不確かな未来に希望を持って向き合う
Facing an Uncertain Future with Hope
December 7, 2022
ミラ・ナタリヤ・ゴヴォルハ
私は今、私と同じくウクライナ難民である妹に会いに行く途中です。何百キロもの道のりで、バスや電車を何本も乗り継がなければいけません。
小さな町を数時間ぶらぶらした後、私は地元の市役所の石段に腰を下ろしました。石段には沈みつつある陽の温もりがまだ残っています。西ヨーロッパの都市にある他の多くの小さな広場と同様、観光シーズンのこの時期はどこも人でごった返していますが、ここは穏やかで静かです。この地ではそれをトランキール(『穏やか』の意)と言います。左手には、これからのシーズンに向けて巨大な広告で飾られたオペラハウスがあります。開かれた通りを挟んだ向かい側には、おそらく何世代にもわたって受け継がれてきたであろうこぢんまりとした地元のホテルがあり、どのバルコニーからも鮮やかな赤い花の束がぶら下がっています。
人々はそれぞれ自転車に乗ったり歩いたり、立ったり座ったりしています。ドレスにエレガントな帽子、革のビーチサンダル、短パンにバックパック。テーブルには食事やデザートを食べる人、フレッシュジュースやおしゃれなカクテルやワインを飲む人、おしゃべりをする人、静かに笑う人、リラックスして満ち足りた気分でいる人が大勢です。
私がここにいるのはほとんど偶然で、妹を訪ねるバスの乗り継ぎのため数時間待つことになったのです。妹にはもう何ヶ月も会っていません。ウクライナで戦争が始まる前は同じ街に住んでいました。今はそれぞれ違う国に住んでいます。
じっとしているのはほんの数分で、私の心はすぐにさまざまな思いでいっぱいになります。
この人たちは成功しているように見えます。ある意味で「勝ち組」です。ハイシーズンに観光地の中心にある素敵なレストランで食事をする余裕のある人は、世界でどれくらいの割合なのでしょう。別に、世界の特定の地域にある極貧について話しているわけではありません。
しかし、着飾った笑顔の人々は本当に幸せなのでしょうか。彼らは本当に満足しているのでしょうか。実際のところ、今日の定義による成功を収めると同時に満足することができるのでしょうか。
幸福とは何なのでしょう。成功とは何なのでしょう。それらは現実のものなのでしょうか。もしかしたら、それはきれいなレッテルに過ぎないのかもしれません。自分が成功への道を歩んでいることを、どうすれば知ることができるのでしょう。学歴の高さや、ソーシャルメディアでの友達やフォロワーの数なのでしょうか。あるいは、財産の量、評価の高いビジネス、孫の数、発表済みの業績の数なのでしょうか。そして誰がそれを決めるのでしょうか。
もしあなたがそのいくつかを手に入れた後、すべてを失い、国を脱出しなければならなくなったとしたら? 仕事は失われました。学歴は認められません。家族や友人はヨーロッパ全土に散らばっています。生まれ故郷であり生活の場であった街に戻れるかどうかもわかりません。
歴史を振り返ってみれば、残念ながら、多くの人々が同じような境遇に立たされてきたことは明らかです。何千年も前でさえ、旧約聖書は移民や難民を助けることを求めています。
私は時間を無駄にするのが嫌いです。新しい居住国で多くの人に会い、新しい友人もできました。可能な限りの法的手続きも済ませたし、EUの保険で何人かの医者に診てもらい、定期検診も受けました。リサーチしたり、文化的なイベントに足を運んだり、自分に合う仕事を探したりしています。新しい言語を勉強中で、最初の語学テストは良い結果でした。あと2週間もすれば、次の言語・文化コースが始まります。
さて、今、バスに戻りました。すぐに妹と抱擁を交わすことになるでしょう。私たちは失ったもののために泣き、そして信仰と強さと知恵を求めて祈るでしょう。気恥ずかしい語学学習の経験について冗談を言い合い、障害について話し合い、新しく不安な状況について得たノウハウを共有するのです。そして、成功した未来を夢見、時には非現実的ではあるけれども、近い将来の素晴らしい計画を立てるでしょう。
あらゆる困難にもかかわらず、希望と神の配慮によって、私たちは克服しつつあります。
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打ち砕かれた希望や夢は最終目的地ではありません。神はあなたのための計画をお持ちであり、それは善をもたらす計画であって、災いをもたらすものではないとおっしゃっています。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである」(エレミヤ29:11 )。神は失意の時に私たちを見捨てたりはしません。むしろ、そこにいてくださるのです。私たちのために良い思いを抱き、私たちの将来のために計画をしておられます。私たちがあきらめずに人生を歩むこと、たとえ今の状況がひどいように思えても、その先にあるものに希望を持つことを望んでおられます。大切なのは、主に目を向けることであり、主が私たちを愛し、気にかけてくださっていること、主が私たちを未来へと導いてくださることを知ることです。私たちは生きることをやめたり、希望を捨てたりするのではなく、信仰と信頼のうちに生き続けるのです。主は癒してくださいます。物事は変わります。人生は続いていき、前途には希望があります。—ピーター・アムステルダム