良き羊飼いイエス
Jesus, Our Good Shepherd
June 14, 2018
マリア・フォンテーン
オーディオ・ダウンロード(英語) (6.6MB)
「あなたに、暗い所にある財宝と、ひそかな所に隠した宝物とを与えて、わたしは主、あなたの名を呼んだイスラエルの神であることをあなたに知らせよう。」 —イザヤ 45:3
耐え忍んでいるどんな苦難も試練も問題も、最終的には益をもたらしてくれると知ることは、いつも助けになります。人生を通して直面する挫折や喪失にもかかわらず、主がご計画をお持ちであることを思い出して、私は大いに慰められます。ただ信頼し続けるなら、主は御心のままに、そのご計画を成就することがおできになるでしょう。時々、主が何をしておられるのか、見当もつかない時もありますが、主は私たちを、そのまま放っておいたりはされません。将来について何の励ましも展望も約束もないまま、すべてをただ信仰によって受け止めるよう、求めたりはされないのです。主はその御言葉の中で、最後にはすべてがうまく行くという、おびただしい数の約束を与えておられます。それによって私たちが愛されていると感じ、信仰が強まり、主が人生に働きかけておられる時に、より忍耐強くなれることを、ご存じだからです。
試練の時期の主な益の一つとは、そのような時にこそ、私たちは主のもとに逃れて、主との甘美な交わりの内に、主の密かな場所に隠された宝を見つけるということです。主はそのような時、あなたがご自分に手を伸ばして、導きや励ましや安心を与えてくれる言葉を直接受け取ることを望まれます。考えてもみて下さい。主が直々に、あなたの個人的な羊飼いになりたがっておられるのです。そして孤独に感じる時にも、寄りかかって泣くことのできる肩や、理解を示してくれる相手や、同情の言葉や励ましが必要な時にも、常に共にいて下さいます。
こう考えそうになるかもしれません。「だからといって、経済状態が改善されたり、病気の子どもが治ったり、直面している他の問題が解決されるわけではない。主と時間を取って、祈りや主から聞くことの内に答を求めるのは、確かに良いことだが、そこから具体的な解決策が生じるわけではない。」 そのように考えているなら、考えを改めるべき時です。つまり、自分の問題や疑問や、入り組んだ混乱状態でさえも、宇宙の神であられる方のもとに携えて行くべきだし、必要な慰めや強めや知恵を与えていただくだけでなく、神の解決策へと導いていただくべきなのです。
主から聞いてその導きや御言葉に従うなら、うまく行きます。イエスはあなたがどんな試練を通っているかをご存じであられ、一時的に重荷を取り除いてくれる、耳あたりの良い説教にまさるものを、与えることがおできになります。疑問に対する答や、途方に暮れている時の導きや、もう進み続けることができないと感じる時の慰めや、恐れている時にも証しするための勇気や、修復不可能に思われる人間関係の対立を解決する方法や、難しい決断を迫られて悩んでいる時に主の御心を行うための励ましや、主に寄りかかり、主の御力を見いだした時にのみ与えられる、超自然的な力など、あなたに必要なものを与えたいと願っておられます。
主は、問題や試練や、必要や疑問を、ご自分のもとに携えて行くなら、これらすべてや、さらに多くのものを与えると約束して下さいました。主は私たちの羊飼いであられ、主の御言葉は、私たちには乏しいことがなく、主がご自身に従う人々から良いものを差し控えることはないと約束しています。[1] 主は毎日、一日中、慰めや導きの言葉を、あなたの心に語られるでしょう。一日中そばにいて、絶えず相談に乗ってくれる誰かのように。
イエスは、地上のどんな相談相手や仕事仲間にもできないほど、多くを与えると約束されています。主はとても気前の良いお方であられるため、重荷を負って辛く感じ、誰かに心を打ち明けたいなら、あるいはすべきことに忙殺されていたり、思うように物事が運ばないと感じて苛立ったりしているなら、あなた以上にあなたのことをご存じであられる、良き羊飼いのイエスが、いつもそばにいて下さいます。あらゆる不安や思い煩いを携えて、ただ主のみもとに行き、それらを主に委ねましょう。[2]
主は数多くの他の人々や緊急事態に対応しながら、あなたをご自分の予定に組み入れようとする必要などありません。いつでも即座に助けを求めることができるのです! 主はあなたを翻弄する心配や思い煩いからの、甘美な解放をもたらされます。そしてとても素晴らしいことに、状況の全側面を理解し、より広い視野をお持ちです。主は何かを誤解されることも、早合点されることもありません。物事をあらゆる角度から、しかも地上だけではなく、天国の見方で見ておられます。
イエスは重荷を負う者の苦労をご存じであられ、孤独感を味わうことが、どれだけつらいかも理解しておられます。主は孤独や、地上の生活に伴う身体的な不快感を経験されました。イエスは混み合った困難な生活条件を耐え忍ばねばなりませんでした。それどころか、大抵は旅暮らしで、泊まる場所を探すか、屋外で眠らなければならなかったのです。主は自宅に帰って休息し、くつろぐという喜びを、味わわれることがありませんでした。静かな時間を過ごすために退くことのできる、特別な場所も持っておられませんでした。常に誰かから必要とされていたのです。そして空腹な羊たちに、絶えず奉仕しなければならなかったばかりか、あざける者たちや、主を面倒に巻き込んで悩ませようと企む者たちと、対峙しなければなりませんでした! 一日が終わる頃には、主は疲れ果て、消耗しきっておられました。だからこそ、あなたの味わっている試練を理解し、それに共感することがおできになるのです。
「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」[3] おそらく気づいていないかもしれませんが、地上の人生で直面する困難やつらい状況を通っている時、あなたはイエスがされたのと同じような学びの過程を通っているのです。これらすべてによってあなたは、イエスが望まれるような弟子へとなりつつあります。
困難で差し迫った状況に面することがまるでないなら、私たちが自ずと主に呼ばわって、主の導きや指示を求め、主から聞くために、努めて励もうという気にはならないということを、主はご存じなのです。そこで、主はその叡智の内に、私たちが人生において、様々な状況に直面することを許されます。それによって私たちが、主のもとに逃れて、主と親密に交信する術を学ばざるを得なくなるように。視界をぼやけさせる波や泥水を見下ろしている時に、主の御力をフルに活用することはできませんが、イエスに目を向け、現世だけではなく、将来についての御言葉の約束に目を向けるなら、その結果、あなたの物の見方全体が変わることでしょう。
主はあなたに、過去にしてきたのとは異なる形で、ご自分を知ることを教えておられます。これらのとてもつらい状況は、いつまでも続くわけではなく、主はあなたを、平安と豊かさの時期へと導き入れて下さるでしょう。そして、これらの経験を通して、あなたは主がいて下さるなら、それで十分であることに気づくでしょう。主がおられれば、必要は十二分に満たされます。
あなたはその心と、将来と、決断を、安心して主に委ねることができます。主はあなたを失望させることも、誤り導かれることも、決してないのです。
初版は1996年10月 2018年6月に改訂・再版
朗読:イレーヌ・クイティ・ヴェラ