主の高き道
His Higher Ways
March 13, 2013
スティーブ・ハーツ
主との歩みのいかなる面でも言えるように、祈りは今も、そしていつまでも、終わりのない学びの経験です。祈りの生活が私に教えてくれたことが何かあるとすれば、それは、じつに神の道は私たちの道よりも高いということです。私たちはしばしば、自分は何がほしいのか、何を必要としているかをかなりよく把握していると考え、神の御前に進み出て祈ります。多くの場合はその通りであり、私たちは求めているそのものの答を受け取ります。しかし、何かを求めても、その答として正反対のものを受け取った時はどうなのでしょう。それが私に起こった時、しばらくの間不快感が続いて、祈りの生活がガタガタになってしまいました。でもイエスは忠実に、他の誰にもできないような方法ですべてを解決して下さいました。
すべては私が13才の時に始まりました。私の家族は信仰を共にする数人の同労者たちと一緒に、アメリカで暮らしていました。そのうちの一人、Mさんという女性が末期がんと診断されたのです。生存率はごくわずかでした。私は家族やその他大勢の人たちと共に、毎日彼女のいやしのために祈りのビジルを行いました。そして、彼女は奇跡的に病いを克服し、今も生きています。
その数年後、私の母が同じ種類のがんと診断され、生存率も良いものではなかったのですが、その時Mさんはいつも母を励ましてくれました。彼女はちょくちょく、私の母をいやすことは主にとって何でもないことであり、それは主の計画なのだと言って私たちを安心させてくれたのです。私はMさんの言葉に大いに励まされ、それを頼みとしました。
ある日、母のいやしのために皆で集まって祈っている時、主はMさんに、闘病生活の時にしがみついたある聖句を思い出させて下さいました。その聖句は見事に成就していたのです。それはラザロが病気だと聞いた時にイエスがヨハネ11:4で言われた言葉でした。「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである。」
この聖句で、私の望みはさらに高く舞い上がったのです。私はそれにしっかりとしがみつきました。感謝祭の日、母に血栓ができ、あと24時間の命だと言われた時でさえも、また多少容態が落ち着いてホスピスケアに入れられた時も、私は望み続けました。最後の最後までこの望みを捨てなかったのですが、母はとうとう、その二ヶ月ほど後に亡くなったのでした。
死別から間もない頃、私はせめて外面上は何とか平静を保っていました。けれども心の中は混乱し、このような物事の成り行きにどう説明がつくのか、わからないままでした。母の「病気は死ぬほどのものではない」と、明確に告げられたのではなかっただろうか? あんなに母のいやしのために祈ったのに、それはどうなったのか? すべては無駄だったのだろうか?
それから数週間の後、私は勇気を振り絞ってこの質問を主の御前に携え、答をたずね求めることができました。ようやく、少なくともやってみようと心に決め、イエスに心を注ぎ始めました。それから静まって待ちました。すると間もなく、部屋中が主の存在で満たされ、主の言葉が心に語りかけるのを感じました。
母は、私たちと残るか、主と共に行くかという難しい選択を与えられたのだと、主は言われました。母は、今は後者が最もつらい選択に思えるけれども、長い目で見てそちらの方が全員にとって最も益になると告げられたのです。母は神の最も高い思いに委ね、今は主と共にいます。同時に、私は、母のために祈った祈りは一つも無駄にならず、イエスはそれを聞いて下さったと知って、安心したのです。
私は、主が私たちに決断の自由や、自分が決めたことに従って行動する自由を与えて下さったことがいかに素晴らしいかが理解できるようになりました。ちょうど、ヨナの話にあるニネベの町のようです。ニネベの町に滅びが近付いていることを警告せよと命じられた時、ヨナはその通りにしましたが、ニネベの人たちが悔い改めて悪の道から離れることを選ぶという可能性は考慮に入れませんでした。ですから、そうなった時、神は考えを変えてニネベの人たちを救ったのですが、ヨナはそれを不快に思いました。しかし、その日、ヨナはそれ以前には知らなかった神の一面を見たのでした。私はイザヤ55:8–9にある神の言葉も思い出しました。「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。」
私が受け取った答が真実であることは少しも疑っていませんが、それを信じ、受け入れるには、かなりの委ねる心を要しました。正直言って、このプロセスには全部で八年かかったのです。けれども、ついに一部始終を受け入れ、そのことでイエスに感謝を捧げることを学んだ時、墓は勝利にのまれ、死はとげを失ったのです。さらに、イエスは私にいやしの賜物を与えられ、病人のために祈ってその答について主に信頼するための信仰を新たにして下さいました。主は今もこの賜物をご自身の栄光のために使い続けておられます。
最近、ある歌を初めて聞いたのですが、そこには、神のより高い道を感謝し、それを受け入れるという、私に与えられた新たな態度が明確に表現されています。スティーブン・カーティス・チャップマンによる、「Higher Ways」(より高い道)という歌です。
あなたの高き道は、あなたに信頼することを教えてくれます。
あなたの高き道は、私の道とは異なります。
あなたの高き道は、父なる神の道。
愛の中に子供たちをかくまうのです。
いつの日か、私は飛び立ちます。
その時、あなたは私を傍らに呼び
全体像を見せて下さるでしょう。
でも、あなたの御許に行くまでは
誠実な心と
あなたの高き道に信頼する魂とをもって
私はここで待つのです。
(注:歌詞全体はここをご覧下さい。歌を聴きたい方はこの YouTube リンク へどうぞ。)