平和の君
The Prince of Peace
December 9, 2014
引用文集
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「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように。平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」―ルカ 2:14、マタイ 5:9
人類は数千年もの間、平和(平安)を目指してきました。そしてクリスマスほど、平和を願う気持ちが一層強まる時期はありませんが、私たちは依然として、平和を見いだし確立することができないでいます。国家間の闘争から個人の生活に至るまでのあらゆる段階において、真の平和を実現させることは、かつてないほど難しくなっています。
聖書の「平和」という言葉には、単に争いがないこと以上の、はるかに深い意味があります。それには、健康や幸福の意味合いがあるのです。旧約聖書においては、シャーローム(平和)とシャーレーム(健全・完全)という二つのヘブル語の言葉が、そのような概念を表していました。「平和」は、内なる(霊的あるいは心の)平安や健康、豊かさや、またどんな段階においても人生とうまく折り合うことも意味していたのです。たとえ人生で問題が起こり、それがあらゆる種類の平和をかき消してしまったように見える「嵐の真っ只中」のような時期でさえも。
新約聖書では、平和・平安を表すエイレーネーというギリシャ語が、百箇所以上で用いられています。たとえば、「安らかに行きなさい」とは「暖まって、食べ飽きなさい」[1] という意味です。十字架にかかる前の夜、イエスは弟子たちに言われました。「わたしは平安をあなたがたに残していく。わたしの平安をあなたがたに与える。‥‥あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」[2]
旧約聖書でと同様に、「平和」は単に社会において「争いがないこと」よりも、はるかに深い意味があります。それは神から生じて、「平和の君」であられるイエスを受け入れる私たち一人一人に、尊い特典として与えられる、きわめて現実的な内なる幸福感なのです。そして、イエスなしに永続的は平和はあり得ません! これは、自分の生活と他の人々との関係両方において、私たち一人一人が持っている個人的な平安という意味です。人知をはるかに越えた神の平安は、非常に現実的で実際的なものです。人の与えるはかない平安を待つ必要はありません。そんなものはどの道、決して長続きしないのですから。
たとえ周りが戦争や混乱だらけでも、あなたは平和の君であられるイエス・キリストを通して、心に平安を持つことができます。外には戦争や騒動や混乱や混沌があったとしても、あなたはついにそれらを、心の中から追い出したのです。そして主は、そのような騒乱の只中にあって、あなたを守ることがおできになるのですから、心配する必要などまったくないのです。
イエスは決して眠ることがありません。ご自分の天使たちと共に、常に見守っていて下さいます。主はあなたの頭髪の一本一本をご存知です。すべては主の御手の内にあります。古い賛美歌にもあるように。「主は私の魂を、岩[イエス]の裂け目に隠して下さる。その岩が渇き干からびた地を、影で覆ってくれる。主はその愛の深みに私の命を隠し、その御手で私を覆われる。」
ですから、主はあなたがどこにいようと、必ず守ることがおできになるのです。そして主が地上であなたを世話するよりも、むしろ天の故郷に連れ帰ろうと決められるなら、あなたはどちらにしても、安泰だということです。「あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。」[3] そして、「あなた[神]は全き平安をもって、こころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」[4]
主は私たちの平和です。私たちの助けは主から来ます。私たちは神に対して信頼を抱いていられるのです。私たちは自分の信頼を、この世で最も安全な土台である主に置かねばなりません。
イエスの腕の中で安全
イエスの優しい御胸で
そこであなたの心は幸せと
甘美な休息を見いだす![5]
このクリスマスに、イエスは真の平安や慰めや、永遠の命や愛を与えたいと切に望みつつ、地上のすべての魂に手を伸ばしておられます。ご自分を受け入れるすべての人に、救いという貴重な贈り物を与えようとしておられるのです。イエスは神が世に贈られたクリスマスプレゼントです。今年のクリスマスに、イエスが与えられる平安と慰めと永遠の命を、誰かと分かち合ってはどうでしょう?
私たちが、主が私たちに望んでおられるような真に「平和をつくり出す人たち」となって、主の愛と希望のメッセージを広めることができますように。
イエスへのクリスマスの賛美の言葉
あなたは神であると同時に人であられ、王であると同時に僕(しもべ)でもあられます。あなたはとこしえの天の御座を離れて、人の肉体をまとわれました。私たちを救うために、私たちの一人となられたのです。あなたが穏やかに謙虚にこの世に下り、世界を永久に変えられたことを考える時、言葉にできない喜びがわき上がります。
私たちの只中にお生まれになった時、あなたは救いや平安や希望や愛という、この上なく素晴らしい贈り物を与えて下さいました。庶民の家庭に生まれ、ぼろきれでくるまれて、飼い葉おけの中に寝かされた小さな幼な子を通して、そのような変化が訪れるなど、一体誰に想像できたでしょうか?
クリスマスの意味を感謝します。それは、家族や友人がいてもいなくても、また順境においても逆境においても、私には常にあなたがいるということです。わたしには常に、あなたの愛があります。その愛は、時が流れても変わることなく、私や私と同じような大勢の人々を救ってくれました。あなたが地上で喜びと悲しみの両方を味わうという選択を下されたことを、感謝します。私たちのことが理解できると心から言うことができるよう、あなたが涙や痛みや、焦燥感や孤独や、疲労や死を耐え忍ばれたことを感謝します。あなたの愛ほどまったき愛は、かつて他にありませんでした。
*
クリスマスの賛美が、あたりを満たします! 素晴らしい救い主よ、私たちが感謝で一杯の心と声を上げて、あなたを賛美する声をお聴き下さい。これまで受け取った内で最高の贈り物を与えて下さったあなたへの賛美で、天地を満たしたいのです。あなたは私たちが生きるようにとご自分の命を与え、また永遠の愛と、あなたと共に永遠に生きる人生という贈り物を与えて下さいました。私たちはこの賛美のシンフォニーで、宇宙を満たしたいのです。この賛美を、あなたの耳を喜ばせ胸躍らせる音楽としたいのです。
わたしたちの一員となり、私たちが経験するあらゆることを経験し、私たちが感じるあらゆることを感じ、私たちが味わうあらゆる苦しみを味わい、私たちが歩むのと同じ人生を歩むことをいとわないほど、私たちを愛して下さったことを感謝します。世のために死に、私たちが永遠の命を持つことができるよう、私たちの罪をその身に負われたことを感謝します。何という責任でしょう! 何という謙虚さでしょうか! 何という愛でしょう! 何という復活でしょう! 何という人生でしょう!
指揮者よ、指揮棒を上げなさい! 天使のオーケストラを始めましょう。バイオリンを奏で、トランペットを吹き、太鼓を打ち叩き、シンバルを響かせ、ベルを鳴らしましょう。私たちの素晴らしい救い主であり、王であられるイエスよ、天の全オーケストラが、あなたへのとてつもなく壮大で音楽的な賛美を、宇宙全体に鳴り響かせますように。
2001年11月にTFIによって出版。2014年12月に改訂・再版。
朗読:デブラ・リー。