孤独な時期に祝福を見いだす
Finding Blessings in Times
of Loneliness
January 7, 2019
イエスからの言葉
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「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の[そしてそれらの患難よりもはるかに]重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」—2 コリント 4:17–18
わたしの愛は、一人一人の人生に特別な形で表れる。それぞれの心にはわたしにしか満たせない場所があり、他のものや人々でそこを満たそうとする人は、遅かれ早かれそれらのものや人々が、完全には満足させてくれないことに気づくだろう。彼らはその場所を、わたしのためだけに取っておかねばならない。
天が下のすべてのものには時があり、わたしは一人一人の人生に異なった方法で働きかける。わたしの祝福を状況や外見によって互いと比べることは賢明ではなく、また正確な比べ方でもない。わたしの愛はそれよりもずっと深く、確実で、永遠に続き、しかも完璧だ。あなたと他の人との交流や関係というコップは、あふれかえっている時もあれば、ほとんど空っぽのように見える時もあるかもしれない。わたしがあなたに一人きりになる時間を与えたなら、友人や愛する人々と過ごす時間がもっとある人々と比べたりせずに、むしろそれをわたしからの祝福であると見なしてほしい。そのような時、あなたはわたしとの関係を深めることができるからだ。
人生において、孤独感と闘っている時には、わたしに近づこうと努め、そして地上の人生の試練や患難がやがては過ぎ去り、わたしの天の王国において、すべての涙が拭われ、あなたの心の願いがかなえられるであろうことを、思い出してほしい。
わたしが乗り越えさせてあげよう
「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」—詩篇 62:8
わたしはこれまで、順調な時も不調な時もあなたと共におり、困難な時期にも幸せな時期にも、ずっとそばにいた。わたしはあなたが、一つ一つの障害や状況を切り抜けている間、ずっとそこにいたのだ。愛する人よ、わたしはこれまであなたを片時も離れなかったし、これからも常にあなたと共にいる。
あなたが困っている時に、わたしがあなたのそばを離れたりするだろうか? あなたがわたしを切実に必要とし、わたしに叫び求めている今、わたしがあなたの必要を満たし、その心の叫びに応えないなどということがあるだろうか? わたしはあなたを気遣い、永遠の愛であなたを愛している。あなたの心が何を切望しているかも知っており、あなたにそれを供給する。それはあなたが期待していた通りのものではなく、望んでいたような答ではないかもしれないが、わたしの方法を喜んで受け入れ続けてくれるなら、あなたが必要なものでそこを満たそう。わたしのもとに願いを携え、わたしに心を開くことを恐れてはいけない。
わたしに難しすぎることなどあるだろうか? わたしに信頼し、信仰を持ちなさい。あなたの目をわたしに向け、天を見上げなさい。引き続きわたしをあなたの一番の恋人とし、わたしがあなたになると約束したあらゆるものになると信頼していなさい。明日のことを思い煩い、わたしがどのように供給するのかと心配してはいけない。周りの状況や条件や波に目を留め、わたしがどうやって供給するのかと考えてはならない。それはわたしの関心事であり、わたしの手の内にある。あなたの役目は、心にある切なる願いをわたしのもとに携え、わたしにはあなたを世話することができると完全に信頼することだ。
あなたはもうこれらの嘆願をわたしの手に任せたのだから、今後はそれらが心に重くのしかかることを許してはいけない。あなたはわたしに荷を委ねたのだから、今は思い煩いから解放されて、軽い心で自由に歩むことができる。あなたはその信頼を、わたしに置いたからだ。わたしにことごとく信頼する人は、信仰によって歩み続ける。そして信仰によって歩むなら、約束や祈りの答や、祝福を目にするだろう。
だから、忠実でいて、全身全霊でわたしを愛し、わたしに仕え続けてほしい。福音を世界に携え続けなさい。わたしの愛を、他の人々に示し続けなさい。他の人々に、あなたの心と愛を与え、自分のことを心配してはならない。そうすれば、より大きな幸福への道を見つけることだろう。
喜びが訪れる
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」—詩篇 16:11
これは確かに辛い時期だ。わたしにはわかっているし、わたしもあなたと同じ気持ちを感じている。わたし自身も、そのような一人でいることの痛みや苦痛や悲しみを、味わったことがあるからだ。ゲツセマネの園にいた時や、その後十字架の上で死にひんしていた時、わたしは世の誰も感じたことのないような、深い孤独を感じていた。弟子たちは恐れゆえにわたしを見捨て、わたしの父すらもわたしに背を向けて、世の孤独な罪びとと同じようにわたしを死なせなければならなかった。いや、それ以上に過酷な方法だった。わたしは自分が全世界の罪と、これまで世に生きた、そして今後生きるであろう、すべての人の悲しみや悲嘆や心痛や辛苦を感じ、それらをこの身に負ったからだ。
悲しみや痛む心をわたしのもとに携えてくるなら、それらを肩代わりしてあげよう。思い煩いをわたしに委ねなさい。そうすればあなたを支え、それらを負う手助けをしよう。
あなたが人生において、様々な物事がなぜそのような結果に終わったのかを知り、理解したいと望んで、答を求めていることを知っている。もっと楽で、自分の切なる願いを叶えてくれるような他の道や方向へと人生を進められたはずではないだろうかと考えているね。わたしは知っており、気遣っており、あなたが悲しみを味わう時には憐れみを感じ、テストや試練を通っている時には慰め、祝福すると信じていてほしい。
今のような状況が今後もずっと続くわけではなく、あなたはわたしの時に、わたしの方法で、自分のすべての必要が供給されると信じ、信仰を持たねばならない。信仰を持ち、わたしが自らの約束を果たすと期待し、信頼していなさい。また同時に忍耐を持ち、わたしが万事を申し分なく取り計らうことを思い出しなさい。
わたしの意志という道は、狭く、険しく、急傾斜で、滑り易いが、最も景色が美しく、最も豊かな報いのある、至高の場所へと続いている。だから、問題や悲しみにもかかわらず前進し続け、夜は夜もすがら泣き悲しんでも、あるいはそんな長い夜が幾晩も続いたとしても、わたしの約束は変わらず、喜びが訪れると信じていなさい。その喜びのあまりの大きさに、苦悩は忘れ去られるだろう。
わたしのもとに来て、あなたが心と魂を注ぎ出して祈ってきた、祈りの答を目にすると信頼しなさい。わたしはあなたを愛し、気遣っており、わたしが喜ぶ愛する人に、良いものを何一つ差し控えることはない。[1]
裏切ることのない神の愛に望みを抱く
「主の目は主を恐れる者の上にあり、主の裏切ることなき愛に望みを抱く者の上にある。私たちの心は主にあって喜ぶ。主の聖なるみ名に信頼するからである。主よ、私たちはあなたに望みを託すゆえ、あなたの裏切ることなき愛が私たちの上にありますように。」—詩篇 33:18, 21–22 [2]
あなたの望みをわたしに託しなさい。そうすれば、決して裏切ることのないわたしの愛が、あなたの上に留まるだろう。わたしの子どもたちの中には、望みを抱く方法を忘れてしまっている人がいる。あまりに何度も期待を裏切られてきたので、もう失望するというリスクを冒したがらないのだ。だから、彼らは平然として突き進み、機械的に生きる。問題解決や治療や株式市場や宝くじといったものに望みを託す人々もいるが、わたしはあなたに、ただわたしのみに望みを託すよう、敢えて求める。
人生で何が起こっていようと、あなたの物語には驚くほどハッピーな結末がある。あなたの目には先行きが暗く見えたとしても、地上の人生という旅の終わりには、永遠に続く明るい光がある。わたしが十字架上で使命を全うしたことにより、この天国という希望は確実にあなたのものとなり、それは完全に保証されている。それに、自分の物語に良い結末があると知っているなら、喜びをもって今の旅を続けることができる。
わたしに望みを託せば託すほど、わたしの愛の光があなたの上に輝き、あなたの一日を照らす。わたしがあなたと絶えず共にいることや、わたし自身があなたの希望なのだということを、覚えていなさい![3]
2019年1月アンカーに掲載 朗読:サイモン・ピーターソン 音楽:ダニエル・ソッジ