まさに計画通り
It’s Just Like the Plan
January 18, 2013
ジェームズ・マッコンキー
ブルックリン橋の橋梁技術者の話を覚えていることと思います。その技術者は建築工事中に健康を損ない、何ヶ月もの間、部屋の中にとどまらなければいけませんでした。有能な妻が彼の肩代わりをし、作業員たちにその計画を実行させました。そして、ついにこの大きな橋の工事が完成したのです。体が不自由になったその技術者は、橋を見たいと言いました。彼は簡易ベッドに載せられ、橋まで運ばれました。そして、壮大な橋の美しさが余すところなく見渡せる場所に、置かれました。動くこともできずにそこに横たわった彼は、自身の天才的な作品を注意深く見渡し、太い長いケーブル、巨大な柱、地面に固定された力強い固定具に目をやりました。それから、すべての梁、桁、ロープ、ロッドを厳しい目で見つめました。すべての詳細が彼の夢見た通りになっており、きっちりと自分の計画と指定通りに念入りに仕上げられたことに、彼は気づきました。橋が自分の設計通りに正確に完成したことを知って、魂が達成の喜びに満たされた彼は、喜びに溢れ恍惚として叫びました。「まさに計画通りだ! まさに計画通りだ!」
いつの日か、私たちは栄光の内に立ち、主の御顔を見上げて、こう叫ぶのです。「神よ、私が自分のわがままで頑固なやり方から向きを変え、あなたの愛情深い完璧なやり方へと向くようにして下さったことを感謝します。あなたに人生を委ねるよう導いて下さったことを感謝します。毎日毎日、素朴な奉仕の小道を歩む私に、あなたが私の人生のために持っておられる大いなる計画の黄金の糸を一すじ一すじ集めさせて下さったことを感謝します。大きな山へとくねくねと続く小さな小道のように、人生の小道が闇にさしかかった時も光に照らされる時も、嵐の時も影の時も、弱い時も涙を流している時も、失敗の時もよろめいた時も、あなたは最後には私を目的地まで導かれました。私は今、すでに終わった自分の人生を見て、もはや『鏡に映して見るようにおぼろげに』見るのではなく、あなたご自身の素晴らしさを顔と顔を合わせて見ています。そして、神よ、それがまさに計画通りだったことを感謝します。まさに計画通りでした。」
もちろん、私たちは神の大いなる御心を逃すことのないよう、注意深く、熱心に歩まなければなりませんが、心配してはいけません。私たちはただの弱く誤りを犯しやすい人間に過ぎないので、その計画の細々とした所を間違うかもしれません。でも、これを覚えておくべきです。神は、人の心が神に対して正しい時には、見事に間違いを覆して下さるのです。それが究極的に重要なことです。私たちの人生に対する神の愛に溢れた目的を損ないうる態度を一つ見せるなら、それはその人生と、人生への偉大なる愛あふれる御心に委ねるのを拒むことになります。けれども、その人生が心の底から委ねた時、道の途中で犯した、人間の弱さと誤りやすい性質ゆえに生じた間違いは、私たちがその小道を進むにつれ、神が優しく、そして恵み深く正して下さいます。それは船を案内するようなものです。舵にかかった私たちの震える手は、進路から船をわずかにそらせてしまうかもしれません。私たちにとっては、それが実際よりももっと大きなずれに見えてしまうものです。けれども、最善を尽くして、神の御心という北極星に進路をしっかりと固定するなら、船は航海の途中で降りかかった軌道の逸れにもかかわらず、目的地の港まで確実に到着します。
ここで、私たちは極めて重要な質問に直面しています。「私の人生のための神の計画を、どのように確認できるのだろう? どうすれば間違わぬように予防手段をとれるのだろう? 神の導きと、私自身の肉の願いや野望という誤った導きとを、どう見分ければいいのだろう? 私が歩むようにと神が召しておられる道を、どうやって見つければいいのだろう?」 答えは先ずこれです。「信じなさい!」
私たちほとんどが持つ問題は、神が私たちのためにそのような計画をお持ちであるのを信じないことです。私たちは自分の道を選んでしまいます。自分の計画を練り、自分の職業を選び、神を全く考慮に入れずに、仕事上の事柄を決めます。そして、私たちの信仰の通りに私たちの身になるのです。これに関して神の御言葉に信仰がないなら、私たちの人生のための神の道を逃す以外の、何を期待できるのでしょう? そして、恵まれ、私たちのために選ばれた道から長いことさ迷い出し、高い代価がかかった後で戻ってくる以外の何を? エペソ2:10(わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである)という言葉は、エペソ2:8(あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である)と同じだけ確かに霊感されています。 人生の計画の約束は、救いの約束のそれと同じだけ明白です。エペソ書の聖句をじっくり考えて下さい。それは明白ですか? それは神の御言葉ですか? そこには、神はキリスト・イエスにあってあらかじめ備えて下さったと書いてありますか? ではそこに落ち着くのです。心をつくしてそれを信じなさい。そこから揺らいではいけません。
繰り返します。祈りなさい!
クリフトン・スプリングス療養所の創立者ヘンリー・フォスター博士は、とてつもない神の力を持つ男性でした。また、生きていくうえでの導きについて、神の思いと方法への深い洞察を持つ人でもありました。その素晴らしい力と知恵の秘密はどこにあったのでしょう? その大規模な施設への訪問客は、一人の年配の内科医によくそう質問したものです。それに対して彼はこのようにして答えました。彼は訪問客の手を取り、二階のフォスター博士のオフィスのドアまで連れて行くのです。そして、来客をオフィスに案内し、その片隅にある小さな小部屋まで連れて行きます。そして、そこでひざまずくと、絨毯の端を持ち上げて、こすれて空いた二つの穴を来客に見せました。神の聖徒フォスター氏が祈りの生活において膝まずき、ほころびて空いた穴です。「これが、神と人に関わる事柄におけるヘンリー・フォスター氏の力と知恵の秘密です。」
友よ、あなたの寝室の絨毯がこのようにすり切れてきたなら、その部屋の住人は人生に対する神の計画を逃しているのではないかと恐れることは、ちっともありません。それが神と歩むことについて多少なりとも知っているすべての人の人生における、知恵と導きの、公然の秘密だからです。知恵に不足している人がいますか? 「神に求めるがよい。」1 あなたは人生における神の計画に関する知恵に不足している人の一人ですか? では、神に求めなさい。祈りなさい、信頼して祈りなさい。着実に祈りなさい。期待して祈りなさい。そうすれば、神は必ず、あなたをその恵まれた場所に案内して下さり、あなたはそこで、救いと同じように、神が選ばれた道について確信を持てるでしょう。
自分で描いた地図に導かれ、自分自身の利己的な快楽や野望の力に駆り立てられ、自分で選んだ港に向かう人生の海に乗り出してはいけません。神の下に行きなさい。信頼と、覆し得ない服従によって、神に人生を委ねなさい。そして、自分自身の意思ではなく、神の御心を行うことを選び始めなさい。そうすれば、その人生のための神の御心を確かに知り、見るようになるでしょう。私たちの主イエスは明らかにこう言われました。「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、‥‥わかるであろう。」2 自分自身の意思ではなく、神の御心を選び始めたとたん、私たちは神の御心が何なのかを少しの疑いもなくわかり始めるでしょう。
私たちの人生のための神の御心を見る霊の望遠鏡は、双眼鏡です。二つのレンズが横に並んでいます。一つは、「信じます」で、もう片方は「そうします」です。人がこの両方を目に当てると、曇りがなく明確に神の御心を見ることができるのです。
耳を傾けなさい。あなたの人生のための神の計画を信じ始めなさい。この二つのレンズ、つまり信じる心と委ねた意思を通さない限り、誰も神の御心を見ることはできません。
原文は Life Talks: A Series of Bible Talks on the Christian Life(1911年出版)より。2013年1月アンカーに掲載。朗読:サイモン・ピーターソン