千歳の岩
Rock of Ages
October 19, 2017
バージニア・ブラント・バーグ
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生ける神、私たちの父なる神が、その愛とあわれみ、真実と力を持って、ご自身の言葉を保証しておられます。ですから、それを人々に伝えたくてたまらなくなり、年月が経つにつれて、ますますそうしたくなるのです。なぜなら、そのような真の喜びは、神との正しい関係の内や、イエス・キリストとの交わりの内をのぞいては、どこにも見つけられないとわかったからです。そして、世界のどこにも、神に仕えることや、神の力によって人生が変えられるのを見ること以上に満足のいくものはありません。
あなたも真の喜びがほしいなら、神の愛とあわれみと癒やしの力の素晴らしい物語を、誰かに話してみてください。相手の人生が変えられるのを見る時に、真の喜びがあなたの心を満たしてくれますから。それは、よく歌ったあの歌のようです。
私の優しい救い主よ、あなたはそれほども豊かで惜しみなく
赦しの愛を私に示し続けてくださった
私に尽きることのない蓄えがあったとしても
私の心はそれ以上をあなたに捧げたい
あなたから離れては、この世は無です
私の優しい救い主よ
乏しい食べ物も、私にとっては王の食卓
私はあなたのものだからです
私の命を、全てをあなたに捧げます
私の優しい救い主よ、あなたのために生きられますように
証書や黄金のような取るに足りないものを、差し控えたりできましょうか
いいえ、主よ、私はあなたの足元に伏します
私の優しい救い主よ、全てをあなたに捧げます
—パーマー・ハートソー [1]
それこそが、あなたの心の叫びです。主を知れば知るほど、年月が経つとともに主にますます多くを与えたくなります。なぜなら、クリスチャンとして主イエス・キリストと共に歩むことは、大きな喜びだからです。そして、ますます主の言葉を愛するようになります。詩篇作者の言葉がここにありますが、それを私自身の証しとして言いましょう。これから読みますので、悩める人はよく聞いてください。落胆している人、体が病んでいる人、魂が疲れている人は、この言葉をあなた自身に当てはめてください。耳を澄まして聞いてください。神は、この言葉を通してあなたに語られます。
「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。たとい軍勢が陣営を張って、わたしを攻めても、わたしの心は恐れない。たといいくさが起って、わたしを攻めても、なおわたしはみずから頼むところがある。それは主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。」[2] その岩とは、キリスト・イエスです。
私は、昔からあるこういった歌が大好きです。新しい歌でも美しいものがいくつかありますが、私たちが子どもの頃に習った、このような昔ながらの福音歌は、心に愛しいのです。
千歳(ちとせ)の岩よ、私のために裂かれた方
あなたの内に私を隠してください
あなたの脇腹から流れ出る
水と血とによって
重なる罪を赦し
怒りから救い、私を清めてください
—この歌によってあなたに伝えたかったことは、二番の歌詞にあります。
果てしなく涙を流せましょうか
冷めることなく熱意を保てましょうか
そのいずれにも罪を贖うことはできません
救えるのはあなた、ただあなたのみです
我が手にその代価を携えゆくことはありません
ただ、あなたの十字架に私はしがみつきます
—A・M・トップレディ [3]
救いは、そのようにして受けねばなりません。癒やしも、そのようにして受けねばならないのです。あなたが病気だったり、苦しんでいるのであれば、主は私のためにされたことを、あなたにもしてくださいます。ああ、私はあの日のことを思い出すと、鼓動が高なり、興奮します。主は祈りに答え、私の体を見事に癒してくださったのです。
今の時代、主はそういうことをされないと言う人たちがいました。主の力が当時あのように現されたのは、イエスの宣教の始まりを告げるためであり、福音を伝える時代を開始するためだったと。でも、主は今日でも全く同じことをされているし、あなたも全く同じようにして主の元へ行くのです。果てしなく涙を流すことができても、冷めることなく熱意を保てても、それが主からの癒しをもたらすわけではありません。
ただ、千歳の岩によって行くのです。イエスの支払われた代価によって行き、十字架にしがみつく、ただそれだけです。神に対して正しい心を持ち、ゴルゴダで流された血で罪を洗っていただくことによって、あなたは主の元へ行くことができます。そして、主は、快くあなたを癒やしてくださいます。
主は私たちの咎のために傷つけられたと言っておられます。私たちの不義のために砕かれたと。自ら懲らしめを受けて私たちに平安を与えてくださったのであり、しかもその同じ節に、主の打たれた傷によって私たちは癒されたとあるのです。[4]
そして、この話を結ぶにあたり、詩篇103篇にある小さな一言に注目してほしいと思います。それは「すべて」です。主はこう言っておられます。「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。主はあなたのすべての不義をゆるし、あなたのすべての病をいやし‥‥」[5] これには、あなたが今かかっている病いがなんであれ、それも含まれています。主は「すべて」と言われたし、実際に「すべて」を意味されたのです。
もう一つ、素晴らしい「すべて」の節があります。「正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。」[6] あなたの抱えている問題が何であれ、何の病気にかかっているのであれ、関係ありません。ここに書かれている小さな一言、この「すべて」という言葉をそのまま信じてください。「主はすべてその中から彼を助け出される。」 それには、あなたの抱えるその問題やその病気、その疾病、その患いが含まれています。「主はすべてその中から彼[ら]を助け出される。」
ああ、キリストは変わることのない方です。自分の過ちを告白すれば、ただそれだけでいいのです。ヤコブ 5:16にこう書かれているように。「いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。」
神があなたを祝福し、助けて下さいますように。そして、今日、あなたの手を伸ばして主に触れられるよう、あなたに信仰を授け、その信仰を強めてくださいますように。アーメン。主は今も王座におられ、祈りはたしかに物事を変えるのです。
ラジオ番組『Meditation Moments』から書き起こしたものを一部変更
2017年10月アンカーに掲載 朗読:デブラ・リー