新年に向けて良い知らせ
Good News for the New Year
December 28, 2023
引用文集
オーディオ・ダウンロード(英語) (10.2MB)
新しい始まりについての聖句は、常に励ましとなります。人生の新たな局面を迎えるにあたって、新鮮な視点を与えてくれるからです。神の永遠の愛と保護は、年ごとにあなたに伴うのであり、そういった聖書の言葉は、その事実をしっかりと思い起こさせてくれます。… 新年はあなたの人生に新しい章をもたらします。ただ、神が常にその本の主人公であることを覚えていてください。
2コリント4:17–18 「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」
良い知らせ: 辛い時期は必ず過ぎ去り、将来私たちを待ち受けているものは常に、想像以上に輝かしいものです。
1ペテロ1:3 「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ …。」
良い知らせ: キリストが犠牲を払ってくださったおかげで、私たちは過去の重荷に縛られることなく、いつでも新たに始めることのできる力を持っています。…
哀歌3:22–23 「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」
良い知らせ: 私たちに対する神の愛は、新しい日が来るたびに確かにそこにあります。変化が訪れても神は揺るぐことがないので、私たちは常に神のあわれみに頼ることができるのです。—ジャッキー・フレールとコリーヌ・サリバン [1]
花とプロジェクトと新年の目標
私は庭の手入れをするのが大好きです。ただ、花に関しては悩む時もあります。毎春、いくつかの花を買い、夏の間ずっと手入れをし、水をやったりして、その美しさを楽しむのが大好きなのですが、黄色くなって枯れ始め、手放さなければならなくなるのが、つらいのです。
花の季節の終わりに、私の植物の惨状を目の当たりにすると、庭の世話を完全にあきらめたくなりますが、春になるといつも驚かされます。最初の小さな新芽が地面から顔を出す時、生命はまだそこにあるのだと気づくのです。種の胚がまだそこにあるので、私はただ忍耐強くあり、種を信じる必要があります。そして、種はただ、自分の役割を果たして、素晴らしい新たな植物に生まれ変わらせてもらえばいいだけなのです。
これは、聖書の哀歌に記された、時を超えた約束を思い起こさせます。「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」(哀歌3:22–23)
私のアイデア、夢、そして新しい年ごとの目標も、それと同様です。時には、それらをあきらめるか、一時的に保留にする必要がありますが、適切な時が来たとき、それが再び芽生え始めて、プロジェクトを開始できるのだと信じなくてはなりません。そして、それを優しく勤勉に世話すれば、プロジェクトは実現していくことでしょう。
そこで今年は、枯れた植物やプロジェクトのことを嘆き悲しむのをやめます。そのままそっとしておいて、時を待つつもりです。そして、やがて適切な時が来て、太陽が明るく輝き、優しい雨が再び降り始めたら、私は新しく美しい何かの始まりを見るという祝福にあずかることでしょう。—ジョイス・サッティン
ひび割れ!
私の新年は、衝撃的に始まりました。12月31日、スマホが私の手から飛び出し、まるでうつ病で落ちるかのように、床に落ちたのです。私はすぐにそれを拾い上げ、特に何か問題があるとは考えもしませんでした。落ちたのはカーペットの上だったし、これまでにも何度か落としたことがありますが、壊れたことはなかったのです。
しかし、表向きにして、画面全体にスパイダーマンの糸のようなひび割れを見た瞬間、心が沈みました。動くことは動くのですが、かなり使いづらい状態です。しかも、保証期間はとっくに過ぎていました。
この出来事は、新年にちょうど間に合う形で、私に大切なことを教えてくれました。第一に、昨日までの計画や経験に頼りすぎないこと。今日は、物事がこれまでとは違っているかもしれないし、おそらく、実際そうなることでしょう。私たちは日々、神が私たちの人生にもたらそうとしておられる新しいことに、心を開いている必要があります。さもなければ、ただ驚かされ、準備のできていない状態になりがちです。
第二に、この出来事は、人生には色々なことが起こるものだと教えてくれました。人生は本質的に動きと変化の繰り返しです。私たちの父なる神がこういったことを許しておられるのは、その知恵によって、それが私たちをより良い者とすることを知っておられるからなのでしょう。困難が目の前に突きつけられても、私たちは決して落胆してはなりません。栄光ある勝利でそれを克服し、私たちの神がどれほど素晴らしいかを目の当たりにするかもしれないのですから。あるいは、激しく打ち叩かれ、立ち上がるのがやっとで、対処を間違ったと感じながらも、私たちの神の素晴らしさを目にするかもしれません。私たちの未来は確かなものであり、私たちの助けは絶えることがありません。
私は、あなたが経験していることをすべて知っているわけではありません。あなたが抱えているのは、一つの大きな問題かもしれないし、千の小さな問題かもしれないし、あるいはその中間かもしれません。もしかしたら、あなた自身も少し「ひび割れた」ように感じているかもしれません。そういう時こそ、イエスの出番です。イエスはそれぞれの修理の必要性と技術をご存知であり、最善の方法で私たちを修復してくださいます。イエスの保証は永遠の保証であり、「いつもあなたがたと共にいる」と約束しておられるのです。(マタイ28:20)
ですから、私は今「鏡に映して(ガラスを通して)見るように」おぼろげに見ているとしても、古い賛美歌にあるように、「最後にはすべてがうまくいく」と確信しています。(1コリント13:12)—クリス・ミズラニー
最後にはすべてがうまくいく
祈り続けよ、祈り続けよ、疲れを知らずに
たとえ厳しい闘いがあろうとも。
勇敢に見上げ、主に信頼せよ
主の愛はあなたと共にある。
主が苦労と危険の中にあるあなたを
いかに導かれたかを思い出しなさい。
あなたの祈りがまだ答えられていなくとも
最後にはすべてがうまくいく。
祈り続けよ、祈り続けよ、揺るぎない希望を持って
あなたは必ず勝利するのだから。
望むものを求めるなら、それはなされる
約束が守られないことなどない。
堅固な岩にしっかりとしがみつき
錨をしっかりと固定せよ。
雲は切れ、光が差して
最後にはすべてがうまくいく。
—ファニー・クロスビー(1892年)
イチゴとキャンドルと新年の決意
南アフリカが明るく晴れ渡り、年の終わりも近づいてきたある日、クリスマスのお祝いも済んで、新年の決意について考えていた頃のことです。
私が農場の母屋の台所に行くと、背後でドアがカランと音を立てたのが聞こえました。入ってきた母は私の視線を追って、テーブルの上にあるイチゴが盛られた器に目をやり、こう言いました。「イボンナが持ってきたのよ。彼女の家族から私たちにって。」
イボンナは、2軒先に住んでいるティーンエイジャーです。村のほとんどの家族と同様に、彼女の家族も何ヶ月もの間、自分たちの家の裏にあるイチゴ畑を世話してきました。収穫のたびに、ご近所さんたちはイチゴをいっぱい抱えて私たちの家に持ってきてくれるのです。
イボンナは以前から、聖書の勉強をしたいと言っていたのですが、私たちは本当に忙しかったので、先延ばしにしていました。私は反省し、すぐにイボンナに聖書クラスを始めることを決意したのです。
元日の朝は明るく、希望に満ちていましたが、イボンナはそれを見ることができませんでした。真夜中過ぎに自動車事故で亡くなったからです。
友人を失ったことに、誰もが深く心を痛めました。それからの数ヶ月間、私たちはイボンナの家族をさまざまな方法で慰め、この事故をきっかけに、地域の人たちの絆が強まりました。また、多くの若者が、人生や死、神について尋ねてきたので、私たちはそれに答えることができて幸いに思ったものです。イボンナはイエスを信じていたため、私たちは彼女がイエスの腕の中で安全なのだとわかり、大きな慰めを得ました。
そして私は、それ以来毎年、元旦の早朝に花火が空に消えゆくたびにイボンナのことを想い、本当に大切なことをするのに「完璧な」時を待つようなことはしない、という決意を新たにしています。—サスキア・スミス
2020年12月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:マイケル・ドーリー