人類に対する神の愛
God’s Love for the Human Race
June 4, 2024
引用文集
オーディオ・ダウンロード(英語) (12.8MB)
彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない …」—黙示録5:9
神は聖書で、特定の肌の色を持つグループについて述べたことはありません。… 人間のグループは、出身地、言語、家系などによって区別されていますが、肌の色によってではありません。神は間違いを犯さないので、これは意図的かつ戦略的なものだとしか、私には考えられません。神は私たちに、肌の色素の量で人を分類することを望んでおられないのです。…
肌の色については数回しか述べられておらず、その場合でも、それは外見上の特徴であり、神が偏愛しているとか呪っているとかいうことを示すものではありません。例えば、エサウ、ダビデ、ソロモンを形容するために「ruddy(赤い、血色の良い)」という表現が使われています。「ruddy」とは、赤みを帯びた色調を意味し、健康で生き生きしている、または清潔感のある外観を示しますが、日焼けを意味する表現でもあります。…
人間の細胞には25,000から35,000の遺伝子があり、人体には最大40兆個の細胞があります。メラニン(皮膚の色を決定する色素)の生成には、100から378の遺伝子が関係しています。最大値を使っても、細胞内の遺伝子数に比べればごくわずかに過ぎません。このメラニンは、私たちの髪の毛や目の色も決定します。
神はその完璧さによって、高倍率の顕微鏡でしか確認できないほど小さな分子を組み立て、ご自身の愛する創造物に多様性をもたらしました。神が私たち人間を一人一人独特の存在に創造されたのは偶然ではありません。神は、最初の人類であるアダムとエバの中に、私たちのすべての多様性の源となる遺伝子をプログラムされました。それが神の望まれていたことだったのです。…
あらゆる民族は、神の創造的な思いによる美しい作品です。神の創造性の豊かさは、人間の理解を超えています。神の性質そのものが創造的であるため、神はそれに反することができません。多様性は、神が創造的な自己を表現し、それを世界に示していることなのです。肌の色の多様性は、神の想像力の広大さを称えています。その証拠は、人間以外にも見ることができます。神の被造物すべてに多様性が見られるのです。木々、花々、鳥、馬、犬。すべてが神に栄光を帰します。したがって、肌の色や地球全体に見られる多様性は、讃えられるべきものなのです。…
コロサイ3章11節には、「そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである」とあります。また、ローマ10章12節には、 「ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである」とあります。
また、神が言われなかった点にも注目してください。神はどのグループをも肌の色で分類していません。なぜでしょうか? なぜなら、神はすべての人を同じように愛しておられるからです。神は創造性豊かな無限の知恵によって、それぞれを美しく、唯一無二に創造されたからです。キリストに従う者として、私たちはイエスのようになるよう求められています。ですから、私たちは肌の色で人々を分類する習慣に対して、熱心に戦わなければなりません。—クリステン・テレット [1]
聖書は人種差別について何と言っているか
この議論で最初に理解すべきなのは、人間としての分類(race)は一つしかなく、それは人類(human race)だということです。白人、アフリカ人、アジア人、インド人、アラビア人、ユダヤ人は異なる人類ではありません。そうではなく、彼らは人類に属する異なる民族です。すべての人類は同じ身体的特徴を持っています(当然、小さな違いはあります)。より重要なのは、すべての人類は等しく、神の御姿に似せて創造されたということです(創世記1:26–27)。神はこの世を愛し、私たちのためにイエスを遣わして、その命を捧げるようにされました(ヨハネ3:16)。「この世」には当然、すべての民族が含まれます。
神は偏りみたり、えこひいきしたりされないし(申命記10:17; 使徒行伝10:34; ローマ2:11)、私たちもそうすべきではありません。… あらゆる形態の人種差別、偏見、差別は、キリストの十字架のわざに対する冒涜です。イエスは、彼が私たちを愛するように、私たちも互いを愛しなさいと命じています(ヨハネ13:34)。神が偏りみない方であり、私たちを偏りなく愛してくださるのですから、私たちも他の人々をそれと同じ高い基準で愛さなければなりません。…
ガラテヤ3章28節が[私たちの人生において]完全に実現されますように。「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」。—GotQuestions.org [2]
神の被造物は多種多様
神がなぜ人々を様々な肌の色に創造されたかを説明する特定の聖書の節はありません。それは、様々な身長や顔の特長を創造された理由や、数多く種の動物、鳥、魚、昆虫、花など、多様な生物を創造した理由についても同様です。
しかし、神の性格は、この世界の設計を通して暗示されています。それは多様性です。神は多様性を愛しておられます。神が最初にこの宇宙を創造された時のことを想像してみてください。多くの色を創造できるのに、一色しか造らないことなどあるでしょうか。多くの動物を創造できるのに、一種類の動物しか造らないことなどあるでしょうか。
独自性は存在します。この地球上に存在する私たち一人一人は、過去、現在、未来を通じて、唯一無二の存在です。神は、すべての芸術家、彫刻家、作曲家、クリエイターの中で最も偉大な存在です。神はすべての被造物の創造主です。この世界にあるすべての色が無限の形で組み合わさり、芸術と美しさを生み出しているのです。また、音の無限の組み合わせが、芸術と音楽を生み出しています。
私たちの肌の色は、神が多様性と唯一無二の美しさを創造するために用いられる数多くの要素の一つに過ぎません。—コリン・ウォン [3]
神はそれほども愛してくださったので
私は、団結や他の人との関係を最も破壊するものの一つは、レッテルを貼るという誘惑に負けてしまうことだと考えています。これは、何かの集団全体に対して、画一的な、そして通常は否定的な資質を押し付けるときに起こります。私たちは、いくつかの特質や、あるいはその特質がないことで人々にレッテルを貼り、その過程で、その人が持つ、ユニークな人としての他の多くの要素を無視してしまうのです。そうすると、その人の多くの価値ある資質を見出すことができなくなります。
ある人やグループに、一様に左派か右派か、リベラルか保守か、宗教的か世俗的か、ある宗教に属しているかいないか、黒人か白人か、あるいはその間にあるあらゆる肌の色か、若いか高齢か、金持ちか貧乏か、教育を受けているか受けていないかなどで人にレッテルを貼ると、すべてにおいて、その人を色眼鏡で見たイメージが頭の中に作られてしまいます。信念、意見、特徴、所属などによって人にレッテルを貼る時、それは、何かの論点についてその人と同意するかどうかに基づいていることがよくあります。
人にレッテルを貼るのは間違っています。なぜなら、人はそれぞれ唯一無二の一個人だからです。人々にはいくらか共通点があるかもしれませんが、感じ方や考え方、信じ方、行動の動機など、さまざまな違いがあります。レッテルが最も有害なのは、私たちが感情的に反応しているときです。なぜなら、そういう時、私たちはおそらく、物事をよく考え、よく祈り、自分の先入観を捨てるといったことをしないだろうからです。
レッテルを貼ることは、最終的に、偏見や憎しみ、反動的な反応や抑圧、貧困、残虐性、集団暴行、戦争、荒廃などをもたらすことがあります。人はそれぞれ神の姿に似せて創造されたと信じるクリスチャンとして、私たちは出会う一人一人を、その強み、特性、そして神が創造された通りの存在となる可能性を持つ唯一無二の人として見るようにと、意識して努力しなければなりません。神が誰かに刻み込まれた印を認識し、彼らが神に創造された個々の存在として尊重されるべきことを認める時、私たちはイエスが大きな犠牲を払って示された原則を実践していることになります。
最近、ある人がこんなことを言いました。「神への愛の尺度は、どれだけ他の人、隣り人、道行く人、敵でさえも愛しているかということ」だと。クリスチャンとして、私たちはイエスを愛し、他の人々を助けたいと望んでいます。そして皆、最善を尽くしてイエスに従いたいと願っています。私たちは真実を求め、善をもって悪に勝つことを望んでいます(ローマ12:21)。そして、その過程でできる限りのことを学びたいのです。できる限りを学ぶには、私たちにはお互いと、何よりも神が必要です。私たちは、それぞれが全体的な理解を高めるための何かを貢献できるという事実を尊重しなければなりません。
イエスは言われました、「わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」(ヨハネ12:32)。他の人たちは、私たちの生活、言葉、行動、そして互いへの愛の中に、イエスを見なければなりません。私たちは同じである必要はありませんが、私たち一人一人の中に宿っている神の霊を通して、共通点を見出す必要があるのです。—マリア・フォンテーン
2024年6月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス 音楽:マイケル・フォガティ