御霊と足並みをそろえて進む
Keeping in Step with the Spirit
April 2, 2019
引用文集
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わたしたちは御霊によって生きるのだから、御霊と足並みをそろえて進もうではないか。—ガラテヤ 5:25 [1]
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あなたはどこに行くべきか、何をすべきか、考え出そうとする必要はありません。それは神のお仕事です。神は前もって良き事を備えておられます。あなたの仕事は単に聖霊と足並みをそろえて進むことです。…
神はあなたの人生のキャンバスに恵みの絵を描き、あなたの人生を通して、His-story(神の物語)、つまりハイフンが入ったhistory(歴史)を書いておられます。神はあなたの人生の様々な状況を通してあなたの人格を作り上げておられます。あなた自身を神の傑作以外の何かとして見なすことは、あなたの真のアイデンティティを過小評価し、ゆがめることになります。そして、あなたの運命は、あなたの真のアイデンティティを見出すことで明らかにされるのです。
運命感は、神の子として授かった生まれながらの神聖な権利です。そして、それはエペソ 2:10に見られる真実と深く結びついています。「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」
「備えて」という言葉は、道を備えるために前もって王より前に僕らを送ったという東洋の慣習に由来しています。安全な通路を確保し、王が目的地に着けるようにすることは彼らの責任でした。パウロはその古代の比喩を取って、立場を逆ににしまいた。いやむしろ、ひっくり返して正しく直したというべきでしょう。王の王が、僕たちの前に行き、道を備えられます。つまり、主は戦略的に、私たちを適切なタイミングで適切な場所に配置されるのです。神はあなたを配置しておられます。…だから神に計画をおまかせしなさい。—マーク・バターソン
パターンを見つける
壊れた楽器に残された一本の弦からメロディーを作りだすことのできる老練な大音楽家のように、神は私たちの人生のパターンを見せてくださいます。もし、これまですでに私たちを導いてきた神の恵み深い御手を、私たちが見さえすれば。私たちもヤコブのように、特定の状況における神のいつくしみを思い起こせるよう、目印として石を立てておくことは益になるでしょう。「その所でわたしの苦難の日にわたしにこたえ、かつわたしの行く道で共におられた神に祭壇を造ろう。」[2]…
多くの場合、私たちはすべてのエネルギーを人生の些細な関心ごとに置き、なぜここにいるのかを忘れてしまいます。私たちは人生の目的をないがしろにし、人生の悩みの種が二次的な追求へと追いやられています。ヨシュアは、私たち一人一人が誰に仕えるかを慎重に選択しなければならないことを思い起こさせています。だから、あなたの目標を書き留めなさい。それをどこか目立つ場所に置いて、いつもその目標を思い出せるようにしなさい。
ビリー・グラハムと活動を共にしたクリフ・バロウズは、彼(グラハム)はホテルの部屋にチェックインする際に、常にある習慣を守っていると教えてくれました。他のことをする前に、部屋の目立つ場所に家族の写真を置いたのです。こう言ったそうです。「それは私の部屋に入った全ての人に対して、家族に対する私の道徳的義務を思い起こさせる合図です。」 私が言っているのはそれなのです。人生の目標を書き留めなさい。それは、娯楽や気晴らしが正当なものかそうでないかを判断するために必要な物差しとなるでしょう。
この文脈において、私たちは神はまさにご自分の意志を明らかにすることを知ります。そして、私たちが父なる神のすでに知られている御心の内を歩くなら、神はそれほど知られていない御心の側面を明らかにしてくださいます。難しいのは、すでに知っている御心のその部分を実行することです。私たちはこれをどのように達成するのでしょう。また、人生の複雑な状況で神が私たちに何を望んでおられるのかを、どのようにして確実に知るのでしょう。これこそ、神の御心を行うことを巡って私たちの内で激しい戦いが繰り広げられる場所なのです。—ラビ・ザカライアス
良い面、悪い面、美しい面
私たちはなんでも瞬時にできる時代に生きており、なんでも瞬時にできることを期待します。それはクリスチャンの人生において、待つということを特に脆弱な時間とします。なぜなら、そのような時に、私たちは普通、神の御仕事を人の方法で行おうと試みるからです。
それがまさに、ユダの代わりの弟子を選ぶ際に起こったことです。弟子たちが用いたプロセスには、考慮すべき3つの側面があります。良い面、悪い面、美しい面です。良い面とは、階上の部屋で弟子たちが120人ほどの人々と絶えず祈りをしていたことです。悪い面とは、イエスが言われたように聖霊という贈り物を受け取るのを待たなかったことであり、イエスはユダの代わりを選ぶようにという指示を一度も与えなかったという点です。
人々は待っている間に、何度も繰り返し、神の御心から抜け出します。私たちは、神に耳を傾けて神が語られるのを待つことによって、なすべきことを導き出すよりも、神のために何かをすることを切望して、自分自身にプレッシャーをかけます。マッテヤ[彼らがユダの代わりに選んだ弟子]の名が出てくるのは、この時だけです。私たちはそれより前に彼のことを聞いたことはないし、その後も彼については聖書に再び出てきません。
神は予期せぬものを選ばれます。美しい面とは、神が正しい人を前面に出されたことであり、それは使徒パウロだったということです。神が「待て」と言われるとき、私たちは神を信頼します。神は時間に縛られておらず、待っている間に私たちが何をするかは、いつだって大きなテストとなります。かの有名なスコットランドの説教師ジョン・ムーア博士は、「神の遅延は否定ではない」と言いました。もし私たちが、神が修正しておられないものを焦って修正しようとするという悪い位置にいたとしたら、美しい面がやって来るのを待ちなさい。それは来るのだから。—チャールズ・プライス
御霊の声
主は私たちにご自身の言葉を伝え、私たち一人ひとりに神の御心を知らせると約束されました。主は私たちに、個人的な指示、指導、励まし、そして助言を与えたいと願っておられます。私たちが主を求めるとき、主は忠実に、私たちの霊を養い、強めることができる緑のまきばといこいのみぎわに導いてくださいます。そしてそれがゴールなのです。
主は多くの異なる方法で私たちとコミュニケーションを取られます。書かれた御言葉や、クリスチャンの著者による霊感を受けた他の書物を通して、そしてさまざまな方法で私たちの心に語りかけることを通して。主は預言を通して、また主と主の御言葉についての瞑想を通して、夢、幻、そして啓示を通して私たちに語られます。主から私たちへのコミュニケーションは、光景、印象、インスピレーションを受けた音楽、そして時には物理現象や神の教えに沿った助言など、様々な方法で表現されます。私たち全員が、主の静かで小さな声であれ、私たちの心に主が与える確信であれ、他の人の言葉から得た教訓を通してであれ、私たちに語りかける神の御霊の声に心を開くことができますように。
主は私たち全員が、引き続き新たな方法で信仰を成長させ、信仰の新たな頂上を開拓し、進歩と成長の新たな山頂に立つように導いておられます。私たちはそれぞれ、神が導かれる方法で神に従うにつれ、霊的な生活の中で成長を経験するでしょう。神が私たちの霊に触れるために用いられるいかなる形においても、私たちへの神のメッセージを受け入れ、受け取るなら、神の御霊とのつながりが強められるでしょう。私たちが神を喜ばせ、私たちに対する御心に従うよう努めるとき、私たちは神の臨在にあずかります。これらはすべて心の問題です。私たちの主への愛、弟子であること、そしてそれをどのように表現するかは、私たちの心からイエスの心への、自由意志による捧げ物であり、私たちを最初に愛してくださった方への愛の贈り物なのです。
私たちは、素晴らしい未来を期待できることを疑いもなく知っています。なぜなら、私たちには、人生を変え、信者たちを通して世界をより良い場所にしようと思っておられる素晴らしい神がおられるからです。私たちが神の教えと導きに従って生き、自分自身の最善を尽くして神に従い、他の人に神の愛を分かち合うなら、私たちは、私たちを愛してくださる神を通して、勝ち得て余りあるものになることが保証されているのです。[3]—マリア・フォンテーン
2019年4月アンカーに掲載 朗読:ルーベン・ルチェフスキー
音楽:マイケル・ドーリー