徹底的にポジティブに
Positively Positive
April 25, 2016
マリア・フォンテーン
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この記事では、誰もがいつかはその人生で影響を受けるネガティブさと、どうやってそれを私たちの人生から排除し、ポジティブさと賛美に取って替えるかを主題に取り上げたいと思います。
ネガティブ思考の事で苦労しているなら、おそらくそれはあなたの習慣になっているのかもしれません。ですから、この習慣を断ち切り、思考パターンをポジティブさに替えるには、あなたの決意と意志力と努力が必要になります。ポジティブなことを考えるために自分を訓練するという努力が必要なのです。
自分自身や自分が過去にいた状況についてネガティブになっているなら、気持ちを入れ替えて、あなたを賛美とポジティブさに満ち、周りの人の人生に良い影響を与えられる人に変えてくださるよう、主にお願いするといいでしょう。以前は弱さだったものを長所に変えることもできます。あなたが主に全てを与えさえすれば、主はあなたの心と思いと願いとあなたの性質そのものを変えることがおできです。必要なのは、人生を変えてくださるよう主にお願いすること、それだけです。そうすれば主は変えてくださいます。
賛美とポジティブさの力は伝染します。ですから、皆で他の人にも移しましょう!
以下に挙げるイエスからの言葉があなたにとって励みとなり祝福となるよう願っています。
何もないネガティブさよりは、わずかでもあるポジティブなことの方がいい
ネガティブさと戦うときに覚えておくと良い経験則がある。何もないネガティブさよりは、わずかでもあるポジティブなことの方がいい、ということだ。つまり、あなたがするポジティブなことは何でも、ネガティブさに明け渡したことから生じるものよりもいいのだ。「ネガティブさ」という言葉を取って、「ポジティブさ」という言葉に置き換えてみなさい。字数は同じだが、それを行動に移すことからくる結果は天と地ほどもかけ離れている。
人の人生におけるネガティブ思考は破壊的なものとなりえる。それはわたしが個人個人の中に創造した可能性を奪い取る。ネガティブ思考は実際、昔ながらの悲観主義に過ぎない。それは人それぞれ、異なる程度かつ様々な形で現れるが、その結果は同じだ。ネガティブさは、わたしが人の人生に与えた良き目的が果たされるのを妨げる。
ネガティブな人生観は、わたしがわが子らに持ってほしい楽観的でポジティブな人生観とは非常に異なっている。それは信仰とは正反対だ。信仰は、他の人には見えない良き面や可能性を見ている。信仰はあなたがそれを使うにつれ、増していく。信仰は、状況や条件が反対の方向を指し示している時でも信じる。信仰は何があっても耐え抜く。信仰は人生に何かネガティブなことが起こった時も、進み続ける。
偉業を成し遂げたい人は大勢いる。とても多くの人が、偉大な著作や、偉大で勇敢な行いや、困っている人たちへの憐れみの偉大な行為によって世界を変える人になりたいと夢見ている。しかし、「そんなことはできっこない」というネガティブな感情のゆえに、自分の試みは失敗に終わるのではないかと恐れるので、彼らの夢を遂行するチャンスと、一歩踏み出してやってみようという勇気が奪われている。
ネガティブ思考は程度の差こそあれ、人の人生を損なう。最大限の可能性に達し、最大の願いや目標に達する機会を人々から奪い取る。それは鬱やその他の精神疾患を招き、ひいてはそれが身体的疾患につながることもある。
わたしはわが子たちに、ネガティブ思考を乗り越えるよう呼びかける。できっこないという態度は、あなたはわたしによって何事でもすることができるし、わたしには何でもできるのだという信仰の核心に打撃を与える。[1]
ポジティブになれる理由はたくさんある。わが子らに自信が不足しているなら、神の子であるわたしが彼らのために死んだことを思い出すだけでいい。彼らはわたしとわたしの父から見てかけがえのない存在であって、それゆえにわたしは人間の姿をとって、拷問を受け、彼らのために死ぬという屈辱を受けたほどだ。
自分の価値を疑いそうになるときには、少し時間をとってその真実をじっくり考えなさい。
ネガティブ思考はわたしがあなたに与えたい素晴らしい喜びと、自分は役に立っているという感情を取り去る。一部の気の毒な子どもたちは、このネガティブ思考が深く根付いてしまい、自分がなることのできる神の人の半分のレベルで生きている。
だから、わたしに集中してポジティブに考えるよう、意識的な努力をしなさい。自分についても、他人についてもポジティブに考えなさい。わたしとわたしの言葉と、あなた自身に対して信仰を持ちなさい。わたしは自分のしていることをわきまえてあなたを従う者として選んだのだという信仰を持つのだ。自分の可能性を最大限に活かしなさい。身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救いが近づいているのだから。
勝利のための秘訣
もしあなたが慢性的なネガティブ思考者であれば、おそらく変わろうという試みはすでにやり尽くしているだろうから、今は一歩下がって、わたしにさせる番だ。わたしが、あなたのために、あなたと共に、あなたを通して、わたしのやり方でするにまかせなさい。もしかしたら、あなたにとって最初は非論理的に思えることをするよう告げるかもしれないが、いったん思い切って始め、それをやり通すなら、それこそがあなたを勝利へと導く小道であると知るだろう。
正しい方角にあなたを連れて行き、後々にはあなたをその道に留めさせてくれるステップはたくさんある。例えば、
- わたしの言葉に浸り、信仰を強め、わたしと共にいることを楽しむ時間を取る。
- ゴールを定める。最初は小さなゴールを。それからそのゴールに達したら、それを祝う。最初のゴールが小さくて、一度に1日づつ、ポジティブであり続け、わたしを賛美するしかできないとしても、それも進歩であって、その進歩は祝うだけの価値がある。前もって自分のしたいことを選んでおき、いったん最初のゴールに達したら、それをして祝うと決めなさい。
- 記録をつける。専用のファイルかノートを用意して、そこに進歩の記録をつけなさい。ネガティブ思考に新たに対抗すると決めた日から始めて、最初のゴールに、また次のゴールに達した時のこと、あなたの助けになった賛美の言葉や約束など、すべてを。これは、さらに大きな勝利へと進み続ける励みとなるだろう。
- どうすれば他の人たちに積極的に手を差し伸べ、励ますことができるかについて、計画をわたしにたずね求め、毎日少なくとも一人の人の1日をより良くするよう力を尽くしなさい。あなたが積極的に誰かの1日を明るくする時ほど、あなた自身にとって励みとなりポジティブさをもたらしてくれるものはない。幸福とは、自分自身のことばかり考えていない時に育つものだ。
- 毎日わたしを賛美する時間を決める。特に、あなたのすべての心配事や重荷、思い煩い、恐れを、賛美に変えるためにこの時間を取りなさい。大変な1日を過ごしていたとしても、それでも良いことについてわたしを賛美し、感謝することができる。
超越する
あなたの人生が完璧になることは決してない。物事があなたの望み通りになることは決してない。いつだって、落胆させられることが起こるだろう。それによって落胆の連鎖反応が始まるのを許してはならない。落胆の思考は一つから始まり、それが二つめを呼び、それから三つめへと、どんどん続いていく。間もなくあなたは自分が落胆のもやに囲まれ、頭上には暗い雲が立ち込め、陽光の輝く青空は全く見えないように感じるだろう。多くの場合、あなたには落胆しても「当然」なだけの理由があるのだが、だからといって落胆すべきだということではない。
落胆やネガティブさなどの感情は自然のものであり、困難な状況や間違った方向に進むことなどへの生まれながらの反応だ。この類の反応は、人間としての性質の一部である。
だから、困難を超越することは超自然的な反応なのだ。何かが間違った方向に行く時や、愛されていないとか必要とされていないと感じる時、あるいはその戦いが何であれ、落胆するのが人間の性質というものだ。しかし、あなたは御霊の力に完全に降伏すると心に決めることによって、これらの生まれながらの反応を超越するという意思を持った方がいい。
あなたの人生のすべてが悩みや問題から解放されることで勝利と幸せが来るのではない。この地上の物事があなたを引き下げようとするのを許さないと決め、超越することを選ぶ時に、最も幸せになれる。
あなたは落胆や困難があなたをネガティブにし、落胆させるままにしておくのか? それとも、「神をほめよ!」と言って、ポジティブな道を進むのだろうか? ポジティブな道を歩み、超越するための力を与えてくれるポジティブさとわが霊の賜物のための余地を作るには、意識的な決意を要する。
思いと心と魂と霊と、さらには体、目と耳と口さえも、熱心で心からの、自由を与える賛美で満たすよう、引き続き一貫して努力しなさい。困難な時もわたしを賛美し通しなさい。わたしを賛美する歌を歌えば、勝利のための場所ができるから。
初版は2005年12月。2016年4月に改訂・再版。
朗読:デブラ・リー。
1 ピリピ 4:13; マルコ 10:27.