主からの日々の恩恵
His Daily Benefits
January 31, 2017
引用文集
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「日々われらに恩恵を注いでくださる主、われらの救いであられる神は、ほむべきかな。」—詩篇 68:19 [1]
神からの恩恵は少なくも軽くもなく、とても豊かです。時折もらえるだけではなく、また、お気に入りの子どもたちだけに与えられるのでもありません。神は誰もひいきされません。神は、ただ私たちを愛しているという理由から、日々ご自分の子どもたちに恩恵を注がれます。天の父は、父親が子どもを抱っこするように、あるいは羊飼いが子羊を抱えて運ぶように、私たちを抱えて運んでくださいます。神は、私たちが母の胎にいる時から、人生の夕暮れ時に至るまでそうしてくださるのです。
神が人間のためにしてくださったことを考えてみましょう。私たちが住まうための世界を与えてくださいました。楽しむための人生、呼吸するための空気、歩むための大地、暖を与えてくれる火、体を冷まし、洗うための水を与えてくださいました。体をおおう衣服、栄養をとるための食べ物、疲れをいやす眠り、雨水をしのぐ家、人間の役に立ち、人間を喜ばすための様々な動物たちをも与えてくださいました。
では、主が信者たちのためにしてくださったことを考えてみましょう。主は信者たちを、神の大義のための使者とされ、全地を支配するのを認められました。神は信者たちを祝福し、あらゆる霊的な祝福や豊かな恵み、毎朝新たになる憐れみを与えられました。御霊によって信者を生き生きとさせ、義の衣をまとわせ、イエスの血による贖いを与えてくださいました。
イエスは、私たちを栄光あるものとするために自らを卑しいものとし、私たちに祝福を与えるために呪いとなり、私たちが霊的、感情的、肉体的な癒しを受けられるよう、自らの背にムチを受けられました。私たちが永遠に生きられるように、ご自身の命を与えてくださったのです。
このクリスチャンの巡礼の旅を行く時に、ぶつぶつ不平を言ってもおかしくないような状況に出くわすこともあります。けれども、そのような状況を不快なものと決めつけてしまう前に、神があなたに日々豊かに恩恵を与えてくださっているという事実を考えてみてください。
神はこれまであなたに、灰に代えて美しさを、嘆きに代えて喜びの油を、重い心に代えて賛美の衣を、混乱に代えて平和を、暗闇の最中にあって導く光を、弱さに代えて強さを、魂が渇いた時には生きた水を、魂が飢えた時には命のパンを、そして孤独に代えて親密さを与えてくださいました。ビジョン実現のために必要なものを与えてくださり、あなたが種を撒くこともしなかった畑で収穫を刈り取れるよう祝福してくださいました。
神に感謝を捧げなさい。私たちは唯一の賢明で真実で生きた神に仕えており、その神は日々、子どもたちに恩恵を豊かに注いでくださるのです。—クレイグ・A・ブラウン [2]
神の恩恵を忘れないように
「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。」—詩篇103:2–5 [3]
人生の旅路で繰り返し困難に遭遇すると、その時に必要なもののことばかり考えてしまい、すでに持っているもののことを忘れてしまいます。教会の聖歌隊が詩篇103篇をもとにした美しい賛歌を歌うのを聞いた時に、そのことを思い起こしました。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」[4] 主は私たちを赦し、病をいやし、魂を贖い、供給し、満たし、新たにしてくださる方です。[5] そのことをどうして忘れられるでしょうか? それでいて、日々の生活の中で切迫した必要や、失敗の繰り返しや、手に負えない状況のことばかりに関心が行っていると、つい忘れてしまうのです。
この詩篇を書いた人は、「主は、あわれみ深く、情け深い。‥‥私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いることもない。天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい」[6] ということを忘れないよう私たちに呼びかけています。
私たちは、信仰の歩みにおいて、自分がふさわしくない人間であることに謙遜になりつつイエス・キリストの元に来るのです。主の恵みを受ける時に、それを受け取る権利があるとは感じないし、主の惜しみなき豊かな愛にただ圧倒されてしまいます。それらは、主が与えてくださったあらゆる恩恵について思い起こしてくれます。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。」[7] —Our Daily Bread Ministries [8]
豊かな祝福
「主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」—詩篇116:12–15 [9]
私にとっていつも励ましになるのは、私たち一人一人の人生において、主がそれぞれ異なった形で働かれることです。注意深く、愛情深く、私たちが学び成長し成熟するのに必要なものを与えてくださいます。私たちは主の愛の器になる必要がありますが、主は、一人一人がそうなるのを助ける計画を持っておられるのです。
ですから、人生の何についてであれ四苦八苦しているなら、しがみつき、戦い続けるのは価値のあることだと覚えておいてください。周りが混乱していても、それが永遠に続くことはなく、トンネルの向こうには必ず光があるという確信を持つことができるよう、ゴールに目を留めていてください。信仰を持ち続け、御言葉にある豊かな約束の数々にしがみついているならば、それら主の約束が成就されるのを見ることでしょう。
ただあなたを愛しているがゆえに、主が愛の贈り物を惜しみなく与えてくださることを、日々思い起こしましょう。主は自らの命を捧げるほどあなたのことを愛していました。主は今も、命を捧げるほどあなたのことを愛しており、日々、その命や喜び、思いやり、塗油、力、助け、祝福、御言葉を分かち合ってくださいます。それらは私たちが求めまた思うところのいっさいをはるかに越えた、かけがえのない宝です。
主は命以上にあなたのことを愛しておられます。あなたのために命を捧げたのですから。主はあなたと共にいて、常にあなたのことを見守っておられます。あなたのすべての思いや願いを知っておられ、いつも、あなたにとって一番助けになる形で答えてくださいます。主はいつもあなたのためにそこにおられ、決していなくなることはありません。
私たちは主にあって最も大いなる愛を経験します。恋人の中の恋人、友の中の友、常に共にいてくださる方、私たちを決して失望させない方からの愛です。その方の愛情深い腕の中では、何の心配もなく、失敗を恐れることもなく、自責の念を感じることもなく休めるのです。私たちはどれほど豊かに祝福されているのでしょうか。地上の誰よりも祝福されています。どれだけ感謝しても感謝しきれません。
主は日々私たちに豊かな祝福を注がれるので、私たちには抱えきれないほどです。だから出来る限り私たちの信仰を他の人たちと分かち合って、彼らもこの限りない豊かさにあずかれるようにしなければなりません。分かち合えば分かち合うほど、主はさらに注いでくださいます。主がすでに与えてくださったものについて賛美すればするほど、主はさらに与えてくださいます。
だから与え続け、愛し続け、賛美し続けなさい。そうすれば、これからも主は驚くほどのことをし続けてくださることでしょう。—マリア・フォンテーン
祝福されている
「あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。」—申命記28:6 [10]
「あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。」 この約束は、家の中でも外でも、日々の生活の出来事において祝福されるということです。
つまり、あなたは毎日の生活で祝福されていると主は語っているわけです。‥‥詩篇68: 19にはこう書かれています。「日々われらに恩恵を注いでくださる主、われらの救いであられる神は、ほむべきかな。」 神の言葉がそう言っているのだから、あなたの毎日は恩恵でいっぱいなんだと信じなさい。毎朝起きたときに、それは主が設けられた日であると信じて、その日を喜び楽しみなさい。[11] 1日の始まりに、この日は主がただあなたのために用意された日であって、神からの恩恵が豊かに与えられると期待しなさい。
夜の寝る時間には、翌朝起きた時にまた祝福されるのだと確信していなさい。無条件にあなたを愛しておられる天の父からの豊かな恩恵が、再びあなたのことを待っているのですから。
祝福は、あなたが自分で引き起こせるようなものではありません。そうではなく、神が御言葉で言われたことをただ信じ、それが真実であるように行動するならば、あなたの人生で祝福が現れるのです。実際、神は、あなたが祝福されたいと思っている以上に、あなたのことを祝福したがっておられます。神の言葉はそう宣言しています。‥‥愛する人、神の言葉を信じなさい。祝福を与えてくださると神を信じなさい。そうすれば、神からの日々の恩恵を豊かに受け取ることでしょう。—ジョセフ・プリンス [12]
2017年1月アンカーに掲載。朗読:ルーベン・ルチェフスキー。
音楽:マイケル・ドーリー。