両親を偲んで
In Honor of My Parents
January 13, 2016
ジョン・W
親がいなかったら、私たちはどうなることでしょう? 明らかに、ここにはいませんね。私たちはよく、誰かがいなくなってから、その人のありがたみがわかるものです。そんな風に感じたのは、最近、母を亡くし、そのほんの3週間前には父も亡くしていたからです。実は、そうやってふたりの最後の願いはかなえられました。ひとりがこの世を去ったら、もうひとりもすぐに後に続きたいと願っていたのです。
両親の墓の前で別れを告げるのは、とても心動かされる経験でした。私も、そこにいた大勢の人たちも、ふたりが霊の世界で生きていると信じてはいるものの、それが大きなチェンジであるのに変わりはないし、ふたりがこの世界にいないのはやはり寂しいものです。でも同時に、多くの意味で学び成長する経験ともなりました。ひとつには、多くの良き思い出を語り合うことができました。両親は素晴らしい人たちで、長く美しい生涯を過ごしました。父は101歳、母は99歳まで生き、結婚して75年でした。死後の人生を信じない人でも、両親が7人の子どもと19人の孫、そして今のところ19人のひ孫の内に生き続けるのはわかることでしょう。
両親は生涯、神を信じていました。人生を前向きにとらえていることや、他の人たちを思いやり、自分の子どもだけでなく、誰の子どもでも皆を愛していることからも、それは見てとれました。扉はいつも、訪れる人たちに開かれていました。人々を愛し、また、人々に愛されたので、葬儀には大勢の人が来てくれました。
父は医者で、第二次世界大戦の間にはナチの手から大勢の人を救いました。産婦人科医として何千もの赤ちゃんの出産を助け、子どもが大好きでした。私たち家族の親しい友人は、出産のたびに父に助けてもらったのですが、そのおかげで、どの出産も素晴らしい体験だったと私に話してくれました。また、病院で看護師がその友人に言った言葉も教えてくれました。母親が赤ん坊を欲しがらない時には、出産のあと、父が赤ん坊を腕に抱き、歩き回りながら話しかけ、生まれたばかりの子を温かく迎えるために最善を尽くしたそうです。
母は謙虚でしとやかな人であり、ものすごく忍耐があって辛抱強く、寛容でした。それに、誰かが自分の心にあることを話すときには親身に耳を傾けました。最期まで、愚痴も言わずに痛みに耐えました。寝たきりで腰や脚や足に床ずれができても、どうかと聞かれると、常に「大丈夫よ」と答え、とにかく愚痴をこぼさなかったのでした。
両親のその強さは、神への愛や、神との近いつながりと神への献身から出たものだと信じています。
両親が地上での人生を終える少し前に会ったとき、私は自分の人生を見直し、その意味について考えさせられました。いったい人生をどのように生きているだろうかと考えたのです。人生のゴールは何だろう、自分はそれを達成しているのだろうかということです。このような時には、人生がどれほど短いかに気付くものです。ビリー・グラハムは、かなり年を取ってから、人生について発見した一番の驚きは何かとたずねられ、「人生の短さだ」と答えました。友人のひとりと、私たちの親の世代が死んでいくことについて話したら、友人は「次は俺たちだね」と言っていました。
特に両親が亡くなる少し前は、物事がかなり早く進んでいました。近所の人の話では、春に、父が大きな剪定ばさみを使って、庭のフェンスの蔦の頑丈な枝を切っているのを見たとのことです。私も、ほんの数か月前にまだ自宅で暮らしていた両親に会いに行ったばかりで、こんなに早く死期が訪れるとは思いもしませんでした。人々に、チャンスがある内に、もっと愛や感謝を示したいと思いました。次にいつ会えるのかわからないのですから。
両親がどんどん弱っていろいろ出来なくなっていくのを見て、赤ん坊の成長を思い起こしました。この場合は、その逆ですが。赤ん坊がこの世に生まれたときには、まったく無力で、食べること、話すこと、歩くことなどを学ばなければなりません。人生の終わりになると、ちょうどその同じことができなくなります。体を離れ、霊の世界へと移る準備ができて、そこで魂は生き続けるのです。チョウがさなぎから出て、美しく新しい創造物となるように。あるいは、種が地に落ちて死ななければ、新しい植物へと成長することがないように、私たちの体も、次の世界で新しい人生を始めるために死ななければならないのです。
両親はふたりとも、自分たちを創造してくださった神と共に生きるという永遠の命を信じていました。牧師が先回の礼拝を、ふたりを追悼するものとしたとき、かなり明るい雰囲気の礼拝にしてくれました。それをよみがえりの礼拝と呼び、両親が今も私たちと共にいてくれるのだと強調しました。偉大なる説教師であるムーディーが独特の陽気な調子で語った言葉が思い出されました。「いつか新聞でイーストノースフィールドのD・L・ムーディーが死亡したという記事を読むことだろうが、そんな言葉を信じちゃいけない。そのときには、私は今よりも生き生きとしているのだから。ただ、もっと高いところに移ったんだ。この古い土くれの住まいを出て、不朽の家に引っ越し、死が触れることもできない体を持つようになるんだ。」
葬儀のあと、7つの国から集まってきた家族、それに近くの親しい友人たちとで一緒にレストランへ行き、交わりのときをもちました。そのように会って心の内を語り合い、互いに近くなったりして、とても良いときを過ごせました。墓地では涙を流しましたが、レストランではそれに代わって、慰めや愛情深い交わりが得られ、友情も新たにされました。家に帰る途中、その体験から得られた祝福を感じることができました。これからの人生を、新たな勇気と希望と力をもって待ち望むことができるようになったからです。悲しみは喜びに変わりました。両親は、地上にいたとき以上に、向こう側から私たちのことを助けてくれると信じています。パウロが1コリント15:55で言った通りに、私も感じます。「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。」