障害を乗り越える
Overcoming Obstacles
February 20, 2025
「より幸せな人生の秘訣」シリーズ
オーディオ・ダウンロード(英語) (11.5MB)
課題
歴史上の有名人、探検家、開拓者たちの功績を調べてみると、偉業、科学的発見、建築、芸術作品のほとんどは、それが現実化するまでに長年の計画と骨折れる作業を要することがわかります。そればかりか、ビジョンと忍耐力と決意を持って、さまざまな障害を乗り越え、そのビジョンを最後まで貫き通さなければならなかったのです。
聖書は、競走といったスポーツを例えにあげて、ゴールに到達し、勝利を勝ち取るには、ただ歩いてゴールラインを越えればいいわけではないという現実を教えています。ゴールに到達するには、持久力、粘り強さ、忍耐力が必要であり、さまざまな障害や反対を押し切ってでも奮闘することを厭わない態度が必要なのです。クリスチャンの霊的生活にも、スポーツと同じことが言えますが、ただひとつ重要な違いがあります。勝利には、自分の力ではなく主の力に頼り、信仰の導き手であり完成者であるイエスを仰ぎ見続けることが必要なのです。(ヘブル12:2)
現代風に言えば、使徒パウロはこのように説明しています。「ですからあなたがたも、優勝するために走りなさい。競走の選手はベストを尽くせるよう、何事にも節制しなければなりません。彼らは、やがては朽ちてしまう栄冠を得ようと、あらゆる困難と戦い、ひたすらトレーニングに励むのですが、私たちは、決して朽ちない栄光を受けるためにそうするのです。ですから私は、ゴールを目指して、わき目もふらず全力で走ります。勝つために戦うのです。空を打つようなボクシングをしたり、おもしろ半分に走ったりはしません。」(1コリント9:24–26 リビングバイブル)
粘り強く走り抜く
テネシー州の僻地の掘っ立て小屋で、とても貧しい家庭に生まれた少女の話をしましょう。彼女は22人兄弟の20番目で、未熟児として生まれ、病弱でした。彼女が生き残るかどうかは疑わしいものでした。4歳の時には、両側性肺炎と猩紅熱を併発した後、左足が麻痺して動かなくなり、脚に鉄製の補助具をつけなければならなりませんでした。しかし、幸いなことに、彼女には励ましてくれる母親がいたのです。
母親は、とても聡明な娘に対して、その補助具と脚でも、彼女になら[偉大なことを成し遂げることが]できると言いました。必要なのは、信仰、粘り強さ、勇気、そして不屈の精神だと。
そうして9歳の時、少女は補助具を外し、医師から「普通なら絶対に無理だ」と言われた一歩を踏み出しました。4年後には規則正しい歩調で歩けるようになりました。これは医学の奇跡と言えます。それからこの少女は、世界で最も偉大な女性ランナーになりたいという、信じられないような考えを思いついたのです。そんな脚でランナーになるとはどういうことなのでしょう。
13歳で、彼女はレースに出場しました。大幅に遅れをとった最下位でした。ハイスクール時代、あらゆるレースに出場しましたが、どのレースでもビリでした。誰もが彼女にもうやめるよう懇願しました。しかしある日、彼女は後ろから2番目になったのです。そしてある日、とうとうレースに勝ちました。それ以来、ウィルマ・ルドルフは出場したすべてのレースで優勝したのです。
ウィルマはテネシー州立大学に進学し、そこでエド・テンプルというコーチに出会いました。テンプル・コーチは、彼女には不屈の精神があって、信念と素晴らしい天賦の才能を持っていることを見抜きました。彼から良いトレーニングを受けた結果、彼女は、1960年のローマ・オリンピックに出場しました。
彼女はそこで、当時最も偉大な女性ランナーであったユッタ・ハイネというドイツ人と対戦しました。それまで誰もユッタに勝ったことはありません。しかし、100メートル走でウィルマ・ルドルフは勝利を収めました。200メートルでもユッタを破りました。これでウィルマは、オリンピックで2つの金メダルを獲得したのです。
最後に400メートルリレーが行われました。再びウィルマとユッタの対決となります。ウィルマのチームの最初の走者2人は、バトンの受け渡しを完璧に行いました。しかし第3走者がウィルマにバトンを渡したとき、彼女は興奮のあまりバトンを落としてしまい、そのとき、ウィルマはトラックを走り出したユッタを見ました。この俊足で軽快な少女に追いつける者などいるはずもありません。しかし、ウィルマはそれをやってのけたのです。こうして、ウィルマ・ルドルフは3つ目のオリンピック金メダルを獲得しました。
その日、彼女は同じオリンピックで3つの金メダルを獲得した史上初の女性となり、歴史に名を刻みました。もう二度と歩けないと言われていたのに、です。—ブライアン・キャバノー [1]
決してあきらめないで
あきらめるまでは決して失敗ではありません。そして、いつだって、あきらめるには早すぎるのです。神は、あなたの粘り強さを試すために困難な時を用いられます。忠実な人と不忠実な人の違いは、不忠実な人は困難の兆候があるとすぐにあきらめてしまうことです。忠実な人は諦めません。
忠実な人には固い決意があります。忠実な人は勤勉です。忠実な人は粘り強さがあります。忠実な人はあきらめ方を知りません。小さなドングリがどうやって樫の木になるか知っていますか。樫の木は、ただ単に、断固としてあきらめなかったドングリなのです。…
もしあなたが今、困難な時を過ごしているなら、この聖句はあなたのためです。「だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」(2コリント4:16–17)
神は、あなたの身に何が起こっているかよりも、あなたがどのような人間になっているかに関心を抱いておられます。神はしばしば、勤勉さ、決意、人格を教えるために、人生における試練、悩み、苦難、問題が起こるのを許されます。今、あなたが経験している問題はどうなのでしょう。それは、あなたの忠実さを試す試練です。あなたは嫌なことだらけな時でも神に仕え続けるでしょうか。
「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」(ガラテヤ6:9)—リック・ウォレン [2]
知恵の真珠
海底の牡蠣が貝殻を大きく開けて中に水を通します。. 水が流れると、エラが餌をとらえて胃に送り込みます。すると突然、近くにいた大きな魚が尾をひねって、砂と泥を巻き上げました。砂だ! 牡蠣は砂が大嫌いです。ザラザラしていて、一粒でも殻の中に入り込むと、たまらなく不快で居心地が悪く、実に迷惑だからです。牡蠣は急いで殻を閉じましたが、手遅れでした。硬い砂粒が一粒、牡蠣の身と殻の間に入り込んでしまったのです。
その砂粒が牡蠣をどれほど悩ませたことか。しかしすぐに、牡蠣の殻の内側に幕を張るために神が与えられた特殊な分泌腺によって、砂粒はつるつるピカピカな幕で覆われ始めました。年が過ぎゆくごとに、牡蠣は小さな砂粒の上に幕を何層も重ねていき、ついには美しく光沢のある、高価な真珠が出来上がったのです。
私たちが抱えている問題は、時にその砂粒のようなものです。それは私たちを悩ませるし、私たちはなぜそのような苛立ちや不都合を抱えるのだろうと考えます。しかし、神の恵みは、もし私たちが神に委ねるなら、問題や弱さに不思議な作用をし始めます。姿を変えた祝福のように、神はやがて私たちの人生の中にある粗い砂粒を、強さと力を秘めた貴重な真珠に変えてくださるのです。
考えてみよう...
人生の小さな悩みや心配事は、私たちの行く手を阻むこともあれば、より高貴な人格や天国への足がかりになることもあるでしょう。悩みはしばしば、神が私たちをより良いものに造り変えるための道具なのです。—ヘンリー・ウォード・ビーチャー
元気を出しなさい。今日の失敗のことを考えるのではなく、明日訪れるかもしれない成功のことを考えるのです。あなたは困難な課題に挑んでいますが、あきらめずに努力すれば必ず成功します。そして、障害を乗り越えることに喜びを見いだすことでしょう。何か素晴らしいことを達成するための努力は、決して無駄になることがないと覚えていてください。—ヘレン・ケラー
神は、楽な道のりになるとは決して言われませんでしたが、到着すればそれだけの価値があると言われました。—マックス・ルケード
聖書の言葉は...
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。—ヘブル12:1–2
もしあなたが、徒歩の人と競争して疲れるなら、どうして騎馬の人と競うことができようか。もし安全な地で、あなたが倒れるなら、ヨルダンの密林では、どうするつもりか。—エレミヤ12:5
わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。—ピリピ3:12
2025年2月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス
1 https://dailydewinspiration.com/become-what-you-want-to-be/