取るに足らない役割などない
No Unimportant Roles
November 24, 2015
引用文集
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あなたは神の御国の中で非常に必要とされている部分です。他の誰もあなたの役割を果たすことはできません。神は御国の中にあなたのための特別な場所をお持ちです。神は私たち一人一人を特別な役割のために造られました。それぞれが神のご計画の一部であり、タペストリーの織糸、機械の歯車、神の芸術作品であり神の教会であるジグソーパズルのピースであって、その一つでも欠けると何かが足りないことになります。
私たちは皆、神の体の一部であって、どの部分も他の部分に対して、「おまえはいらない」とは言えません。[1] すべての部分が必要とされ、最も低い者から最も強き者まで、最も取るに足らなそうな者から最も大切そうに見える者まで、最も目立たない者から最も目につく者まで、どの人も皆大切だからです。私たちがどの場所にいるのであれ、皆必要とされており、一人一人の努力が違いをもたらします。どの人も欠くことができず、どの人も大切で、どの人も自分の役割を持っており、どの人も必要とされているので、すべての人が団結し調和し協力しあって共に働かなければなりません。体のすべての部分がしっかり組み合わさってうまく共に働けるようにです。—デービッド・ブラント・バーグ
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最も小さなことに忠実な人は、明るく輝く冠をかぶります。彼らは小さな仕事でも見事に行う人たちであり、ささいな苛立ちのある中で勝利を勝ち取ります。退屈な重労働という赤茶けた道においても忠実です。王の前で上等な紫の亜麻布をまとうかのように、忠実にキッチンでエプロンをつけます。彼らはごく目立たないささいな仕事を、天の群集に見せているかのようにやり遂げます。…最も偉大な人とは、最も小さなことを忠実に行う人なのです。—ジョン・ヘンリー・ジョエット博士
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わずかなものに忠実であるなら、神はあなたに多くのものを管理させてくださるでしょう。[2] 大きな物事よりも小さな物事にはもっと多くの自己犠牲が払われていることを、イエスはご存知でした。なぜなら、これらの小さく見えない場所で行われることは、この世から全く賞賛されないからです。
聖書の中で、神が幾度小さな人々を使われたかに注目してください。もちろんそれは神の目から見て「小さな人」とか、クリスチャンの見解からの小さな人という意味ではなく、この世の目から見た、いわゆる「無名の人」ということです。あなたもそういう人たちを何人か知っているでしょう。隠れたところにいる人たちで、その人たちのことを見たり聞いたりすることはめったにありません。ああ、神はそういった謙虚な人たちをお使いなるのをいかに好まれることでしょう。神はあなたが気づけるように、身をかがめて、やもめの賽銭や、一杯の冷たい水や、マリアが持ってきた香油の箱や、パンと魚を持っていた少年を持ち上げて見せて下さいます。ですから、あなたは神の栄光のために自分のすべきことをすればいいのです。それがどんなに些細なことかは関係ありません。神はそれをとって、幾倍にも増して下さいます。
神の言葉は、「言葉によるとわざによるとを問わず…すべて神の栄光のためにすべきである」[3] と言っています。それが結局、大きな違いをもたらすのです。ある人がこう言いました。「大きなことができないなら、小さなことを神の御霊の中で、神の御名と神の栄光によって、大きくなしなさい。そうすれば必ずそれは大きなことになります。」
ある短い美しい詩を見つけました。その詩の、脇役である第二バイオリンについて書かれているところを読んでいた時、私の心は幸せで満たされました。第二バイオリン(それは二番目の場所、謙遜な場所です)を演奏することは人生のハーモニーに必要であるものの、それは最も難しいパートであると言っています。第二バイオリンを演奏するのは難しいのです。
使徒ペテロの兄弟であるアンデレの際立った特徴の一つとは、兄弟の脇役を務めることを快く受け入れたということです。マルチン・ルターのことを聞いたことがない人などいるでしょうか。しかし、ルターの脇役を務めたフィリップ・メランヒトンのことを知っている人は多くないでしょう。
ヘンリー・フォードは一度、こう言ったそうです。「リンゴの樽を見かけたら、下にあるたくさんのリンゴが上にある大きなリンゴを支えているということを忘れないように。」 人生もそうですね。誰もが公に知られる場に立つわけではありませんが、私たちはこの世に証しするものの価値を伝える上で同じだけ欠かせない存在なのです。
もし神があなたのために、隠れたところでの、人に気づかれない奉仕の場を選ばれたとしたら、神はあなたの謙遜な場所に気付いて下さるのですから、それを知って励みとしてください。「神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや…愛を、お忘れになることはない。」[4]—ヴァージニア・ブラント・バーグ
誰があなたのパラシュートを梱包していますか?
アメリカ海軍兵学校の卒業生であるチャールズ・プラムは、ベトナムでジェット戦闘機のパイロットをしていました。75回の戦闘任務をした後、彼の戦闘機は地対空ミサイルに破壊されてしまいました。プラムは戦闘機から脱出してパラシュートで敵地に着地しました。そこで捕えられ、共産主義者の刑務所に6年間入れられていたのです。彼はその苦難を生き抜き、現在その経験から学んだ教訓について講義をしています。
ある日、プラムが妻とレストランにいると、別のテーブルにいた一人の男が近づいて来て、言いました。「プラムさんですね! キティホーク(航空母艦)からジェット戦闘機でベトナムに飛び、そして撃墜されたでしょう。」
プラムはたずねました。「一体、なんだってそんなことをご存知で?」
その男は答えました。「私があなたのパラシュートを梱包したのですよ。」 プラムは驚きと感謝で息を呑みました。 その男は勢いよく手を動かして、言いました。「ちゃんと開いたんですね!」
プラムは彼に言いました。「そう、あなたが用意したパラシュートは、ちゃんと開いてくれましたよ。そうでなかったら、私は今ここにはいませんね。」
その夜は、その男のことを考えて、なかなか眠りにつけなかったそうです。プラムはこう言っています。「あの人が海軍の制服を着ていた時に、どんな姿だったのか、ずっと考えていました。水兵帽をかぶり、背中に大きな襟のついた上着、下はベルボトムのズボンという姿を。キティーホークの艦上で、何度彼の前を通り過ぎたのだろう、彼を見かけても、『おはよう、元気かい』ほどの一言さえかけなかったことが何度あったのだろうと考えました。なにしろ自分は戦闘機のパイロットで彼はただの水兵なのだからと思って。」
プラムは、その水兵が船の深部にある長い木製の作業台で費やした長い時間のことを考えました。彼はそこで、一つひとつのパラシュートのラインを慎重に重ね合わせ、絹布をたたんだりして、その度に知らない誰かの運命をその手に握っていたのです。
今、プラムは聴衆にこう問いかけます。「あなたのパラシュートを梱包しているのは誰ですか? どの人にも、その日一日をやり抜くのに必要なものを提供してくれる誰かがいるのです。」
当てはめてみよう:高慢さ。高慢さによって、あなたの人生や人々の人生にパラシュートを提供してくれる人が見えなくなってはいけません。
当てはめてみよう:励まし、感謝。あなたの人生にパラシュートを提供してくれる人を励まし、感謝する時間をとりましょう。
当てはめてみよう:コミュニティー、教会、霊的賜物。チャーリー・プラムの経験は、どのコミュニティーであれ、それがうまく機能するには、すべての人が自分の分を果たすことが必要であることを思い起こさせてくれます。それらの役割の中には戦闘機パイロットのように華々しいものもあれば、一方で裏方の役割もあります。パラシュートを詰めると言ったような、片隅で行われる一見取るに足らない仕事もあります。しかし、その全てが欠かせないものなのです。—著者不詳 [5]
2015年11月アンカーに掲載。朗読:ジェリー・パラディーノ。