暗闇の中で賛美する
Praising in the Darkness
September 3, 2018
マリア・フォンテーン
オーディオ・ダウンロード(英語) (4.6MB)
この世の中では毎日多くの悪いことが起こっています。そして、私たちクリスチャンもそれらいくつかのことから免れることはできません。困難やつらい経験に直面すると、精神の平安を乱したり、イエスが求めておられることを達成するのを妨げたりすることがあるし、ときには信仰を弱める恐れさえあります。けれども、イエスは良いことと悪いことの両方を益として、最終的に私たちに良い結果をもたらすと約束してくださっています。
経験したことから良いことを見出すには、主に目を向ける必要があります。信仰の良き戦いを戦い、信仰を固守し、神に信頼しなければなりません。そうするなら、主は私たちにできないことをすると約束されました。この人生か、あるいは来世において、それら困難な経験から良きことをもたらしてくださるのです。
問題や困難が起こったなら、私たちのための神の慈しみと世話を思い出して、それゆえに神を賛美することは、悲しみや落胆を乗り越えるための最善の方法の一つともなりえます。ただ、傍目からは簡単に聞こえますが、困難の最中にいるときには、賛美に満たされるというステップはなかなか踏み難いことがあります。できっこないと思えることさえあるでしょう。もしかしたら、皆さんのほとんどは、かろうじて、「イエス様、感謝します、イエス様、感謝します、イエス様、感謝します」と言えるぐらいかもしれません。
それだけしかできないとしても、神はそれをたたえてくださいます。それにどれだけの信頼と信仰を要するかを、神はご存知です。あなたが「賛美の供え物」[1]を捧げていることを、神はご存知です。あなたにとっては「イエス様、感謝します」という言葉はあまり重要な意味があるように思えないかもしれません。けれども、その小さなステップを踏むだけでも、あなたの霊は主に向かって正しい方向へと導かれ、あなたを打ち負かそうとするネガティブな事柄から離れていくのです。
最近、問題に面したときにもっと簡単に、素早く賛美を言い表すために、ひとつ自分にできることがあると気づきました。私には、「困難なときにあっての賛美」というカテゴリーの曲をまとめたものがあります。何か大変な出来事を耳にしたときや、たとえ小さなことでも、私自身がイライラしてしまうようなことがあると、それらの曲を聴くのです。そうすると、感謝すべき多くのことや、闇のさなかでもいかに主を賛美できるかが思い起こされます。音楽を聴いていると、私も一緒に歌ってみようという気になります。
曲が終わったあとでも、心の中に歌が刻み込まれたような気がして、伴奏がなくても何度も繰り返し自分に歌いかけられるようになります。これは私の祈りと賛美の生活をグンと豊かにしてくれたし、大きな出来事でも小さな出来事でも、また素晴らしいことでも困難なことでも、効果的に主を賛美できるようにしてくれているのです。
お気に入りの一つである「I Bless Your Name」という歌は、パウロとシラスが獄の鎖につながれ、鞭に打たれて血を流していたときに、歌を歌い始めると、神が彼らの鎖を外し、彼らは自由になったという出来事についてです。私たちのほとんどは実際に鎖につながれてはいませんが、乗り越えることのできないように思える問題やつらい経験に四苦八苦して、「精神的な鎖につながれた囚人」となっているかもしれません。賛美を通してイエスへの信仰と信頼を現すことで、私たちは手を伸ばしてそういった鎖を打ち壊すことができます。
これらの歌は、私が心地よい場所で豊かに持っているときに賛美するだけでなく、「荒涼とした地」や「荒れ野」にいて、「闇がせまって」いるときでも賛美すべきことを思い出させてくれました。道には「苦しみの道標」があり、「捧げ物には苦痛が伴う」としても、神の恵みにより、私はそれでも主の御名をほめたたえることができます。
これらの歌を聴くと、サタンは嘘つきであり、「私たちが王である神の子どもではなく貧乏人であると思いこませようとしている」ことに気づかされます。けれども、敵なる悪魔に抵抗するために私たちがすべきなのは、ただ、信仰の強い盾を掲げ、主を賛美することだけなのです。主はご自身の民の賛美のうちに住まわれるからです。
「私たちを縛る鎖は、私たちが主を賛美するときに、ただ外れて落ちるのだということを思い出させるのみである。」
以下は、私にとって祝福となった幾つかの歌(英語)のリンクです。皆さんにとって祝福となるよう祈ります。
初版は2015年11月 2018年9月に改訂・再版
朗読:デブラ・リー
1 ヘブル 13:15.