行く手を照らす光
Lights Ahead
December 28, 2012
引用文集
私は一年の門口に立つ人に言った。「私に灯を下さい。知らない道も安全に歩けるように。」 すると彼は答えた。「 暗闇に入り、 あなたの手を神の手にゆだねなさい。 光に照らされた明るい道を歩むより、 その方があなたのためになり、 歩き慣れた道を歩むより安全である。 」1
私たちは将来に何が起こるのか知りませんが、将来が誰の手の中にあるのかは知っています。主は私たちが知る必要のあることや、知りたいと望むことを教えて下さいますが、大抵はご自分以外の誰にもわからぬよう、将来を覆い隠されるのです。そしてそれは、本当に私たちを主の近くに保ってくれます。
神は決して私たちを見捨てないと約束されました。2 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。」3 また神は、道がどこに続いているのかが見えるよう、私たちにご自分の御言葉というたいまつを与えられました。「あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。」4 —デービッド・ブラント・バーグ5
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永遠という時の中では、あなたがたが地上にいる時間は針の先に過ぎない。それは無限という時系列の上では、ほんの数年間という束の間の停車駅にすぎない。だが同時に、この停車駅はあなたが生きる時間の内で、最も重要な時間でもある。そこでしかできないことや、学び成長できないことがあるのだ。—イエス、預言で語る6
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来世においては、私たちが現在人生であると考えているものを夢として考えるようになるというのは、決して不合理な想像ではない。—エドガー・アラン・ポー
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あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。—ヤコブ 4:14
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確かに、両方の世界において最善を尽くすべきかもしれませんが、こちらの貧相な世界においては、もう一方の世界の光に照らして見ない限り、何一つ益とすることができません。今私たちが生きているのは、良く言っても、粗悪で衰えゆく人生にすぎません。私たちは皆、木の葉のように色あせるからです。意図的に来世の物の見方に基づいて生きるのでない限り、現世から何かを生み出すことはできません。この貧相な現世の時間や感覚というぼろ布からは、人が身につけたいと望むような美しい衣を作ることなど、決してできないのです。一方で、この人生が時折見せる醜い外観に恐れおののいてはいけません。それはしょせん霧にすぎないのですから。そして、霧を恐れる人などいるでしょうか?
人生はそんなにも短いのでしょうか? それはしばしの間現れて、消え去るのでしょうか? ならば、そこで最善を尽くそうではありませんか。人生が短いのなら、手を休めてはなりません。むしろできる内に、あなたの歩むどんな場所にも種を蒔いた方がいいでしょう。狭い空間に、できるだけ多くを詰め込む方が賢明です。
私たちの存在を活気で満たし、人生を勤勉な働きで満たし、真心込めて働き、心を温かさで満たしましょう。神が私たちを、命ある限り真の意味で生きさせて下さいますように! 私たちが単に生きるだけではなく、生命に満ちあふれていられますように。
時はそんなにも短いのでしょうか? ならば、その問題や辛苦について思い悩むのはやめましょう。ある人が旅をしていて、宿屋に泊まるとします。しかしいざ宿屋に入ってみると、そこは食べ物も乏しく、ベッドも硬いお粗末な場所であることに気づくのです。「何ということだ」と彼は言います。「まあよかろう、明日の朝一番にここを発つのだから。」 この世は宿屋であり、そこに何らかの不快な要素があるなら、自分はただの日帰り客で、そこに長年住居を構えるわけではないことを思い出しましょう。そしてこの世という貧相な掘っ立て小屋を仮の宿とする間、ただ最善を尽くそうではありませんか。私たちの人生は、羊飼いのテントのように取り払われます。そこは羊飼いが羊を見守っていた小屋にすぎないのです。少しの間羊を見ることになっている羊飼いは、御影石の宮殿やレンガの家を建て始めたりはしません。葦でできた小屋で十分なのであり、そこが狭いことや、頑丈でないことで文句を言ったりはしません。
明日死ぬとわかっているとしたら、しておけばよかったと思う用事をすべて済ませることでしょう。私は手袋が帽子の中に入っていて、朝すぐ出かけられる状態になっていない限り、眠りに就くことができなかったという、ホワイトフィールド氏の習慣が好きです! 彼はいつ何時呼び出しがかかるかわからないと感じていたので、いつ呼び出されてもいいように、すべてがしかるべき場所にあることを望んだのです。この人生は消え去る運命にあるのでしょうか? ではそれが、もう一つの人生の始まりであることを覚えていましょう。今の人生は、来たるべき人生の訪れと共に消え去るのです!—C. H. スポルジョン7
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むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。—イエス8
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わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。—使徒パウロ9
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私は将来を思い煩ったりはしない
イエスが何と言われたか知っているから。
今日私は主の傍らを歩く
主は将来何が起こるかご存じだから。
明日のことは
私にはわからないけれど
明日が誰の手の中にあり
誰がわたしの手を握っておられるかはわかる!
—イラ・スタンフィル
2012年12月アンカーに掲載。朗読:サイモン・ピーターソン。
音楽:ダニエル・ソッジ。