3つのリマインダー
Three Reminders
February 22, 2018
ピーター・アムステルダム
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現代社会でイエスに従う者として生きることは難しい課題ですが、私たちの思考や行動や毎日の日々が神の御旨に沿った原則に導かれている時には、舵をとって進むのがもっと楽になります。正しい決断というものは、普通、自分の前にある選択肢をキリスト中心の価値観に照らして評価し、イエスならその状況にどうアプローチされただろうと考えると、はっきりと見えてくるものです。生きていく上で、私たちはいろいろな経験をし、教訓を学び、いろいろな気づきがありますが、しばしばその後で、「将来もこれを忘れずにいられたらいいのに」と思ったりします。
学びというのは一生涯続く旅路であり、残念なことに、私たちは時として、旅の途中で同じ間違いや似たような間違いをすることがあります。知っているのに忘れてしまったり、ああすればこうなるのだということに気づかないことがあるのです。自分自身の経験からであれ、他人の経験からであれ、今まで学んだすべての真理を何とかいつも念頭に置くことさえできれば、多くの厄介ごとから免れるはずです。しかし、私たちは人間です。忙しくなりすぎたり、注意散漫になったり、忘れたりするので、他の人からの助けが必要です。リマインダー(思い起こさせるもの、記憶を呼び起こすもの)が必要なのです。
第2ペテロ3:1は、記憶を呼び起こしてくれるような、神の御旨に沿った忠告が持つ力について触れています。それは私たちが信仰を強く保つのを助け合い、互いを奮い立たせ、進歩を鼓舞し、良きわざをするよう刺激し合うように、神が私たちに望まれる方法なのです。この節にはこうあります。
愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。
ペテロは、彼らを説得したり議論したりしようというつもりはありませんでした。イエスに献身的に従う人たちの意欲を掻き立てて、彼らがすでに知り、信じてはいるものの、考えたり行動したりしていなかったことに目を向けさせようと思ったのです。
私たちは皆、時折そのようなリマインダーが必要になるのですが、それは色々なところからやってきます。たとえば、オーディオ・ポッドキャスト、友達からの助言、神の言葉を学習して過ごす静かな時、瞑想や神のささやきに耳を傾けるなどといったことです。神の御旨に沿ったリマインダーは、私たちの霊的成長における重要な要素です。それらは私たちを霊的に活発で、健全で、バランスの取れた状態に保ってくれます。
この記事では、それらが励ましと意欲の両方を与えてくれることを望みつつ、そのようなリマインダーを3つ分け合いたいと思います。リマインダーとは、本質的に、私たちがすでに知っていることです。それは新しい情報ではなく、しばらくの間考えることもしなかった重要な真理(大なり小なり)なのです。私たちは神の御旨に沿ったリマインダーから、強さ、希望、新たな決意を得て、それを心に抱いて日々を過ごすことができます。
日常生活ナビ
フランシス・チャンが語ったこの話には、とても共観できるものがあります。これは神が私たちと共に働かれる方法の中でも、とくに私が好きなものの一つです。
カーナビの一番好きなところは、彼女(私のカーナビは女性の声なので)が私の間違いを正してくれることです。彼女が右に行くように言っても、何かの理由で私がその角を曲がらないことがあります...でも、彼女は絶対に怒ったりしません。ただ、「再計算中です」と言うだけです! 「どうして曲がらなかったんですか? また余分の仕事をしないといけないじゃないですか!」などとは決して言いません。...彼女は計算し直して、別のルートで目的地まで案内します。
私はあの声が好きです。許しに満ちた、恵み深い声です。「再計算中です」と言う彼女の言葉は、こんな風に聞こえます。「フランシス、曲がり角を間違えましたよ。でも目的地まで案内しますから。心配しなくていいわ。時間がもう少しかかってしまうから、次は気をつけて聞いていてくださいね。でも、ちゃんと目的地まで案内しますよ。」
それこそ、私の人生で今までずっと聖霊がしてくださったことです。私は何度か曲がり角を間違えました。すると神は「再計算中だよ」と言うのです。「心配しないで。ちゃんと目的地まで案内するから。わたしは今も、わたしがあなたを創造した目的通りの人に形づくるつもりだよ。今回のヘマはかなり大きかったから、時間がもっとかかる。しかし、心配は無用だ。どうやって目的地まで連れて行くか、わたしはちゃんと知っているから。」
あなたが曲がり角を間違った時や、主との歩みにおいてこんなはずではなかったと思うような場所に陥った時も、聖霊があなたに「再計算中だよ。心配しないで。ちゃんと目的地まで案内するから」と告げる声が聞こえるよう望みます。ある時点で、あなたは耳を傾けなければなりません。ある時点で、あなたは神の言葉が私たちを命に導こうとしているのだと信頼しなければなりません。今こそ、神が与えてくださる指示をしっかり聞いて、自分はどこに向かうつもりなのかと自問すべき時です。[1]
リマインダー: 人生の曲がり角を誤った時でも、すべてが失われたわけではありません。聖霊は常にあなたを正しい軌道に乗せようとして、ルートを「再計算」しているところです。神は忠実であられ、あなたが目的地に到着できるよう助けたいと望んでおられます。あなたはただ、耳を傾けて従うだけでいいのです。
「イエス」対「サタン」
私たちは神の言葉で満たされているべきだというのは、今まで何度も何度も聞いたリマインダーです。事実、あまり何度も聞いたので、ただの決まり文句のようになってしまうこともあります。しかし、実際に時間を作って神の言葉を吸収することで心と精神を強めることは、極めて重要です。
神にはあなたの人生のためのご計画があるという言葉は、おそらく何度も聞いたことでしょう。でも、悪魔もあなたの人生のための計画を持っていることを、知っていましたか? あなたの人生のための、神とサタンの計画は、この一つの聖句に要約されます。イエスはまず、悪魔の意図、目標、計画を述べ、次に神の場合はどうなのかを述べられました。イエスはこのようにおっしゃっています。
盗人[サタンのこと]が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたし[イエス]がきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。[2]
イエスはこの警告以外にも、私たちに対する敵の卑劣な計画から私たちを保護する秘訣を教えてくださいました。その保護とは、神の言葉であり、それに従うことです。
マタイ13章には、種を蒔く人のたとえ話があり、神の言葉のことを「種」と言っています。私たちは心の「地」(土)を手入れして、「種」が根を下ろし、育つようにしなければなりません。イエスは言われました。「良い地にまかれたものとは、御言を聞いて悟る人のこと…」3 イエスは続けて、そのような人は実を結ぶとおっしゃいます。[3] 私たちの心が実を結ばせる「良い地」となるには、神の言葉に対する情熱を持たなければなりません。神の言葉を読み、学習することを、生活において不可欠な習慣にする必要があります。私たちは食物を買います。それと同様に、霊の献立もプランしなければなりません。私たちは決まった時間に食事をします。それと同様に、霊の栄養も、時間を決めて摂るべきなのです。
神は御言葉が、ただ勉強できるように、心に蓄えられるように、と考えておられたのではありません。私たちが直面する最も困難な状況において、御言葉に生き、人生の戦場で実践するようにと考えておられたのです。神の言葉が私たちに与えられているのは、私たちに強さと希望を与え、患難を切り抜けさせ、私たちを勝者とするためです。もちろん、その力にあずかるには、御言葉を日頃から学習し、それを毎日の生活において実践しなければなりません。
毎日の生活は戦いともなりえます。人生は難関だらけです。しかし、それと同時に霊的な「戦い」が行なわれているので、あなたはチーム・イエスの一員として、神の言葉でたっぷり満たされ、心の地を手入れし、チーム・サタンの攻撃から身を守るべきです。あなたのためのサタンの計画は良いものではありません。ですから、サタンの邪悪な思惑に対して神の言葉の保護力を使いましょう。
リマインダー: 神の言葉はあなたに強さと希望と霊的栄養を与えるばかりか、あなたの人生に対するサタンの思惑と攻撃からあなたを守ってくれます。毎日の生活において、神の言葉に、重要性と、時間と、焦点と、それにふさわしい場所を与えなさい。
後回しせずに、今すぐ
神の仕事や、神が私たちのために立ててくださった計画に、「いつか」加わるからと後回しにしてはいけません。私たちは今何をしていようと、神の素晴らしい計画に今日、今すぐ、参加することができます。
ルイー・ギグリオ牧師はそれをこのような言葉でうまく表しています。「私たちはよく、神から大いに使われることについて、それが『今すぐ』の話ではなく、『いつか』そうなる話として考えます。自分たちを『まだそこまで行っていない』というメンタリティーに設定する待機状態の生き方をしています。今という時をつかむことをせず、次に何が来るかといつも待っているのです。」[4]
まだ実現していない将来のチャンスについて考えるよりは、むしろたった今のことを考えましょう。今日、あなたがいる状況を見て、たとえそれが混乱に見えたり、一時的なものに見えたり、あるいは困難に見えたとしても、その只中で神におできになることを受け入れましょう。あなたがいる状況で、イエスの素晴らしい知らせを広めるために一翼を担えないようなものは一つもありません
自分の将来のための神の計画は何なのだろうと考えたり、「もしかしたら来年はもっと良い状況になるかもしれない、神のためにもっと何かができる場所にいられるかもしれない」、あるいは「もっと時間ができるだろう」、「もっと準備が整うだろう」と考えて、未来に目をやりそうになるかもしれません。神があなたをお使いになるのに、もっと「準備が整って」いなければならないということはありません。神はあなたの中で動き、あなたを通して働きたいのです。そして、あなたが今日、神の「塩」になり、周りにいる人たちへの神の「光」になるための力を授けたいのです。
ある人がイエスについてこんなことを言いました。「どこに行くかはさほど問題ではない。何を持っていくかが大切なのだ。」 自分の面している困難や懸念や、不確かな未来のことに意識を向けるのが人間というものですが、そういったことは一番大切なものではありません。一番大切なのは、私たちが何を携えるかです。聖霊を通して、私たちはイエスとイエスの力、目的、光、メッセージ、永遠の救いの贈り物を携えるのです。
もちろん、だからといって賢い選択をすることや、家族をしっかりと養うこと、優秀な仕事をすること、信仰の良き証しになることといった多くの責任をないがしろにすべきではありませんが、私たちがどこに行くかは、何を携えて行くかほど大切ではないことを覚えておくのは賢明でしょう。私たちは行く先々どこにでもイエスを携えるのであり、イエスこそがあの真の宝、高価な真珠なのです。
リマインダー: あなたは今日、今、神の偉大なる計画と目的の一部になる準備ができています。神に使っていただくのを後回しにしてはいけません。イエスはたった今、今のままの私たちを使いたいのです。
初版は2015年9月 2018年2月に改訂・再版
朗読:ルーベン・ルチェフスキー