互いにゆるし合いなさい
Forgive One Another
March 11, 2014
引用文集
オーディオ・ダウンロード(英語) (8.5MB)
互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。 —コロサイ 3:13
*
もしあなたが、あなたををひどく傷つけたと思う人をゆるさないなら、真の愛とは何なのでしょう。敵を愛さず、あなたに悪事を行う人に善を行わず、もう片方の頬を向けないなら、何が主の御霊の真の現れだというのでしょう。それこそ愛、それこそ恵み、それこそ謙遜です。それこそイエスです。人が誰か別の人のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はありません。[1] たとえ相手が、あなたを傷つけた兄弟姉妹であってもです。
その人をゆるすための恵みを得ようと手を伸ばす時、あなたは主に向かって手を伸ばしています。主はそれゆえにあなたをより良い人として下さるでしょう。神の恵みによって、他の人をゆるし、そのような難関や障害を乗り越え、間違ったことをされてもなおゆるすだけの広い心を持つ人となるなら、それは素晴らしいことなのです。—マリア・フォンテーン
*
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。—マタイ 6:14–15
*
ゆるし。それはあなたにとって、聞くに辛く、とても想像できないような言葉だろうか? よくわかるよ。
わたしは打たれ、拷問され、あざけられ、衣をはがれ、十字架に釘付けにされて、苦悶と、死による屈辱を味わった。あなたは、相手は到底ゆるしの贈り物を受け取るに値しないから、あるいは、あなた自身ゆるしてもらえなかったから、その人にゆるしの贈り物を与えたいという願いなど毛頭ない。わたしはそれを理解している。
ゆるしは正義ではなく、憐れみだ。ゆるしを受けるにふさわしくなれることは決してない。しかし、あなたが誰かにゆるしを与えると、わたしはあなたをゆるすことができる。ゆるしとは、物事をわたしの手に委ね、わたしが正義をもたらすと信頼し、また、人は誰しも間違いを犯すものだと認めるという選択だ。
ゆるしはあなたにとってどのような益があるだろう? あなたが誰かをゆるす時、あなたとわたしの間に何かが起こる。わたしはあなたの心をむしばむ怒りや憤りの感情を、ゆるしの感情に置き換える。誰かをゆるす時、あなたの心が開いて、わたしはあなたを清め、平安を与えることができる。—イエス、預言で語る
*
互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。 —エペソ 4:32
*
ノア・ウェブスターが1828年に発刊した辞書には、ゆるすというのは、「違反行為を見逃し、それを犯した人を無罪として扱うこと」とあります。ゆるし:「違反した人を赦免することによって、無罪とし、そのように扱うこと。敵をゆるすことはクリスチャンの務めであると考えられている。」
ゆるしとは、あなたのためにすることです。多くの人は当然ながら、違反行為をした人は、ゆるしに「値しない」と主張しますが、それは全く関係のないことです。あなたが、その人をゆるすのに値するということなのですから。
あなたは、親や、兄弟姉妹、いとこ、伯母、友達、近所の人、教師、弁護士などから、何年も前に何かをされて傷つき、恨みと憎しみでいっぱいになっているという人を、何人知っていますか?
現実的に言って、あなたを傷つけた人は、あなたの過去に害を与え、今もなお、あなたを支配しています。実際問題として、あなたはその人に、将来を支配し、悪影響を与えていいという許可を与えるつもりなどないのは確かです。
憎しみ、復讐心、恨みの荷を負いながら、自分が本来達せるはずの高さまで届くことはできません。それらは重い荷であって、その3つの荷を背負っている限り、あなたが自分の将来性をフルに気づく可能性はないでしょう。
また、たとえ職業面で成功していても、個人としてはどれだけ幸せになれるでしょうか? 憤りや恨みを抱いている人に、何人の友達がいることでしょうか? そういった人の何人が、家族と良い関係を持ち、将来に対して楽観的で、快活で熱意に満ちた姿勢を持っているでしょうか?
ゆるしがその鍵です。もしあなたも多くの人同様、自分でゆるすことができないのなら、カウンセリングを受けて、その迷路から導き出してもらうよう勧めます。そうすればきっと、ゆるせるまでになることでしょう。
ゆるした日に、あなたは、もっと幸せで、もっと健康で、もっと安定した人になるでしょう。—ジグ・ジグラー
*
敵をゆるし、愛するときほど、神の愛の海原に触れることはないでしょう。—コリー・テンブーム
*
詩篇23篇と主の祈りは、私が窮地にある時に、主は決して私を離れたり捨てたりせず、孤児とされないと知ることで、いつも私の最大の慰めとなってきました。私はいつも、祈りにある「わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください」という部分や、イエスが「もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」と言われたことに、良心の呵責を覚えます。
私たち自身も多くの罪をゆるしてもらわなければならないのですから、私たちは全く謙遜になって、他の人たちに対して憐れみを持てるよう、主に助けを求めるべきです。自分たちがいかにひどい罪人であり、どれだけの間違いを犯したのかを常に覚えていることは、私たちを謙虚に保ち、人を批判したり非難したりする原因となる独善的なプライドを捨てるための、大きな助けになります。
自分たちは皆罪人であり、誰でも間違いを犯すので、「神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合」うべきことを常に覚えているのは助けになるのです。—デービッド・ブラント・バーグ
*
たぶんあなたは、昨日、おそらくはずっと昔に誰かに傷つけられて、それを忘られないのかもしれません。傷は深く、今もあなたに痛みを与えています。
あなただけではありません。善意ある人たちでさえ互いに傷つけ合う世界で、私たちは皆、何とか生き抜こうとしています。深い個人的関係に身を投じる時、私たちはしばしば無防備になって傷つきます。
ゆるしとは、たとえ動機は良くとも、人々が互いに不公平な扱いをし、互いを深く傷つけ合うこの世界と何とか折り合いをつけられるようにと、神が考案されたものなのです。神はまず、私たちをゆるすところから始められます。それから私たち全員に、互いにゆるし合うようにと呼びかけなさるのです。—ルイス・B・スメデス
*
ゆるしの実践は、世界のいやしのために私たちにできる、最も重要な貢献です。—マリアンヌ・ウィリアムソン
*
ゆるしとは、意思のなせるわざであり、意思は心の温度が何度であっても機能します。—コリー・テンブーム
*
ゆるすことをいとわない姿勢は、霊的・感情的成熟のしるしです。それは、私たち皆が、熱心に目指すべき素晴らしい徳の一つです。進んで謝罪し、また謝罪を受け入れようとする人たちで満ちた世界を想像してみて下さい。必要な時には、そのいずれか、あるいはその両方をするだけの謙遜さと霊や魂の大きさを持った人たちの間で、解決し得ない問題などありましょうか?—ゴードン・B・ヒンクレー
2014年3月アンカーに掲載。朗読:ブライアン・クラーク。
音楽:マイケル・ドーリー
1 ヨハネ 15:13.