誠実さとクリスチャン的倫理観(パート1)
Integrity and Christian Ethics—Part 1
March 23, 2017
「ロードマップ」シリーズより
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誠実な人とは、その言動が一致しており、その振る舞いに自らの価値観が表れているような人です。そのような人たちの正直さや倫理観には、無条件に信頼を置くことができます。彼らはコミットメントを重んじ、頼り甲斐のある人たちです。正しい時に、正しい理由で正しいことをする人として知られているのです。人目のある公の場で起きた、彼らの誠実さを物語るエピソードは無数にありますが、しばしばそれを最も顕著に表す実例は、誰も見ていない、私生活の穏やかな静寂の中に見られるのです。—スティーブン・コヴィー [1]
それはウィリアム・シェークスピアの書いた、あのしょっちゅう引き合いに出される台詞にも似ています。「まず自分に正直であれ、そうすれば、昼の後に夜が続くのと同じくらい確かに、誰の前でも偽ることができなくなるだろう。」
どんな時にも真実を語りなさい。誠実で、互いに対して正直に、公正に、公平に接し、真実を語ってくれると期待されるような人になりなさい。わたしを表す良き手本になるとは、そういうことだ。そうすればあなた自身も、その率直さや正直さゆえに祝福を受けるだろう。—イエス、預言で語る
誠実さの意味は、人によって異なるかもしれませんが、大抵の人は、それが確固とした価値観や信条を貫くこと、またクリスチャンの原則に根ざして生きることにおいて、中心的な位置を占めていることに、同意すると思います。先程の言葉にあったように、人の人格や誠実さが試みられるのは、主と二人きりで、他の誰も知らず、誰も見ていない時間なのです。
以下の物語はその一例です。
1982年に、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたテニス選手権で、共に一流のプロ選手であるビタス・ゲルレイティスとエリオット・テルチャーが、準決勝で対戦しました。最初は、2人が1セットずつ取り、ゲルレイティスは奮闘の末、決め手となる3セット目の第8ゲームで、マッチポイントに漕ぎつけました。
この上なく熾烈な打ち合いの後で、ゲルレイティスが打った球がネットの上部にあたり、ネット際に落ちて勝利が決まったと思われました。ところがテルチャーはネットに突進して球に追いつき、奇跡的に何とかそれを打ってゲルレイティスの頭上を飛ばしたのです。あっけに取られたゲルレイティスは、後ろへ移動するのが遅れ、打ち返された球はラインを大きく外れました。
観客は騒然となりました。テルチャーがマッチポイントを逃げ延びたのです。少なくとも、そのように見えました。歓声が静まるとテルチャーが、最後のショットを打とうと駆け寄った時にネットに触れたので、あれは反則だったという合図をしました。審判がそれに気づいていなかったことも、多額の賞金がかかっていることもまるでお構いなしに。テルチャーにとっては、これらの何一つとして、試合のルールや、彼らの基盤である紳士としての行動規範を曲げさせることはありませんでした。彼はゲルレイティスと握手し、観衆にうなずくとコートを出て行きました。敗北した勝者として。—ローレンス・シェームズ [2]
スポーツにまつわる話が好きな人のために、ある誠実な人についてのこんな話もあります。
ボビー・ジョーンズは非常に優れたゴルファーであるばかりか、スポーツマン精神とフェアプレイのお手本のような人です。アマチュアで活躍してまもない1925年、ウォーセスター・カントリークラブで全米オープンの決勝戦に出ていました。試合中に、彼のボールがフェアウェイを少し外れてラフに落ち、ボビーは次のショットを打とうと構えていた時に、ゴルフクラブのアイアンでわずかにボールを動かしてしまいました。彼はすぐに自分への腹立たしさを露わにし、マーシャル(コースの係員)たちを振り返って、反則をしたと自己申告しました。マーシャルたちは互いに話し合った末、何人かの観客にジョーンズのボールが動くのを見たかと尋ねました。結局、彼らも他の誰も何も見ていなかったため、決断はジョーンズに委ねられることになり、ボビー・ジョーンズは自分自身に1打罰を課しました。その1打のために、自分が試合に負けることになるとも知らずに。その行為ゆえに称賛を受けた時、ジョーンズはこう答えました。「銀行強盗をしなかったからといって、人をほめたりはしないでしょう。」
神の言葉の原則と、善悪についての自分の確信に従って、心で正しいとわかっていることをする。誠実に生きるとはそういうことです。あなたの良心や、聖書が主の「静かな細い声」と呼んでいるものは、物事の善悪を見きわめる際の、頼りになる判断基準です。
ガンディーはいみじくもこう言いました。「この世で私が受け入れる唯一の圧制者とは、私の中の『静かな細い声』です。」
さて、以下の話は、カリフォルニアであるシングルマザーが亡くなり、残された8人の子どもが孤児となったことにまつわるものです。
母親が死んだ時16歳だった長女は、7人の弟と妹を育てるという途方もない大仕事を背負って立ち、それは並大抵の苦労ではありませんでした。母親が恋しくてたまりませんでしたが、何とか弟や妹を清潔に保ち、しっかり食べさせ、学校に通わせました。
そのような犠牲を払っていることで誰かにほめられ、「そこまでしなくてもいいのに」と言われた時、彼女は答えました。「すべきことをしているだけで、ほめられるようなことは何もありません。」 すると相手は、挑みかけるようにこう言いました。「でもあなた、別にしなくてもいいのよ。やめてもいいんだから。」
娘はちょっと間を置いて、それからこう答えました。「ええ、そうですね。でも私の中の『やらなければ』という気持ちはどうなりますか?」 —スティーブン・コヴィー [3]
私たちの誰もが、自分の心や決断を導いてくれる、内なる方位磁石を持っています。そして自分の人格をどう形成するかは、自分の良心に信頼し、それを尊重するかどうかにかかっているのです。そして、正しいことをしたいと望むなら、時にはその良心によって、否応なしに難しい決断を下すよう導かれることがあり、それは容易なことではありません。
今日の社会やビジネス界においては、正しいとわかっていることから多少外れても、言い訳をして責めを免れる方法はあるもので、そのような言い逃れを繰り返す内に、素早くつるつるの下り坂を滑り落ちて行くことにもなりかねません。一つの悪が別の悪へと導き、まもなく確信が弱まって、自己弁護してしまうのです。そんな時私たちは、自分の人格を弱め、誠実さを損ない、評判を傷つけるというリスクを冒しているのであり、自分の約束の価値を下げて、自分の幸福や心の平安が、自責の念や後悔や決まりの悪さによって、攻撃されるままにしているのです。
誰もが後悔なしに生きたいと望んでいることでしょう。でもどうやって? 自分の確信に基づいた決断を下すことによってです。あなた自身のクリスチャンとしての倫理観に基づいた決断を。
クリスチャンであるなしにかかわらず、自分の成功を妨げ、評判を傷つけるような人格や態度や行動というものがあります。嘘をついたり、陰口をたたいたり、偏見を持ったり、約束を守らなかったり、責任を最後まで果たさなかったり、良い仕事をすると信頼できなかったり、締め切りを守らない、といったような。
自分が誇りに思えるような、クリスチャンの原則を中心とした生活を送るための、実際的なアプローチがあります。リーダーシップという分野で傑出した人々による、以下のような助言に耳を傾けてみましょう。
アメリカのリーダーシップに関する専門家と呼ばれるジョン・C・マクスウェルは、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーリストに載る作家であり、その著書はこれまでに1900万部以上売れ、中には50カ国以上の言語に翻訳されたものもいくつかあります。彼はクリスチャンであり、著書の一つ『Ethics 101』では、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」という黄金律に従うことによって、人は誠実な人生を歩めるというコンセプトを提唱しています。
そこで、こう自問してみて下さい。「私だったら、この状況でどのように扱われたいだろうか?」 これが、あらゆる状況において誠実に振舞うためのガイドラインとなるのです。
少々時間を割いて、黄金律の話をしましょう。私は、自分たちがこのいましめをあまりに聞き慣れているせいで、その力強い真義を、すっかり見失っていると思うことがあります。黄金律についての興味深い事実とは、広く知られている数々の信念体系の大半に、それと同様の表現が見られるということです。黄金律は私が知っているほとんどあらゆる文化において、人生を導く一規範となっているのです。世界中の宗教がこのコンセプトをめぐって、いかに似通った見解を持っているかを知るなら、驚かれるかもしれません。以下はその数例です。
儒教は次のように言っています。「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ。」
ゾロアスター教信者はこう忠告されています。「人から不当に扱われたくないなら、誰も不当に扱わないことだ。」
イスラム教信者は、「自らに望むことを兄弟に望まぬ限り」真の信者ではないと教えられます。
ヒンドゥー教は、「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」と警告しています。
トーラー(ユダヤ教の教え)にはこうあります。「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。これが律法の全体であり、他の全てはその注釈である。行って学んできなさい。」 ―ジョン・ハンツマン [4]
そんなにも多くの他の宗教が、この基本的価値観を、自らの宗教的信念を構成する一教義としているのは、興味深いことです。それは、この「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」というイエスの言葉がいかに重要で大切なものであるかを、はっきりと示しています。少したちどまって、この言葉を深く思いましょう。あなたは本当にそのように生きていますか?
このような黄金律的アプローチを誠実さに当てはめる上で、もう少し実際面で適用できるような例が必要であれば、あなたが自分の決断についてどう思っており、心の中でどんな「ひとりごと」を言っているかを考えてみましょう。
自分の行動がもたらし得る影響を、自己弁明あるいは過小評価することによって、非倫理的な決断を正当化するなら、それによって考え方がゆがんでしまうことがあります。自分がそのような正当化をしていないか確かめたいなら、次のように自問してみて下さい。
自分がこれをされる側だったら、どう感じるだろう?
自分の愛する人がそうされることを私は望むだろうか?
自分の行動が夜のニュースで放映されたら、どう感じるだろうか?
我が子にその行動を真似てほしいと思うだろうか?
母親や父親や、心から尊敬している誰かにそのことを知られたら、自分はどう感じるだろうか?―ロナルド・A・ハワードとクリントン・D・コーヴァー [5]
またマクスウェルは『Ethics 101』の中で、人々がお粗末な倫理的決断を下し、進んで非倫理的な道を選ぶのには、以下のような三つの理由があると述べています。
第一に、正しいとわかっていることよりも、自分にとって楽な方を選ぶから。
第二に、成功するためには、非倫理的に振舞わねばならないと考えているから。
第三に、首尾一貫した行動規範を固守するのではなく、「状況倫理」にしたがって、その場その場で正しいと思われる行動を取っているから。
以上の3つの罠についてじっくりと考え、自分はそのような振る舞いをしていないだろうか、あるいは心が揺れ動いて、お粗末で非倫理的な振る舞いをしそうになってはいないかを確かめるために、時間を割くだけの価値はあります。
もちろん、常に正しい決断を下すのは、容易なことではありません。そのような難しい決断を下すには代価がかかる時があり、人生全体から見て、果たしてそれがそんなにも重要なことなのだろうかと思うこともあるでしょう。そのような時にこそ、良き人格は素早く形成されるものではないということを、覚えておくことが大切です。それは長年に渡って、意識的に倫理的な選択を下すことによって築かれるものです。ですから、偉大な人格者になりたければ、違いをもたらすのはそのような日ごとに下す難しい決断の数々です。安易な道を選ぶなら、行きたかった目的地にたどり着かないかもしれません。—ジョン・C・マクスウェル [6]
さて、「成功するには、自分の信念体系や、クリスチャンとしての行動規範から逸脱しなければならない」という考え方についてはどうでしょう? 本当にそうでしょうか? あなたにそう信じさせ、しきりにあなたがそう考えるよう仕向けようとする人が、きっと大勢いることでしょう。おそらくは、自分たちの誤った考え方を正当化するために。しかし、そのような時にこそ、「神という要素」を思い出すことが大切なのです。神はすべてお見通しで、何もかもご存知です。神は私たちを愛し、私たちの幸せを願っておられます。そして私たちとその家族に、必要なものを与えたくてたまらないのです。神は私たちを苦しめ、貧相で困窮した生活をさせようと望む、けちで頑固で融通の利かない雇い主ではありません。神は気前がよく、愛情深い神であられ、私たちの必要を満たしたいと願っておられるのです。ですから、成功するためには黄金律を破らなければならないと考えるのは、神への冒涜です。神の顔を平手でぴしゃりとたたいて、神がご自分の約束をきちんと果たされないと告げているも同然なのです。
わたしはあなたが幸せになり、必要が満たされるように、物事を抜かりなくお膳立てしよう。そしてあなたに報いるために、必要以上のことさえするつもりだ。あなたは自分が払った犠牲のことなど忘れてしまうだろう。わたしがあなたに豊かに報いるからだ。そして、自分はまるで犠牲など払わなかったと感じるほど、わたしがあなたに大いに与え返す時、それはまだあなたの報酬の1パーセントに過ぎないのだと覚えていてほしい。わたしは百倍を与え返すと約束したのだから、あなたはまだこの先、ますます多くのものを受け取るようになる!—イエス、預言で語る
「ロードマップ」は若い大人向けにTFIによって制作されたビデオ・シリーズ。初版は2010年。2017年3月に改訂の上、アンカーに掲載。朗読:サイモン・ピーターソン。
1 Stephen Covey, Everyday Greatness (Thomas Nelson, 2009).
2 Esquire.
3 Stephen Covey, Everyday Greatness (Thomas Nelson, 2009).
4 Jon Huntsman, Winners Never Cheat (Pearson FT Press, 2009).
5 Ronald A. Howard and Clinton D. Korver, Ethics for the Real World—Creating a Personal Code to Guide Decisions in Work and Life (Harvard Business Press, 2008).
6 John C. Maxwell, Ethics 101 (Center Street, 2005).