神の性質: 愛
The Nature of God: Love
March 16, 2026
ピーター・アムステルダム
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皆に愛されている聖句のひとつに第1ヨハネ4章8節があり、それは「神は愛である」と語っています。神の性質に関するこの事実は、聖書の初めから終わりまで一貫して示されており、さらに、神を知り、また愛する者たちの人生にはっきりと現れています。神の愛はそれぞれの人生において様々な形で見られるので、私たち自身の経験から、神は愛であると言うことができます。言うまでもなく、愛が神の全てではありません。神の性質と性格である、それらの属性それぞれが神の一部です。
神の愛は、神の三位一体性にも見られます。父なる神、御子、聖霊は愛であり、また、お互いを愛しています。イエスは、父から愛されていること、また父を愛しておられることについて、「天地が造られる前からわたしを愛して下さっ」たと言われました(ヨハネ17:24)。また、イエスがバプテスマを受けた時に、御父が御子への愛を宣言されたことが書かれています。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」(マタイ3:17)。
御父と御子が聖霊を愛していると明確に書かれた聖句はありませんが、愛しておられたことは推測できます。「聖霊の愛」については、ローマ人への手紙に記されています。「兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストにより、かつ御霊の愛によって、あなたがたにお願いする。どうか、共に力をつくして、わたしのために神に祈ってほしい」(ローマ15:30)。
神の愛は、すべての人に及びます。神は人類を造られて以来、ずっと愛してこられました。神とどのような関係にあるかにかかわらず、神はその人を愛しておられるのです。神の存在を信じないかもしれないし、存在はしていても自分のことを憎んでいるのだと信じ込んでいるかもしれません。神とは一切関わりたくないかもしれません。それでも関係なく、神はその人を愛しておられます。神の愛、優しさ、気遣いは、その人が人類の一部だからという理由で与えられるのです。人類は、神にかたどって造られています(創世記1:27)。神は私たち一人ひとりを愛しておられ、その愛は神の愛情深い行動、つまり人類への世話と祝福という形で表されています。
あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、これを大いに豊かにされる。神の川は水で満ちている。あなたはそのように備えして彼らに穀物を与えられる。あなたはその田みぞを豊かにうるおし、そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、そのもえ出るのを祝福し、またその恵みをもって年の冠とされる。あなたの道にはあぶらがしたたる。野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、牧場は羊の群れを着、もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、彼らは喜び呼ばわって共に歌う。—詩篇65:9–13
イエスは弟子たちに、敵を愛しなさいと説かれましたが、それは、そうすることによって弟子たちは神の愛にならっているのだと言うことです。神はすべての人に、しかも感謝しない者や悪い者にでさえ、愛と思いやりを示されるからです。
「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。—マタイ5:43–45
あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。—ルカ6:35–36
イエスはまた、神は空の鳥を世話されるのだから、鳥よりも優れた人間も世話して下さるとお話しになることで、すべての人への神の愛を表現されました。
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。—マタイ6:26–27
パウロは、ギリシャ人に話す際、この点を次のように説明しました。
神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでも、ご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たすなど、いろいろのめぐみをお与えになっているのである。—使徒14:16–17
人類に対する神の愛は、人類の救いの必要に対する答えの内に、最もはっきりと現れています。すべての人は罪人で、神と和解するためにあがないを必要としています(ローマ3:23, 6:23)。神は一人ひとりを愛しておられるので、救いの計画を立てられました。イエスが地上に来て、罪のない人生を送り、そして、私たちの罪を身に負って死ぬことにより、私たちをあがなってくださるという計画です(1ヨハネ2:2)。これによって、すべての人は神と和解できるようになりました。イエスを信じ、イエスが私たちの罪のために犠牲を払われたことを信じることによって、どんな人でも、また、どんな罪を犯していようとも、和解できるのです。イエスは、その命をすべての人のために犠牲にしてくださったので、主を信じ受け入れる人すべてが救いを得られるのです。すべての人、全世界の人を愛しているために、そのようにしてくださったのです。
神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。—ヨハネ3:16
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。—1ヨハネ4:10
驚くべきイエスの犠牲によって、神が私たちを愛し世話しておられること、私たちを気づかっておられること、また、体のためには必要な物を供給し、霊のためには救いを与えてくださったのだということがわかります。私たちは皆罪人ですが、イエスはその罰の重荷をすべて、身に負ってくださったのです。イエスが十字架上で死なれたことにより、神の愛は自己を与える愛であることがわかります。人に祝福や幸福をもたらすためにご自身を与えることは、神の性質そのものなのです。
多くの人は、罪や悪への義なる裁きと関連して人類への神の愛を理解するのは少し難しい、と感じています。神の愛は、人類に対する神の忍耐、すなわち、「あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かな」神の本質の内に見てとれます(出エジプト34:6)。神の愛は、人々が救いの贈り物を受け入れるまで待ち、そのための時間を与えることに現れています(1テモテ2:3-4)。ご自分のかたちに造られた人間への深い愛のゆえに、その怒りを忍耐強く抑えておられるのです。神学者のジャック・コトレルは、それを次のように表現しています。
もし神が、私たちが受けるに値するものを、それが値するようになった時にすぐに与えようとお決めになったならば、人類はとうの昔に滅びていたことでしょう。主の愛情深い忍耐のおかげで、罰は(それに値する人に関して)破棄されるか、究極の適用がなされる時まで、「保留」にされているのです。[1]
神が忍耐を持って罪の裁きを遅らせておられる理由とは、悔い改めて救いを受け取るための時間を人々に与え、それによって神の裁きや怒りを免れられるためです。人々があがないを選ぶための時間を与えること、それは神の性質です。神は、誰一人として滅びることを望んでおられません。忍耐をもって、人々がイエス・キリストによってあがないの愛を受け入れる時間を与えておられるのです。そのことは、次の聖句も示しています。
それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。—ローマ2:4
ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。わたしたちの主の寛容は救のためであると思いなさい。—2ペテロ3:9, 15
神はその愛により、人々が罪のために受けて当然の罰を免れ、神と和解して愛情深い関係を持てるようにしてくださったのです。私たちの罪を身代わりとなって受けるために、御子を送ってくださいました。イエスがすでに神の怒りと裁きを身に受けてくださったので、それが罪人に与えられることはありません。
あとは、一人ひとりがイエスを信じ、救い主として受け入れるだけです。そうすれば、その人の罪は赦され、あがなわれます。それが神の愛の本質であり、人類への神の賜物です。神は、自らを捧げる愛によって、罪の赦しを可能にしてくださるのです。イエスは、御自身を信じるすべての人が神と和解できるよう、御自身の命を捧げられました。神は人類に自由意志を与えられたため、この贈り物を受け入れるよう誰かを強制されることはありません。しかし、その愛ゆえに、神はすべての人がそれを受け入れることを切に願いながら、辛抱強く待っておられるのです。
神からの救いの賜物を受けた私たちは、神の愛を深く体験しています。私たちはすでに神の子となったし(ヨハネ1:12)、神と共に永遠に生きるようになるのです(ヨハネ14:2–3)。私たちは神と個人的な関係に入りました。神と交わり、神に近づき、神をより深く知っていきます。また、神の御霊が私たちの内に宿り、私たちの人生をキリストの御姿へと変えていく働きをなさっています(2コリント3:18)。
私たちは、神を知り、神を愛する者だけが体験できる方法で、神の愛を味わうことができます。イエスは私たちを「友」と呼んでおられ、宇宙の神は私たちの天の父です(ヨハネ15:15)。「わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する」(1コリント8:6)。
神の子どもとして、私たちは、神の愛の良き知らせをできるだけ多くの人に伝え、彼らも神の子どもとなって、私たちとともに神の祝福の相続人となるように招待するよう委任されています。
あなたがたは … 子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって … キリストと共同の相続人なのである。—ローマ8:15–17
初版は2012年5月 2026年3月に改訂・再版 朗読:ジェリー・パラディーノ
1 Jack Cottrell, What the Bible Says About God the Redeemer (Wipf & Stock Publishers, 2000), 358.