老齢と勝利
Old Age and Victory
June 25, 2020
バージニア・ブラント・バーグ
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先日、ある人から、「あなたはなぜ、自分の年齢をそんなにも話に出すのですか」と聞かれました。それは、主がこれほど長い間、私を導き、守ってくださったことが本当に素晴らしい、と思うからです。そう、いま一度言いましょう。私は今、80歳です。
屋根の上から叫びたいほどです。なぜなら、それは、主がこれまでなさったことのゆえに、主に栄光を与えますから。私は5年ほど寝たきりで悲惨な状態の病人でしたが、背骨を折り、様々な苦難があったにもかかわらず、主がここに至るまで常に、素晴らしく私を導いてくださったのは、とても奇跡的なことです。
私は老いを恐れたりしません。皆さんの中には、かなり老いを恐れており、老齢は様々なトラブルや不都合をもたらす、惨めなものだと考えている人もいますね。主イエス・キリストがおられることで、私の人生は輝かしく冒険的であったし、クリスチャンである私にとっては、エキサイティングで素晴らしく、時には信じられないほど勝利に満ちたものでした。
しかし、主がおられなければ、人生は退屈で単調で、失望と失敗に満ちていたであろうことは確かです。これまで、真に神を信じていないことが原因で、虚無感に悩まされ、落ち着くことができず、言いようのない飢えを感じているたくさんの人たちと、私は話してきました。
あなたの周りの年配の人たちの中に、輝くような喜びに満ちた顔をしている人をどれだけ知っていますか。街ですれ違う老人の多くは、恐怖に囚われた不幸な顔をしており、その理由は、神への信仰が欠けているからです。嵐のときに必要な錨がなく、信頼を寄せられる主がいないのです。そのため、心に喜びがなく、それで顔にも喜びがありません。
ジプシー・スミス[1] が語ったことを、皆さんに一度お話したことがあると思います。彼が、神の年老いた聖徒である、親愛なるイスラエル人の老母と、主にあっての交わりを持ったときの話です。彼女の顔にはイエスが輝き、まるで「夜の礼拝のために明かりが灯された古い大聖堂」のようだったと語っています。
私たちは時折、そんな高齢者に出会います。彼らは神を深く信頼し、人生の道中での素晴らしい勝利と経験を証します。それは、彼らが主を信じたからです。彼らはこう言うのです。「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。」 私は、年を取ることさえも恐れません。「主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」(詩篇27:1)
何が起ころうと、私は神の御手の中にいます。神は愛情深い父であり、私は神を愛する者たちにとって、すべてが共に働いて益となることを知っているのです。(ローマ8:28) それは、生きるよりどころとなる、なんと素晴らしい約束でしょう。レイモンド・リッチー[2] がよく言っていたように、「時が経つほど、ますます良くなっていく」のです。
まさに私の証と言える詩を見つけたので、紹介します。
過ぎゆく歳月の中で
私が向かっているのは夕日ではない。
私は日の出に向かっている、
黄金の朝焼けに。
天の栄光の光が
私の目の前に現れる場所に。
日没を知らない国、
夜の闇のない国に。
私が行く小道は
太陽が沈む方へ下っているのではない。
ついに一日が終わり
影がますます深くなる道ではない。
私は丘の斜面を登るのであり
陽光がその道を照らしている。
神の終わりのない一日が始まる、
日の出の栄光へと進む道を。
私は下るのではなく、登っており
その道が暗くなることはない。
主と共に旅を続けるうちに
日はますます明るくなる。
私の目は、太陽が昇ろうとしている
丘の頂上に注がれている。
空の彼方にある故郷への
主の招きを待ちながら。
—A・S・レイツ、1953
ああ、クリスチャンでいられることは、なんと素晴らしいのでしょう。イエスは信仰について語り、当時の人々の信仰の薄さを戒められました。(マタイ6:30) 時おり、かなりの恐れを抱いていて、これから訪れる年月を、さらに恐れている人がいます。しかし、神は年月が経っても変わることがありません。主は変わることがなく、その約束も変わらず真実です。主の約束は、若い人と同様、年老いた人のためのものでもあります。そして、主は、いつまでも変わることがありません。(ヘブル13:8)
生活について思い煩い、かなり悩んでいる人もいますが、イエスはこう言われました。「ああ、信仰の薄い者たちよ。… あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。」(マタイ6:30–32) 年齢を重ねていっても、若く、生命力と活力に満ちあふれていた頃と同じように、主はあなたが何を必要としているかを知っておられます。神の約束は一つたりとも変わっていません。「信ずる者には、どんな事でもできる」という言葉は、80歳になっても、18歳のときと同じように有効なのです。(マルコ9:23)
イエスは、ご自身の同胞の信仰がそれほど薄い中、ローマの百人隊長やスロ・フェニキヤの女のような外国人たちが大きな信仰を持っていることに驚かれました。(マタイ8:5–10; マルコ7:26–29) 私は時々、長年クリスチャンである親愛なる人々の中に信仰の欠如を見て、驚くことがあります。
この上ない試練のときに、神はご自身を現してくださり、私にとって主はとても現実の方であるので、絶対的な確信を持って、「私は自分の信じてきた方を知っている」と叫ぶことができます。(2テモテ1:12) 突然の緊急事態や長引く試練の中で、主はあの約束を果たしてくださいます。「主は、『わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない』と言われた。だから、わたしたちは、はばからずに言おう、『主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか。』」 (ヘブル13:5–6)
「わたしには恐れはない。」 それは確信の宣言です。そして、「人は、わたしに何ができようか」という問いが続きます。「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵し得ようか」というわけです。(ローマ8:31)
ですから、突然の緊急事態や、時には長引く試練の中でも、主はあなたが若かったときと同じように、約束を果たしてくださるのです。神は、私たちが年老いても見放すことがないと言われます。(イザヤ46:4) もしあなたが大きなストレスのただ中にあるなら、勇気を持ち続けてください。主は、「わたしは決してあなたを捨てない」という言葉を、あなたのためにも言っておられるのです。
私たちの知っている神はそういう神であり、私たちはそれを、あらゆる条件下で、来る年も来る年も証明してきました。主は今この瞬間も、あなたが味わっているあらゆる試練の中であなたに会おうと、待っておられます。今この瞬間にも、自分の荷が軽くなるか、病んだ体に神の癒やしのタッチを感じるかしないかぎり、これ以上進めないと感じている人がいることでしょう。これはあなたへのメッセージだと受け止めてください。神は真実です。神はまことに憐れみ深いので、私たちを見捨てたりしません。(ネヘミヤ9:19)
あなたが何歳であろうと、どんな問題を抱えていようと、今この瞬間、主はあなたを気遣っておられます。主はあなたに触れたいと切望しておられるます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28) 主は今この瞬間、あなたを世話しておられるのです。
愛するイエスさま、祝福と慰めを与え、祈りに答えてください。父なる神さま、感謝します。アーメン。
ラジオ番組『Meditation Moments』を書き起こしたものより 2020年6月アンカーに掲載 朗読:キャロル・アンドリュース
1 ロドニー(ジプシー)・スミス(1860–1947)は、テントで生まれ、ジプシーのキャンプで育ち、学校に通ったことはありませんが、その力強い説教を通して、神のために何百万もの人々の人生に影響を与えました。
2 レイモンド・T・リッチー(1893–1968)は、有名な癒やしの伝道者でした。長年の宣教活動において、百万人以上の人が、彼が行った救いや癒やしの呼びかけに応じたと考えられています。