移り変わる人生において変わらぬ存在
Our Constant Amidst Life's Changes
December 28, 2021
引用文集
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昼は常に夜に変わり、春は夏に、夏は秋に、秋は冬に、冬は春に変わってゆきます。まったく同じ日はニつとありません。霧のかかった日もあれば、雨が降る日もあり、乾燥した日や風の強い日もあります。このように、実に多種多様な日があることで、宇宙の美しさが高められるのです。そして、(古代の著述家たちから小宇宙と呼ばれる)人間もまさにそれと同じです。人間が一つの状態にずっとあることはなく、地上の人生は勢いの強い川のように押し寄せ、うねり、絶え間なく揺れ動きながら、流れていきます。人生は人を希望で高く持ち上げ、恐れで急に落とし、喜びで右に寄せ、悲しみで左に追いやります。一日たりとも、いや、一時間たりとも、人生の他の一日や一時間とまったく同じことがないのです。
これは非常に重大な戒めであり、大切なことを私たちに教えています。つまり、かなり不確実なことが起こっているただ中にあって、揺るぎなく変わることのない心の平静を保つようにすべきであること、また、周りのすべては移り変わるけれど、私たちは動じることなく、常に神に目を向けて手を伸ばし、神を慕い求めるべきことです。
「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。」[1] いえ、実に何ものも、その愛から私たちを離れさせることはできません。患難も苦悩も、死も生も、現在の苦しみも将来の病気の恐れも、悪霊の欺きも満足の高みも悲しみの深みも、優しさも寂しさも、キリスト・イエスを基とする聖なる愛から、私たちを引き離すことはできないのです。そのように確固たる決意を持つ者は、神を捨てることも、神の尊い愛を手放すことも決してありません。その決意は私たちの魂を安定させ、私たちが寿命をまっとうする間に起こる限りない変化と機会のただ中にあって、魂を不動のものとしてくれます。—フランシスコ・サレジオ [2]
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わが子よ、わたしは主であって、変わることがない。あなたの人生において、人々や状況は絶えず変わり、それは心の奥底に不安を抱かせる。不安に脅かされ、呑み込まれそうになったら、わたしのところに来て、あなたを常にしっかりと抱きしめていることゆえに、わたしを賛美しなさい。人生の波が押し寄せてきたら、決して変わることのないわたしにしがみつくといい。わたしはイエス・キリストであり、昨日も、今日も、いつまでも変わることがない。わたしへの賛美を絶えず捧げなさい。ひどく動揺している時には、特にそうだ。わたしをほめたたえるなら、あなたの岩であるわたしへの信頼を強めてあげよう。たとえ転換期にあっても、わたしはあなたの避け所であり力であり、絶え間ない助けだ。わたしはあなたの保証だ。わたしはあらゆる変化の時期にも、あなたと共にいる。明日を恐れてはならない。わたしは既にそこにいるのだから。わたしは愛情を込めて、あなたを新たな冒険へと呼び出す。人生の変化は、偶然起こるのではない。[わたしに委ね、わたしの言葉に従っているなら]あなたに対してわたしが抱いている計画は、何ものにも阻止されることがない。そしてその計画は悪いものではなく、良いものを与えようとするものである。変わりつつあるこの世界のただ中にあって、わたしは常に同じであり、決して変わることがない。—イエス [3]
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夜が明けるとともに、私はウェールズの北海岸にある石灰岩の小高い岬グレート・オームを歩いて上り始めました。輝く朝日を浴び、手に地図を持って、元気よく足を進めたのです。グレート・オームは、そこで動くことも変わることもありません。
私が歩いていた道路は、岬の縁に沿って進んでいます。初めのうちは、柔らかな潮風で元気も出ていたのですが、まもなく海上を強い風が吹き始め、嵐雲が垂れ込めてきました。そしてほんの数分で、私のコートは雨でびしょ濡れです。グレート・オームは、動くことも変わることもなく、そこにあります。
気分はちょっとそがれましたが、天気はじきに回復するだろうと考え、歩き続けました。プラス思考は報われ、太陽が顔を出しました。暖かな陽光をふたたび浴びた私は、間もなくコートを腕にかけて歩いていました。グレート・オームは変わらずどっしりと、そこに構えています。
地図に従い、道路を外れて、野原や茂みの間を進む小道を行きました。石だらけの場所をしばらく進む内に、勾配はますます急になり、足が痛み始めました。硬そうで短い草を、羊が食んでいます。眼下の岩にはカモメが集まり、優しい上昇気流に乗って空高く舞い上がろうとしています。グレート・オームは、動くことも変わることもなく、そこにあります。
楽しい時間を過ごしながら、ついに山頂に着きました。そこの景色は壮大で、一方にはウェールズの山々、もう一方には海が広がります。グレート・オームは、動くことも変わることもなく、そこにあります。
帰りは別の道を通って行きました。ちゃんと地図を見ていたはずなのに、しばらくすると、下るどころか、同じところをぐるぐる回っているだけだと気づき、がくぜんとしました。体の疲れもあり、日没までにホテルへ戻れるかどうか心配になってきました。グレート・オームは、動くことも変わることもなく、そこにあります。
偶然、犬を何頭かつれて散歩中の地元の人に出会いました。その地は歩き慣れているので、直行の近道を教えてくれました。私はまだ疲れてはいたけれど、暗くなる前に戻れる望みが出てきて、元気になりました。グレート・オームは、揺るぐことも変わることもなく、そこにあります。
山あり谷ありの信仰の歩みも、グレート・オームでのあの一日のようです。私たちの信仰は高地に達することも、谷間に落ち込むこともあり、人生の嵐にさらされることも、旅に疲れ果てることもあります。しかし、自分がどう感じようとも、私たちの信仰の土台である神の言葉は、揺るぐことも変わることもなく、そこにあるのです。—マージ・バンクス
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神の不変性、つまり、変わることなく、常に同じであるということは、神の性質の一部です。それは、神の存在、完璧さ、決意、約束は、変わることがないということを意味します。神の性質や性格は変わることがないのです。
宇宙も、その中にあるすべてのものも、変わり行きます。ある状態から別の状態への遷移、移行があります。たとえば、人間は年を取り、それにしたがって変わって行きます。身体は成長したり小さくなったりするし、知的、情緒的にも成長したり衰えたりします。また、道徳的に変化することもあります。何かの技能を学んで練習し、それを身につけ、いずれその分野で上達することもできます。こういったことはすべて変化の例であり、被造物の命の一部なのです。
しかし、神は被造物を超越しています。変わることがありません。変わるとしたら、神は神でなくなります。
被造物はすべて「なる」のであり、現在の状態から別の状態へと変わりつつあります。神は、それに反して、「ある」わけです。神は、ある。常に。変わることがありません。—ピーター・アムステルダム
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天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は決して滅びることがない。—ルカ21:33
2021年12月アンカーに掲載 朗読:ジェリー・パラディーノ 音楽:マイケル・ドーリー
1 ローマ 14:8; ローマ 8:35.
2 フランシスコ・サレジオ(1567–1622)、『信心生活の入門』
3 ベッキー・ハーリング、『The 30-Day Praise Challenge』(David C. Cook, 2013) この箇所の参照聖句:ヘブル 13:8,15; 詩篇 46:1,7; ヨブ 42:2; エレミヤ 29:11.