神と対話をするために
How to Talk to God
August 18, 2020
引用文集
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祈り方を真剣に学ぶことほど、人生を変えるものはないでしょう。それは人生で最も強力な学びの一つです。それなのに驚くことに、私たちは神と対話する方法を人々に教えていません。心を込めて深く個人的に祈ることを教えていないのです。…
人生で他に何もしなかったとしても、神との素晴らしい友情を育みなさい。祈りの人になりましょう。この友情は、自分自身に対する見方とあなたの世界観を変えることでしょう。それは、愛がいつもそうするように、あなたの優先順位を変えてくれるでしょう。明晰さと喜びを与えてくれるでしょう。私たちは、深く祈ることによって、奥深い生き方を学びます。あなた自身の中に、最高の自分をもっともっと見出せる場所を見つけましょう。祈りの時間をスケジュールの神聖な項目にしましょう。絶対に譲ることのできないものにしましょう。しっかりした日課は生きる力を与えてくれ、祈りは日課の一番上にあるべきものです。—マシュー・ケリー [1]
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祈りとは単に神と対話することです。これについて私が言える最も重要なことは、神はあなたから話しかけられるのを望んでおられるということです。神は私たちを愛しておられ、私たちの祈りに耳を傾けると約束されています。どうすれば祈ることを学べるのでしょう。まず、なぜ祈ることが可能なのかを理解しましょう。
祈ることが可能なのは、イエス・キリストが私たちと神との間にある障壁、つまり私たちの罪によって築かれた障壁を取り除いて下さったからです。罪は私たちを神から引き離すので、私たちは神の御前に出る権利を失ってしまうのです。しかし、キリストは十字架上の死によって、私たちの罪の罰を被り、その障壁を取り除かれました。そして、私たちがキリストに人生を捧げるとき、神は私たちに神の御前に出るための特権を与えてくださいます。
聖書には、「わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」とあります。[2] もしあなたにそのような経験がないのであれば、今日、あなたの人生にキリストが来てくださるようにお願いしましょう。
そして、神は今、あなたを御前に迎え入れ、あなたの声に耳を傾けると約束されていることを理解してください。神は偽ることができません。聖書には「わたしたちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである」と書かれています。[3] 神の約束を信頼し、祈りを通してあらゆる思い煩いを神のもとに携えることを学びましょう。…
神は、あなたが毎日、日ごとに神をもっと知るようになることを望んでおられます。イエスの弟子たちは繰り返しイエスの助けを求めたのであり、私たちもそうすべきです。ある時、彼らは「わたしたちにも祈ることを教えてください」と言いました。[4]
声に出して祈るのであれ、心の中で静かに祈るのであれ、神はどんなときでも、私たちの祈りを聞いてくださいます。結局のところ神は私たちのことをすべてご存知で、私たちの内面で起こっていること(良いことも悪いことも)を知っておられるからです。聖書には、神は「心の思いと志とを見分けることができる」と書かれています。[5] また、「悪人の計りごとは主に憎まれ、潔白な人の言葉は彼に喜ばれる」とも書かれています。[6]
祈りを言葉にできないときでさえ、神は聞いてくださいます。たとえば、心に重荷を負い、混乱し過ぎていて、口に出すことさせできないときにも。聖書にはこうあります。「御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」[7]
神から私たちへの最大の贈り物の一つは、祈るという特権です。それはイエスが私たちのために十字架でなさったことで可能になった特権なのです。祈りの特権を神に感謝し、「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねる」[8] ことを日々学びましょう。—ビリー・グラハム [9]
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祈りとは、私たちが神に繋がる手段です。聖書によると、イエスは弟子たちに祈りを教え、父なる神に近づく方法を教えられました。イエスが弟子たちにいかにして祈るかを教えたかという例は、現代の私たちにも当てはまります。私たち一人ひとりが神に直接つながることができるのです。私たち一人一人が神と直接対話し、人生において知る必要のあることを何でも神に尋ねることができます。そして私が本当にすばらしいと思うのは、神が答えを与えてくださるということです。もちろん、私がこれまで受け取った答えは必ずしも望んだものでないこともあったし、物事はいつも私が望んだり考えたりした通りになるわけではありませんでした。しかし、素晴らしいことに、神は私に答えてくださるのであり、あなたが尋ねるときにも答えてくださるのです。
ただ、イエスが「しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」と祈られたように、主の答えに心を開いていることが重要です。人生で問題や困難があるときには、それをイエスのもとに携えましょう。祈る時間をとり、心の中にあるものを神に告げてください。誰かのために祈りたいこともあるかもしれません。そのような祈りに対しても、神は同じように働きかけてくださることを、私は知りました。彼らが何を必要としているかを説明し、その状況における神の助けを求め、そして信頼するのです。—ダン・ロス
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あなたはどのように神と対話しますか。私たちは神とどのように対話すべきでしょうか?
よく、クリスチャンが悪い癖で、5語に1語は「父なる神よ」と口にすると聞きます。作り話ではありません。あなたも同じようなことを聞いたことがあるのではないでしょうか。
例えばこのような祈り方です。
「父なる神よ、ここにおられることを、父なる神よ、感謝します。そして父なる神よ、今日、聖書を学ばせてくださることを感謝します、父なる神よ。そして父なる神よ、私たちの心をあなたの霊で祝福してください、父なる神よ。そうすれば、父なる神よ、私たちはよりキリストらしくなり、父なる神よ、あなたの名において、父なる神よ、他の人々をあなたのもとに導くことができます、父なる神よ。」
それが延々と続くのです。…このような祈り方は確かにリズミカルですが、果たして本当にそれが私たちの祈りに求められているものなのでしょうか。リズムが必要ですか。そうではないでしょう。私は、祈りの目的は神とのコミュニケーションにあると思います。
では、どうすればいいのでしょうか。
人々が祈るときに「父なる神よ」と何度言っても、神は私ほどには気になさらないのでしょうが…どうか、祈るときには誰かに話すのと同じように神に話すようにしてください。美辞麗句や派手な表現、くどい繰り返しは必要ありません。
それに、神は私たちが誰に向かって話しているのかを思い出させてもらう必要はありません。…
誰かに話すように、神と話すことを始めましょう。神は、私たちが神に語りかけていることを思い出させてもらう必要はないのです。
そもそも、祈りを「愛する(神様)」という言葉で始め、「アーメン」で終わらせる必要もありません。あなたは誰かと話すときに、このような言い回しをすることがあるでしょうか。いいえ、しないと思います。ですから、あなたのすぐ隣にいる友人と話をするように神に話しかければいいのです。なぜなら、神はまさにそこにおられるからです。
ここにあるのは、神や祈りについてのこのような考え方に従った[今日のための]「主の祈り」です。
「お父さん、お父さんは自分のことを皆に知ってほしいですよね。だから、天国と同じように、この地上でもあなたの方法に従えるよう助けてください。今日の必要についてお父さんを信頼し、世が望む生き方を避けることができますように。願わくば、このような生き方を私に教えてくださることで、他の人々が私を通してお父さんを知るようになりますように。私は心からそう思ってます。」
さて、この祈りで言っているのは実に一般的なことであり、大袈裟なものではありません。しかし、これは神との対話のテンプレートなのです。この祈りを暗記する必要はありませんし、暗唱する必要もありません。あなたの奥さんと交わしたい会話を暗記して、毎晩夕食の時に復唱しますか。そんなことはしませんよね。…
重要なのは、神はあなたと本当の会話を望んでいる実在の方である、ということです。だから、そのように神と話しなさい。—ジェレミー・マイヤーズ [10]
2020年8月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス 音楽:マイケル・ドーリー
1 Matthew Kelly, Rediscover the Saints (Blue Sparrow, 2019).
2 ヘブル 4:16.
3 1ヨハネ 5:14.
4 ルカ 11:1.
5 ヘブル 4:12.
6 箴言 15:26.
7 ローマ 8:26.
8 1ペテロ 5:7.