恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている
Fearfully and Wonderfully Made
November 11, 2014
引用文集
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わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。―詩篇139:14 [1]
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これは、ものすごい意味や教理の詰まった詩篇の内におさめられた節です。この詩篇の作者は、神が遍在し全知であることについて語っています。すべてを見る神の目から逃れることもできなければ、神に気づかれずに何かを経験することもできない。…これらの節から、その時その時に何を経験していようと、神は共にいて下さるという安心感が得られます。神が遠い存在に感じられる時にも、この素晴らしい詩篇は、神が常にそばにいて、あなたの問題や必要を知っていて下さることを改めて教えてくれ、大きな慰めをもたらします。
[この詩篇139篇の14節でダビデは]神を賛美していますが、それは神が自分を、さらには私たち一人一人を、驚くべきものに造られたからです。神は私たちを今あるままに、特別な目的をもって造られました。そのことを理解すれば、人生で病気や問題に思えるものに遭遇しても平安が持てます。神がそれを定められたのですから。―デービッド・ピーチ
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タイム誌の出版元が最近出した本は、様々な写真で世界を紹介しています。どのページも、接写から遠景まで、カメラの捕えた美、驚異、神秘を見せてくれます。蜂の巣の複雑な作りから、シロイルカがいたずらっぽく水を吹き上げる様子、ハイイログマがサケを捕まえる様子まで…どれを見ても驚きに満ち満ちています。
あなたは、毎朝、世界でも大いに驚くべきもののひとつが鏡の向こうからあなたを見ているのに気づいていますか? 聖書には、私たちは「恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている」とあります。一日の始まりに、あなたという奇跡について、つまり宇宙の創造主からの賛辞について、よく考えてみることにまさるものはありません。―ハワード・バット・ジュニア
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あなたは特別だ。壮大で見事な全体的計画の一部である。あなたにその計画は見えないが、わたしには見える。生命のパノラマの中に、また宇宙の調和の中に、自分がどれほどうまく収まるか、あなたには見えないね。だが、わたしには見える。いつかあなたも見えるようになる。その時には、すべてがどう素晴らしく収まったかを見て、わたしと共に驚嘆することであろう。
あなたはユニークな存在だ。過去にあなたのような人はいなかったし、これからも、あなたの通りの人はいない。それが、わたしがあなたについて一番好きなことの一つだ。自分を否定的に見て、欠点や弱さ、出来ないと思うもの、完璧とは言えない体や性格など、何であれ、そういうものにばかり目を向けるという誘惑に抵抗しなさい。あなたは、自分の造られた目的を果たしている。わたしはありのままのあなたを愛しており、この世界にあなた一人しかいないかのように愛している。―イエス、預言で語る
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神はあなたを織りなし、つづり合わされた。タペストリーのように、私たち一人一人は複雑に造られている。[2] 体のすべての部分が連動して動き、それぞれ異なる機能があり、すべて相互依存している。[3] 神は、人を困惑させるほどのスキルを使って働かれる。すべての始まりとなった最初の人間のことを私たちは思う。[4] 神があの最初の男女を造られた時、子孫を増やすことができるよう、自然の法則によって機能するメカニズムを上手く付け加えられた。詩篇作者は神を、人類の始まりの源である創造主であるという正しい捉え方をしている。
このことで、私たちの心には賛美と感謝があふれるべきである。[5] 私たちは「恐ろしい(畏敬の念を抱かせる)力によって」「驚くべきもの(特徴的なもの)」に造られている。一人一人が多くの面でユニークだが、同時に共通していることも沢山あり、一人一人が創造主のオリジナルの傑作なのである。あなたのアイデンティティのこの面を否定してはいけない。(非常に多くの人がそうしてしまった。) 神はあなたの特別な能力を使うことができる。[6] 神はあなたのための目的を持っておられるのだ。―ジョン・W・クィン
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詩篇139:14はよく知られています。「わたしはあなたに感謝をささげる。わたしは恐ろしい力によって驚くべきものに造り上げられている。御業がどんなに驚くべきものかわたしの魂はよく知っている。」 …これはどういう意味でしょうか?
まず、この言葉は神が造られた人間の体の驚くべき能力について明確に語っています。私たちの体は何十兆という細胞からなり、愛情深く賢明な創造主かつ設計者である方にしか十分に説明ができないような無数の部分から成り立っています。[7]
2つめに、この節は神の目から見た私たちの価値を示しています。神が私たちを設計され、それぞれの人を造るのに多くの気づかいがこめられています。そのすぐあとに続く節はこうです。「秘められたところでわたしは造られ深い地の底で織りなされた。あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。まだその一日も造られないうちから。」[8]
3つめに、この節は人間の命の測り知れない価値を明らかにしています。この節をそのまま当てはめると、人が胎内にいる時から最後の息をする時に至るまで、あらゆる段階において命を守ることになります。これが理由で、クリスチャンは胎児の命を守ることについて深く気づかうのです。[9] また、社会において他の人々からひどい扱いをされ、価値を認めてもらえない人たちのことや[10]、年老いた人や末期患者のことを気づかうのです。1ヨハネ14:19[新共同訳]には、「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」とあります。
4つめに、何でもできる(全能)、何でも知っている(全知)という神の特性がこの節で明らかになっています。神はヨブにおたずねになりました。「だれが心のうちに知恵を置いたか。だれが心の奥に悟りを与えたか。」[11] これは修辞的な質問であり、もちろん、答えは神です。他の誰も、一人一人の人間を造った功績を受けることはできません。他の誰も、最も親密なレベルで一人一人を知っていることはありません。宇宙を作られたのと同じ神が[12]、私たちの頭の毛の数まで知っておられるのです。[13]
最後に、この節の内に、全能の主を崇拝すべきもう一つの理由を見つけることができます。主は素晴らしい知恵と力と愛をもって私たちを造られたので、それに対する唯一の正しい反応は、主を誉め、主の名に栄光を帰することです。それは、詩篇の他の箇所にもこう書いてある通りです。「主よ、もろもろの神のうちにあなたに等しい者はなく、また、あなたのみわざに等しいものはありません。主よ、あなたが造られたすべての国民はあなたの前に来て、伏し拝み、み名をあがめるでしょう。あなたは大いなる神で、くすしきみわざをなされます。ただあなたのみ、神でいらせられます。」[14]—Compelling Truth website [15]
2014年11月アンカーに掲載。朗読:デブラ・リー。