ザレパテのやもめ: 希望の物語
The Widow of Zarephath: A Story of Hope
October 29, 2024
引用文集
オーディオ・ダウンロード(英語) (8MB)
ザレパテのやもめの話は、紀元前850年頃のイスラエルでのことです。国が始まって以来最悪の王の下で国民が苦しんでいた、とても悲しく辛い時代でした。アハブ王は、妻イゼベルが崇拝する異教の神バアルを導入し、彼らの治世中に、真の神の預言者たちが次から次へと殺害されていました。
そこで神は、預言者エリヤをアハブ王につかわして、あるメッセージを伝えさせたのですが、それは不吉な内容でした。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私が告げるまで、数年の間、露も雨もないであろう。」(列王上17:1) この警告を伝えた後、エリヤは荒野に逃げました。神はエリヤを、人が来ない峡谷へと導き、そこの谷川の水を飲むよう語り、同時にカラスに命じて、毎日エリヤの元へパンと肉を運ばせました。
さて、エリヤの預言どおり、雨は一滴も降らなくなり、うだるような暑さの毎日がゆっくりと過ぎ行きました。灼熱の太陽の下、乾燥しきったイスラエルの国土はダメージを受けて、穀物は育たず、水は不足し、厳しい飢饉が起こりました。しばらくすると、エリヤが水の供給源としていたケリテ川も完全に涸れてしまいました。しかし、それでも神は忠実な方であり、川が涸れたまさにその日に、エリヤにこう言われたのです。「立ってザレパテへ行って、そこに住みなさい。私はそこにいる一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしているから。」(列王上17:8–9)
ザレパテはケリテ川から北へ160km以上離れた場所にあります。エリヤは岩だらけの丘陵や荒れ地や急な山道を、何日もかけてくたくたになりながら進み、現在のレバノンの海沿いにあった町ザレパテに、ついに到着しました。暑い中、疲れ果て、ほこりまみれになったエリヤは、町の門のそばでたき木を拾い集める女性を見つけたので、懸命に声をかけました。「水を飲ませてください。少し水を持ってきてもらえませんか。」
彼女が疲れ切った旅人を気の毒に思い、水を持ってこようとすると、エリヤは彼女を呼んで、「何か食べるものもお願いします」と言いました。彼女はエリヤに向き直り、声を上げました。「主は生きておられます。私にはパンが一つもありません。ただ、壺の中に一握りの小麦粉と、瓶にほんの少しの油があるだけです。私は今ここでたき木を二、三本拾い、うちへ帰って、私と息子のために最後の食事を作ろうとしているところでした。それを食べてしまえば、あとは死ぬばかりです。」(列王上17:10–12)
エリヤは、この女性こそ、彼を世話すると神が約束されていたやもめだと気づき、大胆にもこう言いました。「心配は要りません。家に戻って、あなたが言ったとおりにしなさい。ただ、最初にそれで私のために小さいパンを一つ作って持ってきてください。その後で、あなたと息子さんのために作ればいい。」 そして、こう預言しました。「なぜなら、イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、壺の小麦粉は尽きず、瓶の油はなくならない。』」(列王上17:13–14)
そんな途方も無いことを言われて、この女性は激しく困惑し、こう思ったに違いありません。〈さっき言ったばかりよね。私はとても貧しくて、集めたたき木で息子と自分のためにわずかばかりの最後の食事を作り、その後は飢え死にするだろうって。それなのに、まず自分のためにパンを焼いてくれと言ってくるなんて。〉
しかし、エリヤが主の名によって語っていたので、これは神の人であると気づき、彼を信じることにしたのです。彼女は急いで家に戻り、壺の底に残された、ほんのわずかな小麦粉をかき集め、最後の数滴が出てくるまで、油の瓶を傾けました。それでパンを作ると、それをエリヤに持っていきました。
それから彼女はどうしたでしょうか。後片付けをし、空っぽになったはずの油の瓶を元に戻そうとすると、つい先ほどよりも重くなっていることに気づきます。ちょっと傾けただけで、新しい油が流れ出てくるのを見て、彼女は自分の目を疑いました。油がいっぱいに入っているではありませんか。
瓶を下ろし、小麦粉を入れる壺に走り寄り、ふたを開けると、驚きで声が出ました。ほんの数分前、壺は空っぽだったのに、今は挽きたての小麦粉がいっぱいに入っています。奇跡が起きたのです。
彼女は、自分と息子に対するこんなにも素晴らしい神の祝福と世話の現れを見て、新たな希望が湧き、心は神への感謝であふれました。その後も、エリヤが預言したとおり、干ばつと飢饉が起きている間、壺の小麦粉は尽きず、瓶の油はなくなりませんでした。—アクティベーテッド
希望が必要な時
希望が絶たれたように感じていますか。状況を打開する道が見えませんか。… もしあなたが希望を必要としているなら、エリヤとザレパテのやもめから、生きる力を与える教訓を得ることができます。…
エリヤがザレパテの町の門に着いた時、たき木を拾い集める若いやもめを見つけました。ただ一つ問題があって、このやもめにはパンがありませんでした。それどころか、自分と息子のために最後の食事を作り、それを食べて死のうとして、たき木を拾っていたのです。
このシングルマザーがエリヤに語る言葉からは、絶望が聞こえてくるようです。「私には、壺に一握りの粉と、瓶にわずかな油があるだけです。たき木を二、三本拾って帰り、自分と息子の食事を作ろうとしているところです。それを食べたら、あとは死ぬばかりです。」(列王上17:12)
彼女の希望は絶たれていました。文面にはありませんが、窮状を語りながら頭を低く垂れ、涙が頬を伝う様子が見えるようです。
エリヤは、「恐れることはない」と答えました。まず彼のために小さなパンを作り、その後に自分と息子のために作りなさいと。そして、主が再び雨を降らせる日まで、壺の粉が尽きることも、瓶の油がなくなることもないという、神の約束を伝えたのです。
やもめは、エリヤの言う通りにしました。それからどうなったと思いますか。神が約束されたように、小麦の壺も油の瓶も、空になることがなかったのです。それどころか、やもめと息子とエリヤには、数年にわたる干ばつの間、ずっと食べる物がありました。…
神は、千の丘にいる家畜を所有しておられ、その一頭をこのやもめに直接届けることもできたはずです。けれども、神は彼女に、信頼して従うことを求められました。彼女は、干ばつが終わるまで、神が小麦の粉も油も切らさせないという約束を受けて、自分が持っている最後のものを神の預言者に与えなければならなかったのです。
神は、単に彼女の必要を満たす以上のことを望んでおられました。異邦人の国にいるこの未信者に、ご自身こそが唯一の真の神であることを知ってほしかったのです。彼女のお腹を満たすよりも、魂を満たすことに関心を持っておられました。彼女が、自分にあるものすべてをもって神に信頼した時、神は彼女に必要なものをすべて与えてくださいました。そして、言うまでもなく、神は約束を誠実に守られました。そのようであれるのは神だけです。
もしかすると、あなたも私と同じく、若いやもめであり、シングルマザーかもしれません。そして、希望が絶えたと感じ、かなりの必要を抱えているのかもしれません。神はあなたの必要を満たしてくださいます。そう約束しておられるのです。でも、それだけではありません。神は、あなたが今の人生を超えた希望を持つことを望んでおられます。唯一の真の神として、あなたの魂を養いたいのです。
神にあって、絶望というものはありません。信仰が試されることはありますが、神にあっては、不足というものもありません。私たちが信頼して従いさえすれば、極度の干ばつと絶望の中で、エリヤとザレパテのやもめを養ってくださったのと同じ神は、私たちに対しても誠実に約束を果たしてくださるのです。—リサ・アペロ [1]
2024年10月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク