神との関係と融合
Relationship and Union with God
March 3, 2020
引用文集
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福音の主題は神との関係です。私たちの神は、三位一体の中での愛情深い関係があふれ出した存在として私たちを創造され、私たちがご自分と永遠の関係を育むことを意図されていた、関係を重視される神です。キリスト教の物語の集大成とは、婚姻の饗宴であり、結婚です。花婿であるキリスト、そして花嫁である私たち教会との。
ヨハネ14章が美しくも明言しているように、天国に目を向ける時、私たちは無事に過ごせるはるか彼方のどこか遠い場所を探しているのではありません。むしろ神というお方と、その方との関係から生じる驚異的な喜びや充足感を求めているのです。
聖書は、父や夫や友として私たちと関係を結ばれている神の御心の表明で満ち満ちており、それは創世記から黙示録まで続いています。
エデンの園でアダムとエバが神に背を向け、神に反逆した時、それ以降のすべての時代における基調が定められたことが即座にわかります。神は彼らに答えて、「あなたは何をしたのか」ではなく「どこにいるのか」[1] と言われたからです。そして、その物語の残り全体が、神が自ら代価を支払って私たちを取り戻し、私たちが神と共にいられるよう、道を切り開かれる行程なのです。
それは大いなる愛の物語であり、恋人が花嫁を追いかける壮大な冒険譚です。神ご自身が人に求愛し、人を追い求めておられるのです。神の御言葉が、ご自身との関係の内に生きるようにとの、神から私たちへの呼びかけであふれかえっているというのは、息を呑むような現実です。…1ヨハネ3:1では、喜びをもってこう語られています。:「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである!」
聖書の中では、自然を通して、聖書の言葉を通して、そして最終的には生ける御言葉であられるイエス・キリストその方を通して、ご自身を明らかにされた神に重きが置かれているのです。
イエスは弟子たちをご覧になり、ご自分を知ることによって彼らは父を知っているのであり、[2] ご自分を知ることは永遠の命を持つことであると彼らに言われています。[3] 神の自己啓示(自らを人間に現されること)はキリスト教神学の基礎であり、また私たちの保証の基盤でもあります。神がしておられることがよく理解できないことはあっても、神ご自身をよく理解できないということはない(神をほめたたえましょう!)、という事実は、クリスチャンのメッセージの中で最も深遠な真理の一つなのです。
これをさらに素晴らしいものにしているのは、神を知ることは、もしかしたら…というただの抽象的な概念ではなく、神ご自身の心の願いそのものであるということです。エレミヤを通して次のように語られているように。「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。」[4]—ターニャ・ウォーカー
「キリストにある」こと
私たちのキリストとの融合は、パウロが様々な形で(英訳聖書で)164回に渡って用いた「キリストにあって(in Christ)」という単純な前置詞句によって表されています。私たちが選ばれ、召され、再生し、義とされ、聖別され、贖われ、その復活が保証され、あらゆる霊的祝福を受けるのは、私たちが「キリストにある」場合だけです。[5]
このキリストとの融合は空間や時間を超えたものです。だからこそパウロは、クリスチャンがキリストと共に死に、[6] キリストと共によみがえり、[7] 今や天上でキリストと共に治めるために、キリストと共に天に上げられ、[8] またキリストと共にその栄光を共有する運命にあると言うことができるのです。[9]
キリストとの融合を、新約聖書の中心的メッセージの一つと呼ぶ人々がいるのも不思議ではありません。神学者ジョン・マーレ―はそれを「救いの教義全体の中心的真理」と呼びました。
A・W・ピンクは言いました。「霊的融合という主題は最も重要かつ深遠なものであるが、同時に聖書の聖なる言葉の中で最も祝福に満ちた主題でもある。」
ケンブリッジ大学の学者B・F・ウェストコットは、次のように書きました。「いったん『私たちはキリストにある』という言葉の意味を悟ったなら、私たちは人生の表面下に、神秘や希望にも似た理解不可能な深みが存在することを知るだろう。」
キリストとの融合は、イエスについて言えることは私たちについても言えるようになるほど、私たち信者が主と一つになるという、あの霊の現実です。この霊的融合によって、私たちは空間や時間を超えて、歴史上でイエスが私たちのためになされた御わざのすべての恩恵を、共有するようになるのです。それは私たちクリスチャンが何者であるかについての理解の中核となるものです。—ビル・カインズ [10]
情熱的融合
神とその人々との関係、キリストとその教会との関係は、聖書の中で花婿と花嫁との関係に例えられています。聖書にはこうあります。「あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。」[11] そして私たちは「死者の中からよみがえった方[イエス]と結ばれ[結婚し]て、神のために実を結ぶようになる」と。[12]
聖書で用いられている結婚という比喩は、イエスとその教会の親密な関係を表しており、イエスがその信者の一人一人と持ちたいと切に願っておられる、心と思いと霊の情熱的な融合を表すよう意図されています。
時代を通じて、中でもジョン・ウィクリフやレイノルズ司教やマシュー・ヘンリーのような聖書学者や神学者は、ソロモンの雅歌は寓喩であり、花婿である「愛する者」はイエスのこと、「シュラムの女」は教会のことで、主とその花嫁たちとの関係を表していると書いています。
エペソ人への手紙の中で、パウロはこの関係を「キリストと教会とを指している大きな奥義」と呼んでいます。[13]
聖書の中で、イエスとその花嫁(これは「キリストの体」とも呼ばれており、すべてのクリスチャンがその一部です)との深く継続的な個人的関係に言及されている箇所は無数にあります。「またわたしは永遠にあなたとちぎり[結婚の契約]を結ぶ。すなわち正義と、公平と、いつくしみと、あわれみとをもってちぎりを結ぶ。 わたしは真実をもって、あなたとちぎりを結ぶ。そしてあなたは主を知るであろう。」[14] 「わたしたちは、キリストのからだの肢体なのである。『それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである。』 この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている。」[15]
神と人との関係、すなわち主とイスラエルの民や、キリストと教会の関係は、旧約・新約両方において、花婿と花嫁の関係として描かれています。聖書には他の例えもあります。神は私たちの父であられ、羊飼いであられ、王であられ、いやす者であられ、また救い主です。「しかし結婚の比喩が最も頻繁に用いられている、中心的で聖書的な比喩なのです。」[16]
宗教書の著者セリア・ハーンは、次のように述べています。旧約聖書の中の、「しばしば信仰に欠ける妻ではあるものの、神にとって大切な人々としてのイスラエルの民の姿は、新約聖書の中で、教会がキリストの花嫁と呼ばれている多くの箇所において反映されています。」
天の花婿であられるイエスが、愛する人々に抱いておられる大いなる愛は、19世紀の英国の著名な福音伝道師チャールズ・スポルジョン[17] によって頻繁に語られました。神がその民について「わたしはあなたと結婚している」[18] と言われている聖句について、スポルジョンは次のように意見を述べています。
「キリスト・イエスは婚姻の結合を通して、その民と結ばれておられる。主は愛の内にご自分の教会を、貞節な乙女として信頼しておられる。主は地上において、夫として彼女にあらゆる愛情深い世話を施して下さる。夫たちの愛もそのように、純粋で熱心なものであるように。それはイエスのお心に燃えている炎のほのかな反映にすぎないのだから。そのような教会への謎めいた切望は、人のあらゆる結合を超えるものだ。キリストはそのために御父のもとを離れ、花嫁である彼女と一体となられたのだから。」
イエスは御言葉の中でこう招いておられます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」[19] 私たちが祈りの内に主のみもとに行き、へりくだって主と主の愛が必要ですと告白し、人生のあらゆる分野に主を招き入れるなら、私たちは主との真の関係に入るのです。「だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし[交わりを持ち]、彼もまたわたしと食を共にするであろう。」[20]
イエスを知ることは、イエスを愛することです。「彼はことごとく麗しい」[21] からです。いったん「主の恵み深きことを味わい知る」[22] なら、真に「人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって満たされる」[23] ことでしょう。—ファミリー・インターナショナル
2020年3月に出版 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:ジョン・リッスン
1 創世記 3:9.
2 ヨハネ 14:7.
3 ヨハネ 17:3.
4 エレミヤ 24:7.
5 エペソ 1:4, 7; ローマ 6:5; 8:1; 2 コリント 5:17; エペソ 1:3.
6 ローマ 6:1–11; ガラテヤ 2:20.
7 エペソ 2:5; コロサイ 3:1.
8 ローマ 5:17; エペソ 2:6.
9 ピリピ 3:20; 1 ヨハネ 3:2.
11 イザヤ 54:5.
12 ローマ 7:4.〈新改訳〉
13 エペソ 5:32.
14 ホセア 2:19–20.
15 エペソ 5:30–32.
16 Charles A. Gallagher, George A. Maloney, Mary F. Rousseau, and Paul F. Wilczak, Embodied in Love (New York: Crossroad Publishing Co., 1983), 117.
17 1834–1892.
18 エレミヤ 3:14.〈英語欽定訳より〉
19 マタイ 11:28–30.
20 黙示録 3:20.
21 雅歌 5:16.
22 詩篇 34:8.
23 エペソ 3:19.