感謝を習慣とすることを学ぶ
Learning the Thankfulness Habit
November 29, 2019
引用文集
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「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 」—ピリピ 4:6
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感謝は意志による決断であり、それが意思による決断であるなら、私たちが直接その選択権を握っていることになります。感謝しようと決断するのは簡単な仕事ではありません。それには努力を要します。—チャールズ・スウィンドル
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私は『One Thousand Gifts(千の贈り物)』と呼ばれる素晴らしい本を読んでいます。それはまだほんの幼い頃に、自分の妹が自宅の私道でトラックに轢かれるのを目撃した女性の物語です。家族全員がこの出来事によってすっかり打ちのめされ、その悲惨な出来事から完全に癒されることは決してありませんでした。著者はそれからずっと、神を信じつつも神のいつくしみを信用してはおらず、心から幸せや平和を感じることもなく、自分の感じている空しさを満たしてくれる何かを常に探していました。
そしてある日、友人が、「あなたの人生で千個の美しいものを見つけてごらんなさい」と、彼女にチャレンジを投げかけました。彼女は自分が見たすべての美しいものについての日誌をつけ始めました。それは通常、「窓の外でハチドリが踊る」とか、「私の幼い娘の笑顔」、「夏の風」、「見知らぬ人の笑顔」といった、他愛のないものでした。リストはどんどん長くなっていきました。
彼女は、よく目を凝らしてみると、美しいものが毎日彼女を取り囲んでいることに気づきました。そしてそのような贈り物の数を千まで数えた時には、感謝するすべが実際に身についていました。数週間そうやってみて、自分の人生に深い幸せと喜びが宿ったことに気づいたのです。
それは真新しい概念ではありません。ダビデ王でさえ、感謝ほど自分を神に近づけてくれるものはないと知っており、こう言いました。 「感謝しつつ、その門に…入れ。」[1]
感謝の習慣を強める必要があると感じるなら、小さなことから始めるといいでしょう。夕日、甘いリンゴ、友人との時間、洗濯した衣類の匂い、面白いビデオゲームの高揚感、申し分のない一切れのアップルパイ、またはお母さんやお父さんからの抱擁といった、あなたを笑顔にしてくれる小さなものを探し出すことから始めるのです。そのうちに、人生のより重大で困難なことのいくつかについて、感謝の気持ちや、少なくとも平安を感じるようになります。そして満足することを学んでいることでしょう。
私は自分の感謝の習慣を強めることに、焦点を当てています。もっと美しいものについて考え、それらを見つけ出しています。それは確かに、私の周り中にあるのですから。そしてきっと、あなたの周り中にもあることでしょう。—マラ・ホドラー
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[ジョナサン・エドワーズは]より深く根本的な感謝の形態を「恵み深き感謝」と呼んでいます。それは受け取ったものではなく、神がどんなお方であられるかゆえに、感謝を捧げることです。神の性質や恵みや、愛や力や卓越した能力ゆえに。自分がどんな恩恵を受けたかは関係ありません。そしてそれこそが、人の人生の中で聖霊が働いている真の証拠なのです。—チャック・コルソン
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感謝の気持ちを抱く(be grateful)ことは、感謝を捧げる(give thanks)こととは異なります。感謝の気持ち(gratitude)は感情であり、感謝を捧げること(thanksgiving)は行動なのです。—ティム・ケラー
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聖書は、神に感謝するようにと命じる言葉で一杯です。[2] ほとんどの節は、「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」、[3] 「主は恵みふかく」、[4]「そのいつくしみはかぎりなく」[5] など、私たちが主に感謝すべき理由を挙げています。感謝を捧げることには、常に賛美が伴います。感謝せずに神を十分に賛美し、礼拝することはできません。
感謝の気持ちを抱き、それを言い表すことは、私たちにとって良いことです。どんな賢い父親もそうであるように、神は私たちが、神から与えられたあらゆる贈り物に感謝することを学んでほしいと願っておられます。[6] 持っているすべてのものが主からの贈り物であると思い出すことは、私たちに最大の益をもたらします。感謝の気持ちがなければ、私たちは傲慢で自己中心的になり、自分ですべてを達成したと信じ始めてしまいます。感謝の気持ちは私たちの心を、あらゆる良い贈り物の与え手であられる方と正しい関係に保ってくれます。
感謝を捧げることは、どれだけ多くのものを持っているかを思い起こさせてくれます。人というものは、強欲になりがちです。自分が持っていないもののことばかり考えてしまう傾向があります。絶えず感謝を捧げることによって、私たちはどれだけ多くのものを持っているかを思い出すのです。持っていないものよりも、むしろ祝福に思いを向けるなら、もっと幸せになります。普段当たり前と思っている事柄を神に感謝し始めると、私たちの視点は変わります。神の恵みに満ちた祝福なしには、存在することすらできないと気づくのです。
1テサロニケ5:18 にはこうあります。「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。」 私たちは、好きなものだけではなく、好きではない状況にも感謝するべきなのです。神が自分たちの人生に入ることを許されるすべての物事を、神に感謝しようと努める時、私たちは恨みを抱くことはありません。感謝と恨みの両方を、同時に心に抱くことはできません。私たちは悪いもののゆえに主に感謝することはありませんが、神が私たちを支えて、それを乗り越えさせて下さることを感謝するのです。[7] 主が引き起こされたわけではない害について、主に感謝することはありませんが、主がそれに耐える力を与えて下さることを感謝するのです。[8] 私たちは、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」という約束を、神に感謝します。[9]
たとえその状況を有り難いと感じなくても、神に対して感謝の気持ちを持つことができます。嘆き悲しんでいるとしても、それでも感謝することができます。傷つくことがあっても、やはり感謝することができます。罪に対して怒りを覚えることがあったとしても、それでも神に感謝することができます。それは聖書が「さんびのいけにえ」[10] と呼ぶものです。神に感謝を捧げるなら、心を神と正しい関係に保つことができ、神が私たちに感じてほしいと望んでおられる平和を奪い去ってしまう、数多くの有害な感情や態度から守られるのです。[11]—gotquestions.org より [12]
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「感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。」—詩篇 100:4
2019年11月にアンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ
音楽:ジョン・リッスン