今日の問題への神の答
God’s Answer to Today’s Problems
April 20, 2015
デービッド・ブラント・バーグ
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真の愛、神と同胞への愛こそが、人々がいかなる時代や世代においても直面する問題の多くへの解決策です! それは、「互いに愛し合いなさい」という、神の大切ないましめを果すのを助けてくれる、神の聖なる愛の御霊なのです。イエスは最も大切ないましめとは、まず第一に神を愛することであり、それから自分を愛するように隣人を愛することであると言われました。それに律法全体と預言者とがかかっていると言われたのであり[1]、ソロモンも、神を愛し、神の命令を守ることが、人の本分であると言いました。[2]
過去の問題と同様、今日の問題への神の答とは、神を愛し、互いを愛することです。現代社会のように、複雑で混乱し、高度に入り組んだ社会においてもなお、それが神の解決策なのです。神を愛するなら、私たちは互いに愛し合い、神の被造物として自分自身をも大切にします。そのようにして初めて、人生や自由や、幸せになることに関する神のルールに従うことができるのです。
イエスご自身が、喜びと幸せにあふれる霊的な御国に、すなわち至福の心理状態や地上の霊的な神の御国に入るには、幼子にならなければならないと言われました。学識ある律法学者には「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう」と言われたし[3]、他にも「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」とさえ言われたのです。[4]
これはもちろん、イエスが語りかけておられた「イスラエルのラビ」という、明らかに学識のある老紳士にとって、かなり謎めいた言葉でした。この高い教養を身につけた律法の師には、救いが知識や高い教養や、トーラーやタルムードのようないにしえの人々の知恵の中にあると思われたのでしょう。しかし、ここでイエスはごく単純に、世界中で大人気の私たちのテーマソングが歌っているように、「幼子にならないと、天国に行けない!」と言っておられたのです。つまり、あなたは神の愛と真理を、天の父なる神が、その幼い子どもであるあなたに向けて語られた言葉として受け入れなければならないのです。神の御子イエス・キリストの内に表された、神の愛についてのこの良き知らせを受け入れることを通して。
教養あるラビにとって、この単純な真理を理解するのがきわめて難しかったことは、彼の反応や、主の言葉を文字通りに解釈したことからも、非常に明らかです。彼はイエスが、肉体的な生まれ変わりという、何らかの物質的な奇跡について話しておられるのではないかと考えました。しかし、イエスは即座に、ご自分が話しておられるのは、肉体が羊水の中から再び生まれてくることについてではなく、神の御霊ご自身の超自然的な奇跡によって起こる、人の霊と霊的態度の、霊の内での生まれ変わりについてなのだと説明されました。これはいわば、神が与えられる新たな霊的な心という贈り物です。[5]
イエスはこれによって、私たちが自分自身の行いや善良さや、律法を守り神を愛そうと努めることによって、あるいは自分で神の真理を見いだし、それに従おうと努めることによってさえも、自分を救えないことを、非常に明確に示されました。主は救いが、私たちが御子イエスの内に表された神の真理を受け入れる時に、御霊の働きによって人生が奇跡的に変貌することを通して成し遂げられる、神からの賜物であると言っておられたのです。イエスを受け入れるときに、私たちのうちにその霊が働いて、人間には不可能なことをする力をくださいます。つまり、神と人を愛することです!
「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。わたしたちは神の作品である。」[6] ですから、どんなに善良になろうと努めても、あなたは自分を救うことなどできません。神ご自身の恵みと愛と憐れみによって、神ご自身の聖なる救いという、天国的な完璧さを得るために徳を積むことも、それを受けるにふさわしい存在になることもできないのです。
「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼〔その御子イエス〕の上におかれた。」[7] 十字架の上で、私たちの罪に対する罰をその身に負って下さった御子イエスの内に表された、神の愛の美しい描写が読みたいなら、旧約聖書にある預言者イザヤの書53章の残りを読んで下さい。「彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだ…彼が自分を、とがの供え物となすとき…これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし…しかも彼は多くの人の罪を負い…」
「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」[8]
救いはそれほども単純なのです! ただ、神の御子イエスに、心の中に入って下さるよう求めることによって、自分の救い主として受け入れるだけでいいのです。あなたの問題に対する神の答や、心を満たす神の愛が、そして言葉に尽くせぬ喜びや、新たな計画や目標のある、輝かしい人生がほしいなら、たった今そうすることができます。神はそれほども素晴らしい方なのです。神を試してみてはどうですか?
自分の子どもたちが小さかった頃、私はこのように説明したものです。「神は天にいます私たちの偉大なお父さんで、私たちは地上にいる神の子どもたちだ。私たちは皆悪い子だから、お仕置きされて当然だろう? でも私たちのお兄さんであるイエスは、私たちと父なる神を愛しておられたので、そのお仕置きによって、私たち両方が傷つくと知っておられたんだ。そこで、ご自分が私たちの代わりにその罰を受けると申し出て下さった。それで神はイエスがそうすることを許可され、私たちがその犠牲ゆえにイエスを愛し、イエスに感謝するなら、そしてその後ずっとその御霊に、心と人生の中に住んで頂き、自分たちを通して主に他の人たちを愛してもらうという形で、主の御言葉に従うなら、私たちをゆるすと約束されたんだ。」
そしてその後、子どもたちを祈りに導いたのです。あなたも、望むなら今このように祈ることができます。「愛する主よ、私たちが悪いことをし、罪を犯し、罰を受けるにふさわしい存在であることをお許し下さい。私の代わりに罰を受けさせるために、あなたの御子イエスを送って下さったことを、心から感謝します。私は今イエスを、自分の救い主およびあなたの御子として受け入れます。どうぞ心の中に入って、私が善良なものとなり、あなたの霊によってあなたと他の人々を愛するのを、助けて下さるよう求めます。あなたの御言葉を読み、それに従い、他の人々を助けることができますように。イエスの御名で、アーメン。」
新しく生まれ変わることや、霊的な再生と神が呼ばれた、神の御霊の力による霊的変貌の内に起こる、このような即座の、奇跡的で超自然的な心と思いと人生の変化は、これまで多くの人々の誤解を招いてきたことでしょう。それほども劇的な変化なのですから。
幾つかの聖書物語を思い起こすなら、最も偉大な神の人々の人生や心や思いが、何らかの危機に瀕した時に、神の御霊の力によって、即座に変貌を遂げた例に思い当たるかもしれません。アブラハムやモーセ、ダビデ、イザヤ、エレミヤ、ダニエル、あるいはイエスご自身が召された人や、いやされた人、イエスの使徒たち、そして歴史を通じて生きた、他の大勢の神の人たちがそうです。あなたはそれが実際に少しも真新しいことではなく、神がこれまで時代を通じて、人々の人生におこなってこられたことであるとわかるでしょう。
時としてそれはあまりに突然に、完全な形で起こるために、劇的な変化が生じて、その劇的さのあまり、人の誤解を招いてしまうこともあります。使徒パウロのように、突然気がふれたと思われた人も大勢います。人生や考え方や話し方や生き方が、突然に大きく変わってしまったからです。人生や他の人々に対する、その人の考え方がすっかり変わったのです。
これが歴史を通じて、ごくありふれた神の奇跡であることを思い出して下さい。イエスはそれを、御霊によって再び生まれ変わることと呼び、パウロは新しく生まれて、「古いものが過ぎ去り、すべてが新しくなる」とか「イエス・キリストによって新しく造られる」ことと呼びました。[9] 聖書はそれを「古い人を脱ぎ捨てて、新しい人を着る」こととも呼んでいます。[10] しばしばあまりに目を見張るような大きな変貌や、実際の性格の変化が起こるために、神の言葉はそれを、古い人が死んで埋葬され、よみがえって、新たな生き方で新たな人生を生きることに例えているのです。
偉大な聖アウグスティヌスは、在学中に放蕩や道楽に明け暮れていましたが、自伝によると、その後改心し、ある日道を歩いている時に、女友達の一人とすれ違ったそうです。彼は気づいていない様子だったので、女友達は振り返って、こう呼びかけました。「アウグスティヌス、私よ!」 すると彼は、こう答えたそうです。「ああ、知っているよ。でも私は、もう私ではないんだ!」 ちょうど、使徒パウロがこう述べているようにです。「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま生きているのは、神の御子の憐れみによって生きているのである!」[11]
神は今日も生きておられ、力強く人々の人生を変えておられます!
初版は1972年6月。2015年4月に改訂・再版。
朗読:ガブリエル・ガーシァ・ヴァルディヴィエソ。