心を快活に保つ方法
How to Be Spiritually Buoyant
May 17, 2016
引用文集
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泳げない人は、どうすれば生き延びることができるでしょう? 水に浮かぶための救命具も持っていないとしたら? 泳げない人は当然、このようなジレンマを、ただ海に近づかないことによって克服するでしょう! とはいえ、誰もが人生において、個人的な戦いや人の死といった、大きな困難や苦境に必ず遭遇するものです。私たちに必要なのは、霊の浮力であり、心を快活に保つ能力です。それがあれば、突然に不安という大海原で、沈まないよう必死にもがいているような状況に陥ったとしても、水面に浮かび続けていられるでしょう。—デーブ・ウルシロ
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人生の波が荒れ狂っているような時期に、快活な心を保つためには、何が必要なのでしょう? 心に感謝をどんどん入力し、ゆるしを生み出すことです。万事が申し分なく順調に運んでいると確信することであり、あらゆる状況や人々を裁くのをやめることです。
感謝やゆるしや確信や、人を裁かないといったこれらの要素は、人生の荒波に幾分呑み込まれてしまった時にも、快活さを維持し、元気を回復するために必要不可欠です。
望ましくない状況に陥ったなら、目に映るあらゆるものに感謝することを思い出しましょう。それから自分とその状況に関わっている他の人々をゆるしてあげるのです。万事は順調に運んでおり、この瞬間に至るまで自分は神によって導かれていたのだと確信しましょう。最後に、人を裁かず、批判を控えましょう。そうすれば、良い点に目を向けて、それらを異なる見地から見ようともせずに、状況や人を「悪い」と決めつけてしまうことがなくなります。
祝福が訪れる時、それらは種々様々な外観や形態を呈しています。かつて「困難」と思われた経験が、後になって絶好調で躍進している時に、ふと人生のバックミラーを覗くと、実際はダイヤモンドの原石のように貴重な経験であったとわかる、といったこともよくあります。‥‥
神は私たちを、常に快活でいられるよう造って下さいましたが、時々私たちは、その方法を忘れてしまいます。思い出す秘訣とはこうです。感謝、ゆるし、確信、人を裁かないこと。—キンバリー・ジョー・クーリー
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荒海や荒波の水面下に沈むまいと必死でもがいている時には、助けの手を差し伸べ、持っている物品や助言を提供し、話を聞いてあげるなどして、他の人たちの人生に深く関わることによって、自分の態度や思考形式を一転させることができます。そのようにして、霊的な強さや、真の内面的な回復力という感覚が、心の奥深くに根ざした「浮かび上がる力」が、育まれるのです。
皮肉なものだと思われるかもしれませんが、不自由さをものともせずに、他の人のために本来すべき以上のことをし、自分自身のことや、自分が味わっている痛みや苦しみから思いを逸らすなら、それによって霊的な回復力が養われ、困難な時期の真っ最中にも、快活さを保てるようになります。—デーブ・ウルシロ
超越することについてのイエスの言葉
超越するとは、物事が必ずしも見かけからこうなるであろうと思われる通りになる必要はないという意味だ。あなたが物質的な状況に妨げられたり、足を引っ張られたりすることはなく、周りの環境や、あるいは自分のいる状況すらも、あなたの反応や勝利や、あなたが結ぶ実やあなたの塗油や幸福度を左右することはないということだ。
もちろん、大変な時期も確かにある。周りの環境に影響されたり、自分のいる状況のせいで圧迫感やストレスを感じることもあるだろう。人間とは普通そういうものだ。だが、超越しようとすることは常にできる。あなたには常にその選択肢があるのだ。わたしはあなたがその決断を下せるようにしたのだから。あなたが地上の物事に束縛されるようなことは、決してないだろう。あなたは常に勝利するだけの力を持っているからだ。
あなたは上を見上げて、わたしとあなたとの絆によって引き上げられるという選択を、常に下すことができる。
あなたはわたしの顔を仰ぐことを選ばなければならない。たとえ周りの状況や事情が困難で、気を滅入らせ不安を抱かせるようなものであっても、あるいはそれらに注意を払う必要性が非常に切迫しているように見えたとしても、それらから目を離すことを選ばなければならないのだ。あなたはそれらすべてから目を逸らし、わたしを見上げなければならない。そうすれば、わたしたちは強い絆によって結ばれるだろう。
信仰によって、それらすべてから目を離してわたしを見上げるというあなたの決断は、わたしたちのつながりを強める。自分に信仰があると感じなくても、わたしを見上げるというあなたの従順な行為は、信仰の一歩であり、信仰の宣言だ。そのようにするなら、わたしはあなたを引き上げることができる。あなたの霊をわたしの霊と溶け合わせて、もっとわたしが見るように物事を見られるようにできる。それによってあなたの信仰と塗油は増し加わり、視野も広がって、必要な平安や信頼を持つことができるようになるだろう。
結局はこういうことだ。もっとわたしが見るように物事を見ることができるなら、思いわずらいや懸念の理由はずっと少なくなる。あなたはわたしの完璧な計画に歓喜し、わたしがあなたの行く手にもたらす一つ一つの新たなステップを喜ぶだろう。そしてわが世話と洞察と保護の内に安らかに休息することだろう。そのような信仰の姿勢や、霊の世界における真の姿で物事を見るという現実主義の姿勢を保つ方法とは、超越することだ。
あなたの周りには、常に数々の耐えがたい物事があるだろうし、敵なる悪魔は常に、それらを用いてあなたの気を逸らさせようとするだろう。あなたを謙遜に保ち、わたしに必死に頼らせ続けるために、わたしが起こるのを許す数々の物事が常にあるだろう。しかし、あなたはずっとそこに寝そべっていたり、その中を転げ回り、それらに引き下げられる必要はなく、超越するべきなのだ! そうすれば、自分が以前よりも強くなっていることに気づくだろう。—イエス、預言で語る
フィリップ・マーティンによる編集。2016年5月アンカーに掲載。朗読:ジェリー・パラディーノ。
音楽:ジョン・リッスン。