マギについての考察
Musings on the Magi
December 20, 2017
フィリップ・リンチ
キリスト生誕の物語の中でも、私が特に心惹かれるのは、賢者たちの訪問です。
時にマギと呼ばれる、この謎めいた人々について触れている福音書はマタイだけであり、その詳細もわずかしか述べられていません。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、「ユダヤ人の王としてお生れになったかたは、どこにおられますか。わたしたちは東の方でその星を見たので、そのかたを拝みにきました。」ヘロデ王はこのことを聞いて不安を感じた。エルサレムの人々もみな、同様であった。そこで王は祭司長たちと民の律法学者たちとを全部集めて、キリストはどこに生れるのかと、彼らに問いただした。彼らは王に言った、「それはユダヤのベツレヘムです。預言者がこうしるしています、 『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう。』」
そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから。」 彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。[1]
マタイが最初に告げているのは、彼らが東方から来たということで、それは大まかな表現です。メソポタミアのような近辺であった可能性もあれば、今日のインドや中央アジアといった遠方の国であった可能性もあります。通説ではペルシャから来ていたとされていますが、そこは当時、ローマと因縁深い敵対関係にあったパルティア帝国の一部です。
賢者たちが初めて星を見てから、エルサレムに到着するまで、約2年かかっています。これは、ヘロデが彼らから星の現れた時について聞き、「ユダヤ人の王」を殺そうと企てて、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の子どもを全員殺すよう命じたことから推測できます。
ペルシャからエルサレムまで旅するのに、2年もかかるものでしょうか? テヘランからエルサレムまでの距離は約1000マイル(1600キロ)です。荷物を一杯に積んだアラビアのラクダは、一日に最長で40マイル(64キロ)移動できますから、ラクダの隊商がまっすぐに旅をしたなら、25日ほどで着きます。もし一日にその半分の距離しか進まないか、もっと回り道をしたとしても、50日ほどしかかかりません。となると、彼らはペルシャよりずっと遠方から来たかもしれないということになります。おそらく彼らは、けっこうゆっくりと旅をしたか、回り道をしたか、あるいは旅に出るまでかなり時間がかかったのでしょう。それら3つの要因すべてが関係していたと思えるし、しかも戦いが絶えなかった二国間の、敵意に満ちた国境を超える必要があったことは、言うまでもありません。
確かにペルシャのマギは、星の研究の権威とされていましたが、自分たちの見たその星が「ユダヤ人の王」の誕生を示していると、どうやってわかったのでしょうか。へブル語の聖書のどこにも、この特別な王の到来が、新しい星によって布告されるとは書かれていません。単に彼らの国に、そのような伝承があったのでしょうか? そしてなぜ、自国と敵対関係にある西の小国で王が生まれることが、長く危険な旅をしてまで会いに行かずにはおれないほど、彼らにとって重要だったのでしょう? 一体この賢者たちは、どんな情報を知っていたのでしょうか?
マタイは彼らが、通常描かれているような馬小屋ではなく、「家」でマリヤと幼な子に会ったと書いています。[2] ルカもまた、イエスの誕生の後は、マリヤとヨセフが普通の生活をしてきたと述べています。彼らは生後8日経ったイエスを、割礼を施すために連れ出し、[3] 生後40日経った時には、幼な子を神に捧げ、産後のマリヤを清めるために、習わし通り犠牲を捧げようと、エルサレムの神殿に連れて行ったと。[4] 明らかにヘロデは、まだあの狂暴な殺戮を始めておらず、ということは、新たな「ユダヤ人の王」について知らなかったことになります。ですから、それは賢者たちがヘロデを訪れる前のことなのです。
では、あの星はどうでしょう? イエスの誕生した時期をめぐる天文学上のデータを詳しく調べ、クリスマスの星と一致する彗星や超新星その他の天体事象を見つけようとしている記事を、毎年のように読んでいる気がします。果たしてそんなものが見つかるかどうか、怪しいものです。これは今まで存在した他のどの天体とも異なるのですから。マタイは賢者たちが東方からそれを見、それが何を意味するかを悟ったと述べていますが、エルサレムからベツレヘムまでの行程では、それを再び目にすることがなかったようです。ラクダでほんの一時間余りしかかからない距離にあるというのに。賢者たちがベツレヘムに近づくと、その星は再び現れて、「幼な子のいるところまで行き、その上にとどまった」のです。突然現れて、家の上空に停止する星などあるでしょうか?
ルカの福音書には、イエスのお生まれになった夜に、非常に明るい光が夜空に現れたとあります。
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである。」 するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびした。[5]
もしかすると、夜空に現れた「おびただしい天の軍勢」が、空をあまりにも明るく照らしたために、星を観測していた賢者たちが、それを驚異的な新しい天体であると、勘違いしたのでしょうか? ルカは、羊飼いたちに歌い終わった天の聖歌隊が、空に昇っていったと述べています。賢者たちが、[幾つかの訳本にあるように]星が昇るのを見たと言っていたことに注目して下さい。それはヨセフとマリヤの家の上空に現れた、明るい光だったのでしょうか? そう考えてもいいのではありませんか? 天使たちはわりとよく、この夫婦のもとを訪れていたようですから。[6]
そして最後に、贈り物です。贈り物が3つであったことから、賢者は3人であったという伝説が生まれたのですが、実際は2人であったかもしれず、あるいは・・もっと多かった可能性もあります。さて、黄金はわかりますが、なぜ乳香と没薬なのでしょう? この2つの樹脂状物質は、重量で比較すると黄金より高価で、現在のイエメンなどの地域に生える木から採取されます。イエメンの港から岩石都市ぺトラを通って、西方へと通じている、「香(こう)の道」と呼ばれる有名な通商路がありました。おそらく賢者たちは、そこを通ってきたのでしょう。
ユダヤ人は乳香や没薬を、神殿の香壇で焚く樹脂や薬草の調合のために用いました。それは神にとってきわめて特別な調合であったため、自分の家で同じ調合を用いて香を焚いたユダヤ人は誰でも、追放の刑に処せられると決まっていました。おそらく賢者たちは、遠方の王にはそのような異国風の贈り物が喜ばれると考えたのでしょう。そして、神殿において神への礼拝に用いられる香が、御子を拝する賢者たちによって捧げられるとは、実に意義深いことです。マリヤとヨセフがそれを何に用いたのかはわかりませんが、おそらく彼らは生活費を賄うために、それをエジプトで売ったのではないでしょうか。そこに滞在するために、お金が必要だったでしょうから。
というわけで、賢者たちはやって来て、御子を拝み、その後、全知の神からのお告げを受けて、別の道を通って東方に戻りました。そしてそこから、かつて語られた内で最高に素晴らしい物語が始まるのです。