待ち望む
Waiting Well
May 13, 2025
引用文集
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選択肢や決断に直面しているのに、どの方向を選ぶべきか見当もつかないのですか? 神が導かれる方向に進みたいと知ってはいるのに、問題は、その方向が分からないのです。迷い、どこへ進めばいいか、何をするべきか、どうすべきか分からない状態です。それぞれの選択の結果を先見するほど先を見通すことができません。ほとんどのことは自分だけで決めることはできず、それぞれの決断には多くの要因を考慮する必要があります。
最近、私は「主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め」(詩篇27:14)という聖句を思い出しました。神が霧を晴らしてくださるのを待つことの知恵について深く考えさせられました。先がはっきりと見えない状態で決断を下すのではなく、神が導いてくださるのを待つのです。時間が経てば、物事は自然と収まり、道がもっとはっきりと見えるようになります。
あなたの人生でも、何かの決断を迫られたけれども、明確な方向性が見えなかったという経験があるでしょう。けれども、祈りと信仰のうちに待ち、神が助けてくださると信頼した時、神は最終的に道をはっきりと示されたのです。そしてあなたは、待ったこと、信頼したことに感謝したはずです。
待つことは信仰の生活における重要な要素です。たやすくはありませんが、これは神が私たちを導き、忍耐を教え、人格を築き、神に近づけるためのプロセスの一部なのです。次に、保留状態や待機モードに陥った時は、元気を出してください。霧は晴れます。必ず晴れます!—マリア・フォンテーン
*
人生の待機状態は、飛行機の待機状態と同じようにイライラするものです。ただぐるぐる回り続けるだけですから。そして、人の魂は何か違うことを望む希望さえ失ってしまいます。しかし、聖書からは繰り返し「主を待ち望む」ように告げられています。… 詩篇130篇5–6節には、こうあります。「わたしは主を待ち望みます、わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます」。…
私たちはこのように待つべきです。
期待し
希望し
切望し
望み
願い
信仰と従順をもって。
これらのこと、そしてそれ以上が、疑いと絶望を消し去ります。詩篇27篇13–14節には、こう書かれています。「わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め」。
哀歌には、待ち望むことの恵みが書かれています。「主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。主の救を静かに待ち望むことは、良いことである」(哀歌3:25–26)。神は待ち望む者には恵み深い方ですが、待ち望むとは何を意味するのでしょうか。… 総じて、主を待ち望むとは、あなたが待っている問題の解決について外部の力に頼らないということです。… 主を待ち望むとは、主の御手、主の介入——主の導き、主の供給、主の力、主の解決を待つことです。… 自分の手で問題を解決しようとするのではなく、神に委ねるのです。こんな言葉があります。「任せよ、そして神に委ねよ」。
ヤコブ5章7–8節も、このことについて少し触れていますが、その背景は異なっています。「だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい」。 雨と土壌が種を発芽させるのを農夫が待つように、私たちも、主が私たちのうちに、そして私たちを通して、ご自身の目的を成し遂げるのを待つ必要があります。…
人生の様々な段階で「待つ」こともまた、クリスチャンとしての経験の一部です。タイミングを待つ、神の導きを待つ、準備を待つ、他の人を待つ、自分自身を待つ、成長を待つといったように。
神を待ち望むとは、問題解決を神以外のものに頼らないということです。また、待つ間、神に従うということでもあります。神の言葉から明らかにされた御心に基づいて、あなたが知っていることに従いなさい。なぜなら、神がすでに明らかにされたことに従う姿を神が見ない限り、あなたには、神が何を秘密裏に計画なさっているかは決してわからないからです。神は、ご自身がしようとしていることをすべてあなたに告げることは決してありませんが、何かを告げました。それが何であれ、それに従いなさい。それがどんなに小さく、取るに足らないことのように見えても、それに従いなさい。…
待ち望むことを学ぶには、神の子供として生きる日々の暮らしをいかに実践するかを学ぶことが必要です。それは、私たちがすでに知っていることを実践するということなのです。—トニー・エヴァンス [1]
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私たちは皆、こんな疑問に苦しんでいます。「主よ、いつまで私を待たせるおつもりですか? なぜ私なのですか? なぜこれなのですか? なぜ今なのですか?」 神に答えを求めて迫る中で、私たちは、「神を待ち望む者に、このような事を行われた神」(イザヤ64:4)に属していることを思い起こそうとします。しかし、この待っている時間は強要されているように感じられ、私たちは苦闘します。恵み深い神なら、この重荷を軽くしてくださらないのでしょうか? なぜ神はそうしてくださらないのでしょうか? いつそうしてくださるのでしょうか?
私たちは祈り、嘆き、私たちのために行動される唯一の方に呼ばわりますが、ヨブのように、どこを向いても周りには神の姿が見えません(ヨブ23:3, 8–9)。神は沈黙しているかのようで、私たちは「神がこの願いを叶えてくれないかもしれない」という恐怖を押し殺そうとします。神が助けてくださらないかもしれないと心配します。… 求めることと受け取ることのはざまにある「待つ」という空間で、私たちはいかにしてよく生きられるのでしょうか?
そこに忍耐が関係してきます。——私たち自身の信仰に対する忍耐と、この忍耐を生む信仰へと私たちを呼んでおられる神に対する忍耐です。
忍耐は、待つこととまったく同じなのではありません。待つことは私たちが行うものですが、忍耐は私たちが捧げるものです。私たちが待つのは待たざるを得ないからです。——選択の余地はほとんどありません。しかし、忍耐は、私たちが待つ間に父なる神に捧げる贈り物です。沈黙と待つことの中で、忍耐はこう宣言します。「主よ、あなたを愛しています。私はあるべきほどにあなたを愛していないことを知っていますが、祈りの答え以上にあなたを愛したいのです。あなたがこの『待つこと』を求め続ける限り、私はあなたに忍耐の心を捧げようと努めます」。
忍耐とは何でしょう。忍耐は粘り強さと似ています。ヤコブは、農夫が作物の成長を待つように、静かに忍耐強く待つよう私たちを励ましています (ヤコブ5:7–11)。パウロは「患難に耐え」なさいと語り(ローマ12:12)、患難の中でも不満や怒りを抱くことなく耐え忍ぶよう呼びかけています。そして、忍耐とは、私たちの中に増し加わる御霊の命の現れであり、私たちがキリスト・イエスに属している証拠であると指摘しています(ガラテヤ5:22–24)。
忍耐は、神への愛と、神のご計画が待つだけの価値があると信じていることの証拠です。忍耐は、天の父に穏やかな心を捧げます。私たちは、神が沈黙しておられるように見えることで動揺し、いら立ったことを悔い改めます。私たちは周囲の暗闇を平静に見つめ、神があなた自身について語られることを信じ、現在の状況がどう見えても、神は真に見ておられ、知り、気にかけておられることを知って安らぐのです。—ジャニ・オートランド [2]
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わたしに目をとめていなさい。わたしはあなたと共にいて、最善の方法であなたを世話している。苦しんでいる時には、わたしの世話が不完全で不十分に見えるかもしれない。あなたは救済を求め、わたしはあなたを待たせる。ただ覚えておきなさい。待つための方法は多種多様で、はるかに良いものもあれば、そうでないものもある。有益な待ち方とは、わたしを信頼し、愛しつつ、絶えずわたしを見つめ続けることだ。
普段よりもわたしに寄り頼まなければならない、この困窮している時を感謝しなさい。これが過ぎ去ればいいのにと願うことで、この機会を無駄にしてはいけない。わたしは自分のしていることをわきまえていると信頼しなさい。あなたが遭遇するすべて、耐え忍ぶすべてから善を引き出せると信じなさい。過去や現在の苦しみで未来の展望を曇らせてはいけない。わたしはあなたの未来の主であり、あなたのために良いものを用意している。わたしがあなたに未来と希望を与えるために何を計画しているかは、わたしだけが知っている。—イエス [3]
2025年5月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:ジョン・リッスン
1 Tony Evans, Detours—Bible Study Book: The Unpredictable Path to Your Destiny (LifeWay Christian Resources, 2017).
2 Jani Ortlund, “Let Your Waiting Say, ‘I Trust You,’” Desiring God, June 18, 2019, https://www.desiringgod.org/articles/let-your-waiting-say-i-trust-you
3 Sarah Young, Jesus Today (Thomas Nelson, 2012).