたびに彼らの苦しみを目の当たりにすると、心が痛みます。1日に30~40周を目標にしているので、それだけ何度も心を痛めることになります。
イエスは足の不自由な人の方へ歩いて行かれました。
しかし、最初に書いたように、正直なところ、病院にいて周りで見かけるのが、足が不自由な人ばかりだという状況になり、私自身がほとんど足が不自由になるまでは、聖書に書かれているような足の不自由な人に完全に共感することはできませんでした。ただ横たわって病室のドアから廊下を眺めている足の不自由な人たちが何人かいて、彼らの前を通るたびに目が合うのです。私は彼らを見かけるたびに、ニコッと微笑み、彼らのために祈り始めます。私が微笑みかけても、彼らは私の目をまっすぐ見つめているにもかかわらず、何の反応もありません。病院で見かける外国人といえば私だけだし、外国人が彼らに微笑みかけながら廊下を歩いていくのを不思議に思っているのかもしれません。考えてみれば、たしかにかなり奇妙なことなのでしょう。でも、私はとにかくそれを続けているし、彼らのために祈り続けています。
中には、回復する見込みのなさそうな人もいます。数週間か数日の命であるように見えるのです。彼らの多くは手術が終わったばかりで、とても弱っているのでしょう。日本人は一般的に、文句も言わずに黙って苦しみに耐えるところがあるので、それが、さらに私の心を痛ませるのです。
そもそも入院しているだけで自分が情けなく思うのですが、実際は、とても恵まれています。まだ歩き回れます。この世界で生き続けられる望みがあります。彼らの時間はほとんど終わりかけているかのようで、肉体的にも苦しんでいるというのに。
今日、昼食後に廊下を歩いて2周目の時、突然、信じられないような言葉が頭の中に聞こえてきました。「イエスは重い皮膚病にかかった人たちの方に歩いて行かれた」。
いつもと同じ重病の患者たちを見ていると、この言葉が何度も頭の中で鳴り響いてきたのです。「イエスは重い皮膚病にかかった人たちの方に歩いて行かれた」。そして他の言葉も頭に浮かんできました。「イエスはこの地上の全世界の王になることも簡単だっただろうに、代わりに私たちに仕えることを選ばれた」。
その言葉はループのように繰り返されました。「イエスは重い皮膚病にかかった人たちの方に歩いて行かれた」。「イエスは目の見えない人、病人、足の不自由な人の方に歩いて行かれた」。「イエスはこの世のすべての富を持つこともできたのに、何の持ち物も持たず、サンダルを履いて歩き回ることを選ばれた」。イエスを描写するこれらの言葉は、人生で何度も耳にしたことのあるものでしたが、6階のベッドに横たわり、身動きがとれず、痛みに苦しむ数多くの病人たちを目の当たりにしたとき、突然、それが私にとってより現実味を帯び、絶対的な力を持ったのです。
そのまま歩いていると、突然、ドウガンさんが病室から手を振っているのが目に入りました。ドウガンさんは病院でできた新しい友達で、最近人工股関節置換術を受けたばかりの人です。よく一緒に歩くのですが、彼はいつも明るく朗らかです。でも、今日はなんだか寂しそうな様子です。
「ドウガンさん、具合はどうですか?」 セラミック製の人工股関節を入れたあたりの筋肉がかなり痛むそうです。「歳をとりましたよ」と彼は言いました。
ドウガンさんは69歳です。素晴らしい精神の持ち主で、私は彼のことがとても好きになりました。前日の夜も同じようなことを言われましたが、今日は痛みがひどくなっているようです。彼は少し怯えた様子で、突然、空を指さして 「神様」と言いました。私は「そうですね、祈りましょう」と答えました。
私たちは、彼の癒やしのためと痛みが消えるように一緒に祈りました。私は、祈り続けますよと伝えました。彼はにっこりとし、少し照れくさそうに「ありがとう、スティーブさん」と言いました。その後、医師が診察にきました。
私は新しい友と祈る機会を持てたことを感謝すると同時に、こうも問いかけました。 「なぜ私たちはいつも、苦しい時や恐れている時にしか神を求めないのだろう?」
私の場合、がんと診断されて以来、生まれて以来これほども神の憐れみと癒やしと恵みを求めてきたことはありません。私の祈りはより長く、深くなり、神とのつながりはより強くなりました。この健康上の危機的な時期に、私は神に完全に依存するようになりました。心の奥底に素晴らしい平安を受け取りました。そしてこの危機を乗り越えられそうな今、私は、神をとても身近に感じ、神に依存するこの感覚を決して失いたくないと自分に言い聞かせています。がんの後、健康なセカンド・チャンスに恵まれた人生において、神の計り知れない愛を二度と当たり前だと思うことがなりませんようにと、私は祈っています。[1]
イエスはご自身の宣教活動において、数え切れないほどの病人や足の不自由な人をいやされました。そして今、日本のこの混み合った病院のただ中で、イエスは私を癒やしてくださったのです。そして、ステージ3のがんから癒やされた今になって初めて、私が生まれたときからイエスは私を癒やし、愛し、気遣ってくださっていたのだと気づきました。
あなたがどんな病にかかっているのであれ、それが精神的なものであれ、霊的なものであれ、肉体的なものであれ、それをイエスのもとに携えてください。あなたの病気をイエスの足元に置いてください。
ひとりの重い皮膚病にかかった人が、イエスのところに願いにきて、ひざまずいて言った、「みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは深くあわれみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病が直ちに去って、その人はきよくなった。—マルコ 1:40–42
私たちは皆、どんな病にあっても、イエスが私たちに同じことをしてくださると、100%の確信をもって知るべきだと思います。主の完璧な時と方法で、私たちを清め、癒やし、新たにしてくださることを頼みにできるのです。