砂漠にある宝
Treasures in the Desert
June 30, 2021
スティーブ・ハーツ
私は長年にわたって、主と共に歩むことは予測不可能な旅路であることを学びました。私たちが神と共に進む地形は、毎日同じというわけではありません。神は確かに、私たちを多くの「緑の牧場」に導いてくださいます。主が共にいてくださることを疑いようもなく、その祝福は雨のように豊かに降り注ぎ、飢えることも渇くこともなく、何一つ不自由しないような場所です。また、砂漠や荒野を通ることもあって、そんな時は、生活全体がまるで大干ばつであるかのように思えます。終わりのない旅路を歩んでいるように感じ、目の前には、荒涼とした風景がどこまでも続いています。うだるほどの暑さが容赦なく襲いかかり、照りつける日差しで目がくらんで、私たちの創造主であり、常に連れ添ってくださる方がそばにおられることに気づかなくなりそうなほどです。「この旅を続ける価値はあるのだろうか」と尋ねたくもなります。
私は、緑の牧場から不毛の荒野への突然で急激な変化を経験したことがあります。しかし、その旅は退屈なものであったとは言え、荒野をさまよった時間は、他のどの時期よりも、私の人生を豊かなものにしてくれたと断言できるのです。
その急激な変化が起きたばかりの時は、まず疑問が浮かびました。「なぜ、こんなことが起きたのだろう。どうしてこんな状態になってしまったのだろう」と。しかし、信仰の道を歩む他の旅人たちと話をしたり、その人たちが書いたものを読んだりしている内に、こういった霊的な乾期を経験するのは珍しいことではないのだと気づき、ほっとしました。
この乾期の現れは、人によって異なります。私の場合、主の御仕事に対する情熱や熱意がかなり失せました。その一因は、はっきりとした進歩があまり見えず、実が結ばれていないないように思えたことです。どこにもたどり着くことができず、ただひたすら精を出し、骨折って働いているように感じました。主の存在が遠く感じられ、沈黙しておられるように思えたし、片足を前に出すだけでも、面倒だったくらいです。
自己憐憫に陥りそうになった心を違った方向に向けようと思い、自分の人生を振り返り、主がこれまで実に様々な方法で私を窮地から救ってくださったことを思い起こしてみました。長年にわたって学んできた多くの教訓についても考えてみました。私の命を救ってくれた数々の教訓のことを。
そうしている内に、大好きな執筆をもっとやりたいと何年も前から思いながら、先延ばしにしていたことを思い出しました。そこで、迷うことなく、早速取り掛かったのです。書けば書くほど、満ち足りた気分になり、書くことは私の精神生活を驚くほど癒やしてくれるのだと分かりました。また、イエスが私に書く内容についてのインスピレーションを与えてくださるのを感じ、自分がイエスと再びつながっていることに気づきました。書けば書くほど、私はイエスの近くに行くことができたのです。私をひざまずかせることになった、あの砂漠の旅がなかったなら、主が与えてくださった執筆家という召命を再発見することはなかっただろうし、ましてやその道を志そうとはしなかったでしょう。この召命は、私にとって、まさに砂漠で見つけた宝になりました。
洗礼者ヨハネのことを思い出します。彼もまた、主が来られるための道を備えるという使命に取り掛かる前に、荒野で過ごしています。[1] ヨハネだって、荒野をさまようことにうんざりした時もあったでしょう。「いなごと野蜜とを食物としていた」だなんて、考えてもみてください。[2] しかし、荒野で過ごした時間こそが、神が彼のために定められた召命を果たすための準備だったのです。
私は今でも、荒野の中を進むことはありますが、自分は一人ではないという事実に慰めを得て、旅を続けています。私の創造主であり、一番の友である方が、私と共に歩き、道を導いてくださるのです。「わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」という約束に、大いに慰められています。[3]
次の詩の言葉が、わたしの人生の旅路において、生きたものとなりました。
最も誠実な友
時々、あなたと一緒に歩いていると
あなたの存在が甘い香りとなって
あたりに漂っているかのように感じる。
あなたが歩いた跡には
鮮やかな花が咲いてきて
あなたの声はさざ波のように私を満たす。
でも、何もない広大な砂漠をさまよい
あなたを見つけようと手探りしても
何のしるしも見あたらない時がある。
空に向かって叫んでみても
返ってくるのは情けではなく沈黙のみで
あなたがいるという証拠も見えない時が。
笑うようにさざめく小川の流れる
青々とした牧草地を行く時もあれば
深く壮大な渓谷を行く時もある。
夢が形を失うほど暑く乾いた荒野を行き
あなたの優しい導きの手をつかもうと
息が絶え絶えな時もある。
それでも、この足は
あなたの導く道を進み続け
この心は最後まで信頼し続ける。
感情がすべて押し流された時にこそ
あなたをより深く知れるのだ。
目にすることはできなくても
あなたは私の最も誠実な友。[4]
もしあなたが砂漠のような場所にいるとしても、どうぞくじけないでください。信仰を貫き、「神と共に歩む者は常に目的地に到達する」と知って、心安らいでいてほしいのです。それに、砂漠を旅していると、他では手に入らないような宝へと導かれるかもしれません。