休息とくつろぎ
Rest and Relaxation
June 16, 2020
引用文集
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ベストを尽くすには、レスト(休息)が必要。—デービッド・ブラント・バーグ
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主は言われた。「わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませる。」—出エジプト33:14 [1]
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「rest(休息)」には、平安、安らぎ、元気の回復という意味があります。「relax(くつろぎ)」には、緩める、ゆっくりする、くつろぐ、という意味があります。聖書は休息の重要性をかなり高く評価しています。これは、天地創造が行われた第1週以来、聖書全体に渡って繰り返し語られているテーマです。[2] 神は6日間で天地創造をした後、休まれました。それは神が疲れたからではなく、人類が従うべき基準を示すためだったのです。その後、十戒は安息日の休息を律法の要求事項としました。[3]
神が「安息日を覚えて」いなさいと言われたことに注目しましょう。それは新しいことではなく、天地創造以来ずっと続いてきたものでした。神の民も、そのしもべも、家畜も、7日のうち1日は休息の日を取ることになっていたのです。休みなさいという戒めは、怠けるための言い訳ではありません。安息日を迎える前に6日間働かなければなりません。土地もまた、休む必要がありました。[4] 神は休息をとても真剣に捉えておられます。
神は私たちに休息してほしいと願っておられます。私たちにとって、休むことはそうたやすくはないからです。休息するためには、神が私たちのために物事を取り計らってくださると信頼しなければなりません。私たちが一日休んでも、世界は回り続けると信じなければなりません。世のはじめに[5] 人間がすべての決定を下すと決めたときから、人類はより緊張し、あまりリラックスすることができなくなりました。この問題の始まりは園での不従順でしたが、今従順であることで、神が私たちに望んでおられる休息がもたらされるのです。[6] 「relax(リラックス)」の定義のひとつが「緩める」ことであるならば、自分の人生、キャリア、家族などを握っている力を緩め、信仰をもって神に委ねることが、リラックスする最良の方法なのです。
クリスチャンにとって、究極の休息はキリストのうちに見出せます。キリストは、「すべて重荷を負うて苦労している者」は皆、キリストのもとに来て、「自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねる」[7] ようにと勧めておられます。この世の思いわずらいから、私たちを苦しめる悲しみから、そして神に受け入れていただこうとして努力することから、完全な休息を得ることができるのは、ただキリストのうちにだけなのです。イエスが私たちの安息日の休みであるため、私たちはもはやユダヤ教の安息日を守ってはいません。イエスだけが聖く正しい方であるため、イエスにあって、私たちは自己努力の労苦からの完全な休息を得ます。「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが、彼にあって神の義となるためなのである。」[8] 私たちは今、霊的な労苦から解放され、週に一日だけでなく、常に主のもとに休むことができるのです。—gotquestions.orgより [9]
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ある考古学者がインカの部族民を何人か雇って、山奥の遺跡に案内してもらいました。しばらく移動すると、部族民は立ち止まり、これ以上進めないと言い出しました。考古学者は焦り、そして腹を立てました。しかし、いくらおだててみても、部族民はそれ以上進もうとはしません。
ところが、突然、部族民の態度が変わりました。そして、再び元気よく出発したのです。「なぜ、あんなに長い間、立ち止まり、動こうとしなかったのか」と戸惑う考古学者に、部族民はこう答えました。「速く進みすぎていたので、魂が追いつくまで待たなければならなかったのです。」—storiesforpreaching.comより
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すべてのことに時がある。くつろぐに時があり、忙しくするに時があり、浮かれ騒ぐに時があり、働くに時があり、受けるに時があり、与えるに時があり、始めるに時があり、終えるに時がある。—ジョナサン・ロックウッド・ヒューイ
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疲れるというのがどういうものかは誰もが共感できますが、イエスは私たちにこう言われます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」[10]
この聖句の「くびき」という言葉は、都会に住む私たちにはほとんど意味がありませんが、アジアでは今でも男女ともに大きな荷物を担いで市場に行く姿をよく見かけます。首の後ろで左右に木の棒をかけ、その両端から籠をぶら下げているのです。その秘訣は、絶妙なバランスを保つことにあります。彼らはカゴが左右に振れすぎないように、リズミカルな歩き方を身に付けています。
イエスは、この世での時間が短いことをご存知だったにもかかわらず、一日一日の労働時間にできる限りのことを詰め込もうと必死になることはありませんでした。その代わり、バランスを保ち、疲れたら休み、[11] 弟子たちにも同じようにするよう励ます[12] ことで、大きな荷を運ぶことができたのです。また、離れたところで祈り、父から聞く時間も作られました。[13]
私たちもまた、責任ある仕事をこなすことと、離れたところで休息や充電のための時間を取ることのバランスを保ちつつ、正しいリズムを刻めば、大きな荷物を運ぶことができるのです。—ディナ・エレンズ
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私たちの体を痛めるのは荷物ではなく、その運び方です。—著者不詳
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世の中の主要な仕事は、天才がなしているのではありません。それは平凡な人によってなされているのであり、彼らは生活の中でバランスをとりながら、並外れた方法で仕事をすることを学んだ人たちなのです。—ゴードン・ヒンクレー
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幸せになるのに必要なのは、強さではなく、バランス、秩序、リズム、調和です。—トマス・マートン
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わたしの臨在がともに行き、あなたを休ませよう。あなたが疲れ果てているときには、休息を得ることばかり考えるかもしれない。その結果、わたしの臨在に対する意識が鈍くなってしまう。しかし、わたしは保証する。あなたの注意力が衰えたときでさえ、わたしの注意力は揺るぎないと。常にあなたを世話する者の注意力が無限であることを喜びなさい。
どんなに献身的な親でも、常に子供に気を配っていることはできない。眠る時間も必要だし、他の必要なことに気を取られることもある。…わたしだけが、愛する子供たちを絶え間なく見守ることができる。
いつどこで休もうかと心配するよりも、わたしがあなたに休みを与えると約束したことを思い出しなさい。心配することは、膨大な量のエネルギーを浪費させる。あなたが休息する場所に到達するために最も必要としているエネルギーを。もし、ガソリンが残り少ない車を運転していて、一番近いガソリンスタンドが遠いところにしかないなら、ガソリンの消費を最小限にするために、慎重かつ着実に運転することだろう。同じように、エネルギーが不足しているときは、この貴重な物の消費を最小限に抑える必要がある。わたしの助けを仰ぎながら、穏やかに、着実に一日を過ごしなさい。わたしはあなたを完璧に見守ることを知り、安らいでいなさい。そうすれば、あなたは限られたエネルギーを最大限に活用することができる。疲れ果てて苦労しているときにはいつでもわたしのところに来なさい。—イエス [14]
2020年6月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・ドーリー
1 新改訳2017
2 創世記 2:2–3.
3 出エジプト 20:8–11.
4 レビ 25:4, 8–12.
5 創世記 3.
6 ヘブル 3:7–4:11.
7 マタイ 11:28; 1ペテロ 5:7.
8 2コリント 5:21.
10 マタイ 11:28–29.
11 参照:マタイ 8:24.
12 参照:マルコ 6:31.
13 参照:マルコ 1:35.
14 Sarah Young,Jesus Lives (Thomas Nelson, 2009).