人生のストレスから解かれて
Relax from the Stresses of Life
November 26, 2013
引用文集
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だれでもどこかで休みが必要です! 仕事であれ、家族であれ、恋愛関係、お金のこと、子どものことであれ、長い期間困難を経験しているとしたら、たとえ困難な状況のまっただ中であっても、主にあって休むことを学ばなければなりません。そうでないと、戦いに疲れ果ててしまいます。それが理由で、パウロはテサロニケ人への手紙でこう言いました。「また、苦しみを受けているあなたがたには、わたしたちと共に休息をもって報いてくださるのです。」 [1]
「休息」と訳されているのは、ギリシャ語で「休止」、「くつろぐ」、「ストレスになるのをやめる」、「ほっとする」という意味の「anesis」という言葉です。ある学者は「anesis」について、一般のギリシャ世界において、強い圧力のかかった弓の弦を放つことを意味する言葉として使われたと述べています。
またその単語は、人生のストレスから解放されることや、少しばかりくつろぐ自由があるという意味として、比喩的な使われ方もしています。この言葉を使うことで、パウロはテサロニケの信者たちに向けて、信仰への反対に遭うことの結果として絶え間なく受けているストレスから解放を見いだすよう、切に勧めたのです。パウロは、たとえ困難な状況のさなかにあっても、それを忘れ、気にしないようにし、くつろぐことを学ぶよう熱心に勧めています。
この節に解釈を加えて訳すと、こうなるでしょう。「まだ苦しみを受けているあなたがたに言いますが、今は力を抜いて一息つき、くつろぐ時です。プレッシャーの下にいるというのがどういうものか、私たちは知っていますが、誰一人として、絶えずそのようなストレス下に留まっていることはできません。だから、少しリラックスする方法を一緒に学びましょう。悩み事を忘れ、少しばかりくつろいだりレクリエーションを楽しむ時間を取りましょう。‥‥」
問題と向き合っている時には、休暇を取るなどという考えはまず浮かばないものです。あなたは、難関の中を生き延びて、人生の次の段階までたどりつきたいだけで、しかも、それをできるだけ早く済ませてしまいたいのです! 足を上げてしばらくの間くつろぐのは無責任にさえ感じられるかもしれません。でも、神でさえ、7日目には休まれたのです。
パウロの助言を心に留めて、少しばかりのくつろぎとレクリエーションの時間を取りましょう。自分の問題から離れる時間です。また戻って問題に向き合う時までに、あなたは活力を取り戻し、ビジョンも新たに、元気も回復していることでしょう。難題を新たな目で見、新たな強さでそれに立ち向かうのです。
ですから、今日、あなたの問題に別れを告げなさい。休憩を取って、少し休み、リラックスし、元気を取り戻す時間を取りなさい。—リック・レナー [2]
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ありとあらゆることの緊張で疲れ果てている時には、祈りと信仰の翼に乗って神の所まで飛んで行き、神だけが与えることのできる安堵を得ましょう。—デービッド・ブラント・バーグ
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天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。働くべき時、休むべき時が。たずね求めるべき時、見つける時。祈るべき時、遊ぶべき時が。すべてが仕事ではなく、すべてが休みでもない。すべてが祈りではなく、すべてがくつろぎでもない。休み、回復すべき時がある。
あなたが休む時、わたしはあなたにすべきことのために必要な新鮮さを与えることができる。これからどうなるのか、何が成し遂げられなくなるかを心配してはいけない。あなたが休めば、すべきことをどのようにすればいいのかを示してあげよう。休むとき、わたしはあなたの心に語りかけることができ、あなたの思いは心配事や思い煩いや人生の色々な出来事で思いが雑然としていないので、わたしの声がもっとはっきりと聞こえるだろう。
仕事から離れて体も霊も休ませる時間を取ると、思考が明確になり、霊と体と展望が新たにされる。そして、力が新たになったので、新たな角度から仕事を見れるようになる。
霊の内で休むだけでは不十分だ。体も休みを必要としている。霊は体に宿っているので、体が疲れて弱くなり、絶え間ない緊張とストレス下にいる時には、あなたの霊もまたそこから影響を受ける。体と霊は二つで一つであって、両方とも休みが必要だ。体はくつろぎや睡眠やレクリエーションで新たにされる。そして霊が新たにされるのは、祈ることによって、またわたしの言葉で満たされることによってだ。これを通してあなたは自分に必要な休息を得、わたしにあって強められ、新たにされる。—イエス、預言で語る
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主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。 —詩篇 37:7 [3]
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あなたは収穫の畑でとても長い間労苦してきた。足と手は痛み、体も疲れている。あなたは少し休みを取るに値する。ただ思いと体と霊を休ませなさい。気持ちを落ち着ける香油のように、あなたの体中にわたしの霊を流れさせなさい。仕事上の思い煩いや心配事のすべてを、平安と静けさで覆いなさい。わたしのための奉仕はいつだってできるのだから、それを脇に置いて、わたしを愛し、感謝し、ただリラックスしてわたしとわたしの被造物を楽しむ時間を取りなさい。—イエス、預言で語る
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するとイエスは彼らに言われた、「さあ、あなたがたは、人を避けて寂しい所へ行って、しばらく休むがよい」。—マルコ 6:31
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人生とは、どれだけ疲れ果てることができるかのコンテストではない。この競走はとても長いので、すべての人が様々な地点で幾度も疲れを覚える。自分の荷を負ってくたくたになることで、わたしや他の人たちにあなたのスタミナを証明しようとしても、何の役にも立たない。懸命に努力し、がんばらなければならないことは何度もあるだろうが、休む時も何度もある。愛する人よ、休みを取りなさい。荷を降ろしなさい。わたしの腕の中でくつろぎ、休みなさい。しばらくの間あなたを抱いて運んであげよう。あなたはわたしのために多くのことをした。またそうしてくれるとわかっているが、今はあなたを抱いて力を補充してあげたい。—イエス、預言で語る
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主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂をいきかえらせ‥‥—詩篇 23:1–3
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主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。 —出エジプト33:14
2013年11月アンカーに掲載 朗読:サイモン・ピーターソン
音楽:ダニエル・ソッジ
注:聖書の言葉は、特に明記されていない場合、日本聖書協会の口語訳聖書から引用されています。