あなたがあなたであられるがゆえに
Just Because You Are
October 17, 2018
スティーブ・ハーツ
主が本当に気前の良い与え手であられるという事実には、議論の余地がありません。主は多くの場合、私たちが受け取りたいと望む以上に、喜んで与えたいと望んでおられます。とはいうものの、多くの人にとって、喜んで受け取ることはそれほど問題ではないと思います。いやしや健康やお金や、安定した仕事や、実り豊かな証しといった様々な祝福を、さらに多く受け取ることをためらう人などいるでしょうか?
このような祝福が豊かに注がれている時は、賛美し、主に栄光を帰す理由を見つけるのに、さほど苦労することはありません。けれども、私は最近フィリップ・サンディファーの『あなたがあなたであられるがゆえに』という歌を聴きました。
全世界の父なる神よ
あなたは私の内なる命
万物の神であり
私の心に住まわれる方
主よ、祝福の有無にかかわらず
私はあなたをほめたたえます
あなたは、ただあなたであられるというだけで
私の賛美を受けるにふさわしい方ですから
ただ、あなたがあなたであられるがゆえに
私は永遠にあなたをほめたたえます
あなたがあなたであられるがゆえに
御名に栄光を帰します
あなたがあなたであられるがゆえに
御前に命をも投げ出します
父なる神よ、あなたを崇めます
ただ、あなたがあなたであられるがゆえに
(こちらのリンク先で歌を聴くことができます。)
この美しい歌を初めて聴いたのは、十代の頃で、素晴らしい歌声と曲のアレンジが気に入って、大好きになりました。けれども、ほんの数か月前に、人生の大変な時期を通っていた時のことです。いやしの奇跡を求めて祈っていたのに、その答が見えなかった私は、この歌をもう一度聴かなければという気持ちに突き動かされ、今回は集中して歌詞に聴き入りました。その時、それは何という真実性をもって、心に鳴り響いたことでしょう! 他のどんな言葉も、その歌詞ほど「おりにかなって」(状況にピッタリと合った形で)私の心に語りかけることはできなかったでしょう。[1]
それまで私は、約束通りいやして下さるなら、かつてないほど主をほめたたえると、繰り返し主に告げていました。けれども、歌を聴いている時に、主がこう言われるのを聞いたのです。「わたしを賛美するのに、なぜその時まで待つのか? わたしがわたしであることゆえに、たった今わたしを賛美してはどうだろう?」
そして主は私に、以下のようなたとえを示されました。「結婚関係や恋愛関係において、相手の男性が贈り物を買ってくれたり、一緒に楽しいことをしてくれるなど、物質的な形で自分への愛を表現してくれる時、それに感謝しない女性などいるだろうか? とはいえ、二人が本当に愛し合っているなら、そういった物質的な表れは、女性がその男性を愛している主要な理由ではない。彼女は、彼が彼であるという理由で愛しているのだ。」 自分と主との関係も、そうあるべきであるとわかります。天使からイエスの誕生について知らされた時のマリヤのように、主が私を祝福し、私のために奇跡をすると約束された時に、それを心から信じるべきではあるものの、[2] それと同時に、主の祝福の有無や、私がその祝福を目にするまでにどれくらいかかるかに関係なく、差し控えることなく主を愛し、賛美し、主に栄光を帰すことも、しなければなりません。「常に主をほめ」たたえているべきなのです。[3]
結局のところ、イエスは私が主に捧げたものや、主のためにしたことゆえにではなく、ただ私が私であるがゆえに、ありのままの私を愛して下さいます。そんな主が、私からも同じように愛されたいと、望まれないわけがありましょうか? 天からの贈り物を受け取ることは、本当に素晴らしいですが、私は今、贈り物以上に贈り手を欲するべきであると、思い出しているところです。
これを分け合っているからといって、祈ることや、祈りの答えを受け取りたいと望むことをやめたわけではありません。ただ、そのような嘆願の祈りの中に、賛美の祈りも沢山織り交ぜて、自分が主を愛し、礼拝し、崇めていることを、主に伝えているのです。単に主が与えて下さるものや、して下さることだけではなく、主が主であられるがゆえに。