良い面に焦点を当てる
Focusing on the Good
September 3, 2025
ニーナ・コール
兄弟姉妹のいる家庭が多くあり、彼らは同じような環境で育っていきます。しかし、同じ国に住み、同じ学校に通い、多くの同じ経験を共有しているにもかかわらず、過去について話すとき、人生の見方は大きく異なることがあるものです。
なぜ二人の人が同じ経験に対して全く異なる受け止め方をすることがあるのでしょうか。その一因に、私たちの態度が関係しており、困難や障害にこだわるのではなく、良い面や、経験から学べることに焦点を当てるかどうかが影響しています。
人生に対する見方を、ネガティブな経験に基いたものとするなら、自分の人生を形作ってきた良いことや美しいものを見たり楽しんだりすることが難しくなります。ネガティブなことばかりにこだわっていると、人生であずかっている素晴らしいものを見失ってしまうことがあるし、助け励まそうとしている人を遠ざけてしまうことでしょう。なぜなら、そうしたネガティブなモードにある時、他人が自分について言ってくれる良いことを受け入れるのは、ほぼ不可能だからです。
前向きな姿勢を持つことで、人生に対する見方や、自分に起こる物事の捉え方が変わります。状況の中にある良い面を見ることも、ネガティブな面だけに焦点を当てることもできますが、後者では生きることが惨めなものになってしまいます。良い面を見ることを選ぶことで、自分が嫌いなことや気になることではなく、自分を幸せにしてくれるものに焦点を当てる方法を学ぶことができるのです。
娘の誕生日パーティーに、ある女の子を招待したのですが、その子は家中を歩き回って、プールのサイズから、出したオレンジジュースのブランド、ケーキの種類、他のお菓子の方が好きだとか、あらゆるものに文句をつけてきました。もちろん、その子自身もパーティーを全然楽しめなかったし、娘も私も二度と招待したいとは思いませんでした。
ネガティブなことばかりに注目する人を見ると、頭上に暗い雨雲が垂れ込めている漫画のキャラクターを思い出します。それはかなり憂鬱な光景です。それだけでなく、そのようなネガティブな考えは周囲に伝染します。他の人を落ち込ませ、人生に対する見方を暗くしてしまうこともあります。幸いなことに、もし私たちが人生の良いことや前向きなことに意識を向けるようにすれば、周りの人に逆の効果をもたらす力を持てます。誰かの見方を明るくし、困難な状況をより耐えやすくする手助けができるのです。
私の先生の一人が、授業で映画を見せる前の祈りでよく引用していた言葉があります。「悪を避けて(eschew)善を選べるよう助けてください」というもので、聖書の言葉(1ペテロ3:11, イザヤ7:15)を言い換えたものです。「eschew」が「噛む(chew)」ではなく「避ける」という意味だと理解できる年齢になってからは、これは生きる上で素晴らしい指針だと思うようになりました。
誰もが困難な状況に直面します。遅延や難しい試練、不公平または厄介な状況や人が存在します。こうしたことの多くは私たちの力の及ばないものなので、怒りやネガティブな感情は、自分自身をさらに惨めにする以外に何の役にも立ちません。
聖書には「いつも喜んでいなさい」(1テサロニケ5:16)と書かれています。神が常に私たちと共におられるとわかるなら、物事を明るく見ることができ、たとえどのようにそうなるかわからなくても、神がすべてのことを共に働かせて私たちの益にしてくださるという信仰を与えてくれます(ローマ8:28)。人生に対して、このようなアプローチをすることは、より大きく、さらに深刻な困難に直面した時にも役立つことでしょう。
昔、ある王と親友の寓話を読んだことがあります。その親友は、どんな悪いことが起きてもいつも「神様は最善をご存知だ」と言う人でした。ある日、二人で狩りに出かけたとき、親友がライフルの組み立て方を間違ったため、王は誤って自分の親指を撃ち落としてしまいました。王は怒りのあまり、友人を投獄しました。連行されながら友人は、「神様は最善をご存知だ」と言いました。
王は、友人が今回は明らかに行き過ぎたと考えました。この状況から何か良いことが起こるはずはないと断言できたからです。しばらくして、王は遠征中に人食い人種に捕まりました。彼らは王を煮る大きな鍋を準備していましたが、その時、王の親指が欠けていることに気づきました。彼らの迷信により、王が「完全な身体」ではないために食べるのを恐れ、解放したのでした。
王は、友人のあの過ちが自分の命を救ったことに気づきました。彼はすぐに友人を呼び出し、軽率にも投獄したことについて深く謝罪しました。「神様は最善をご存知です」と友人は答えました。「事故が私にとって良い結果をもたらしたことは分かりますが、あなたを投獄したことがどう良かったというのか」と王が尋ねると、友人はこう言いました。「もしあなたが私を投獄していなかったら、あなたがあの人食い人種に出会ったとき、私も一緒に捕まっていたでしょう。そして私には親指があります。」
少しおかしな話ですが、要点はついています。神は、厄介でネガティブな状況を良い方向に変える素晴らしい方法をお持ちです。私たちが自分の持っている祝福を数えるように心がければ、それらがたくさんあることに気づくでしょう。しかし、もしネガティブなことに焦点を当てれば、それもまたたくさんあることに気づくでしょう。結局のところ、それはあなたがどちらに目を向けるかによって変わってくるのです。
ポジティブな視点とネガティブな視点のもう一つの大きな違いは、それが将来に対する見方に与える影響です。新しい機会は、素晴らしいことが起こるチャンスでしょうか。それとも、期待通りにいかないことがまた一つ増えるだけでしょうか。
ピリピ人への手紙4章8節がうまく語っています。「最後に、兄弟たちよ。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば、それらのものを心にとめなさい。」 聖書はまたこう告げています。「主に寄り頼む者はさいわいである」(箴言16:20)。
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若者向けのキリスト教的人格形成リソース「Just1Thing」ポッドキャストより、一部変更