神はあなたを喜ばれる
God Delights in You
November 15, 2016
引用文集
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「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」—ゼパニヤ 3:17 〈新改訳〉
神はその子らを喜ばれるがゆえに歌い、彼らを楽しみ、彼らに喜びを感じておられます。ゼパニヤはここで、神がその子であるイスラエル民族への裁きを終え、彼らが敵から安全に守られ、祝福に満ちた時を楽しむ将来について語っています。
この節の言葉は、神が常に共におられ、その強大な御力で私たちを救われることを、思い起こさせてくれます。神は私たちのことを楽しみ、一人一人を深く愛しておられるがゆえに、私たちのために愛の調べを歌い、また私たちのことを喜ばれます。ただ私たちが神のものであるがゆえに、このように喜んでおられるのです。そしてちょうど子どもが、母親の歌声を聞いて落ち着き、心休まるように、神はその愛によって私たちをなだめ、その御声によって心を鎮めて下さいます。
私は天にいます父なる神が、その子らのためにこのように歌い、喜んでおられる様子を思い浮かべるのが大好きです。神は私やあなたのために歌い、喜んでおられるのです。
神がなぜ私たちを愛することがおできになるのか、理解し難い時もあります。とりわけ自分の犯したあらゆる失敗や、失望の中で必死にもがいていた時期のことを考えるならば。あるいは、神の御国と栄光のために十分尽くしていないため、自分が至らない存在であると感じる時には。
また、他の人に愛してもらえず、拒まれていると感じて、もしかすると神も同じように自分たちを見捨て、拒まれたのかもしれないと思う時にもそうです。母親がその赤ん坊を愛するのと同じように、私たちを愛して下さる神のことを考える時、それは何と大きな慰めをもたらしてくれることでしょう。
私たち母親が赤ん坊に歌うのは、彼らを愛しているからであって、彼らがそれに値するからでも、見返りに何かをしてくれるからでもありません。彼らが心に喜びをもたらしてくれるのは、彼らが私たちのものだからです。そして天にいます父なる神も、私たちに対して同じ気持を抱いておられます。
神の穏やかな愛や、受け入れ喜んでいることを示す優しいささやきは、私たちの霊が耳にするであろう最高のラブソングなのです。—トレイシー・マイルズ [1]
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神が冷蔵庫を持っておられたなら、そこにはあなたの写真が貼ってあることでしょう。財布を持っておられたなら、そこにあなたの写真をしのばせておられることでしょう。神は春が来るたびにあなたに花を送り、朝ごとに日の出を送って下さいます。あなたが話したい時には、いつも耳を傾けて下さいます。宇宙のどこにでも住むことがおできになるのに、あなたの心をその住まいに選ばれました。ご覧なさい、友よ、神はあなたに夢中なのです。—マックス・ルケード
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主は‥‥わたしを喜ばれるがゆえに、わたしを助けられました。—詩篇 18:19
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花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ばれる。—イザヤ 62:5b
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ゼパニヤ3:17には、歌ってその民のことを喜ばれる神についての興味深い描写があります。「あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。」〈新改訳〉
この節に関して気づいた大切なことが二つあります。第一に、歌うことは神の喜びを表すということです。「主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と訳されているへブル語の節は、「主は喜びの叫びを上げてあなたのことを喜ばれる」と直訳することもできるのです。
第二に、神が歌う箇所は、エルサレムの神の民が歌う箇所と対句になっています。「シオンの娘よ、喜び歌え。」[2] この詩の部分は、エルサレムの住民が神への賛美を歌うところで始まり、神がご自分の民について歌うところで終わっています。神はその民と共に喜び、彼らがご自分を賛美する時に、それを喜ばれるのです。
そこで疑問が生じます。なぜ神はそんなにも喜んでおられるのでしょうか。このゼパニヤの節は、神がイスラエルの民への裁きを終えた将来の時代について語っています。すべての敵が滅ぼされ、イスラエルは安全と祝福の時代を迎えているのです。[3] ゼパニヤが語っているのは、メシア(イエス)がエルサレムのご自分の民と共に統べ治められる、将来の至福千年の御国についてです。[4]
ゼパニヤ3:17の生き生きとした描写は、大いに感情がこもっています。父なる神はその娘エルサレムを抱き、彼女のために喜び歌うのです。愛情深い親が子を愛するがゆえに、その腕に抱いて歌う時のように、神がその民に歌われる歌も、その深い愛情から生じています。苦難の時期が過ぎた後に、愛情深い主はその民の涙を拭い、その心を慰め、彼らを新たな世界へと迎え入れられます。
最後に、イエスは新約聖書の中で、「罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」[5] とも教えられました。この節の中で神ご自身が歌っておられるかどうかは明記されていませんが、さまよっていた人々が悔い改め、神と和解する時、神の御前に喜びがあることが、はっきりとわかります。[6] —gotquestions.orgより
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愛されている—
立派な行いや高い地位や
達成事項や名声のゆえにではなく
成功を収めた時や
私が強く、確信があり
着々と前進している時や
夜をも怖れず 夜明けにも揺るがないような時のゆえにでもなく
愛されている—
今日たった今、私が私であるがゆえに
道を見いだそうとよろめきつつ手探りで進み
数々の夢や恐れや壁や
始まりや終わりや、頂点や転落を心に宿し
洗練されておらず、重大にも見えない人生を送る
さまよいの末に見いだされ、贖われた罪びととして
—エベリン・シクロフスキー
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あなたは尊い存在です。あなたは不朽の愛を受けるに値します。あなたは喜びです。あなたは本質的に誉れを受けるにふさわしい人です。あなたは楽しみです。あなたの人生には、確固たる目的があります。あなたの創造主は、あなたを一人しか造られませんでした。あなたという人をお造りになった設計者は、あなたのいない世界を望まれませんでした。あなたのいない宇宙など、宇宙として物足りないと思われたのです。何かが欠けていると。
聖書の言葉によれば、これがあなたの当初の設計プランの一部です。これらはあなたについてのれっきとした真実です。あなたは愛されるために生まれてきました。拒まれるためではなく、受け入れられるために。
あなたの最も奥深い場所に秘められた、これらの目的を知っていますか。あなたはそのような現実に見合った人生を送っているでしょうか。—テサ・アフシャー
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わたしはあなたが何者かであるがゆえに、あるいはそうではないがゆえに、愛しているのではない。あなたがこういう人間であるからという理由で、愛しているのではない。あなたがどれだけ多くのことを、どれだけうまく成し遂げたかによって愛しているのでもない。あなたの罪や失敗がどれだけ少ないかや、どれだけ正しいことをするかによって愛しているのでもない。ただあなたを無条件に愛している、それだけのことだ。その事実は理解し難いかもしれないが、いったん理解できたなら、人生のすべてが新たな意味と深みと現実性を帯びることだろう。あなたは愛されているがゆえに、まったき者となり、愛されているがゆえに自由になる。心から他の人を愛することができるようになる。自分が完全に、無条件に愛されているからだ。
あなたがわたしをどれだけ愛してくれているかや、わたしのために何をしてくれたかに応じて、あなたを愛そうと決めたのではない。そのどれよりも前に、あなたがこの世に生を受ける前にさえ、わたしはあなたを愛していた。
あなたがわたしに愛していると告げ、祈りの内でわたしに近づくことによって、その愛を行動に表してくれる時には、心から嬉しく感じる。わたしを愛し、わたしを喜ばせたいと思ってくれることが嬉しい。しかし、そんな気持ちが人生の雑事で薄れて、締め出されてしまう時にも、あなたへのわたしの愛は変わらない。わたしのあなたへの愛は決して衰えることがなく、忙しすぎてあなたのために時間を割くことができない、などということも決してない。—イエス、預言で語る
2016年11月にアンカーに掲載。朗読:サイモン・ピーターソン。
音楽:マイケル・ドーリー。