失望? それとも神の采配?
Disappointment? Or His Appointment?
September 3, 2024
引用文集
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人がどれほど忘れっぽいか、気づいたことはありますか? 人は、これまでどれほど助けてもらったかをすぐに忘れてしまい、後になって文句を言うものです。
子どもは親のしてくれたことをすぐに忘れてしまいます。夫婦もお互いを当たり前の存在と見なしがちです。上司もすぐに他の社員へと関心を移します。
人間とはそういうものです。
多くの牧師は、これを身をもって経験しています。長年忠実に仕えてきたにもかかわらず、会衆が覚えているのは失敗ばかりです。牧師たちは一生懸命働いているのに、それに気づいてくれる人はいないかのようです。
もしかしたら、今のあなたもまさに同じ立場にいるのではないでしょうか。でも、あなたは一人ではありません。モーセもまた、このような失望を経験しました。
モーセが神の民を紅海の向こうへ導いた(歴史上最大の奇跡のひとつ)そのわずか三日後のこととして、聖書はこう記しています。「ときに、民はモーセにつぶやいて言った、『わたしたちは何を飲むのですか』」(出エジプト15:24)。イスラエルの民は、モーセが自分たちのためにしてくれたことを、あっという間に忘れてしまったのです。
困難の兆しが見え始めるや否や、イスラエルの民はすぐに不平を言いました。荒野での彼らのモットーはこうだったかのようです。「迷ったら、とりあえずモーセに文句を言え。」 ちょっと前まで英雄だったモーセが、次の瞬間には無能者扱いされたのでした。…
神は、傷を逆転させることの達人です。「disappointments(失望)」は、実は「his-appointments(神の采配・計らい)」の内にあるのです。ローマ8:28には、こう書かれています。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 神の子どもの人生には、天の父の許しなしに何一つとして起こりません。
神は、より大きな計画のために、遅延や困難、そして失望が生じるのを許されます。あなたがこれまでしてきたことを[他の人が]ことごとく忘れてしまっても、神にとっては驚くことではありません。ほとんどの人は、神が自分にしてくださったことさえも忘れてしまっているのですから。
幸いなことに、神はモーセのため、そして喉が渇いたイスラエルの民のために、解決策を備えてくださいました。出エジプト15:25には、神がモーセに一本の木を示され、それが問題の解決策となったことが記されています。モーセが「それを水に投げ入れると、水は甘くなった」のです。私たちの多くも、失望にとらわれすぎて、目の前にある解決策に気づかないことがあります。しかし感謝することに、私たちが忘れやすくても、神はいつも忠実であられます。
神の助けによって、私たちの失望は、神をより深く知り、信頼するための機会に変わるのです。—リック・ウォレン [1]
*
「失望」という言葉が、最近ずっと心に引っかかっています。ご存じのとおり、人によって失望の受け止め方は本当に違います。中には、主イエス・キリストへの信仰において成長し、成熟したクリスチャンとなっているため、多少の失望があってもくよくよしない人たちもいます。
たとえ、かなり心待ちにしていた出来事や期待していたことが実らず、どうしても欲しかったものが手に入らなかったとしても、彼らは動じません。まるで使徒パウロのようです。堅く信仰に立ち、揺るがないクリスチャンなので、こう言えるのです。「そういったことがあっても、私はいっさい動じない」(使徒行伝 20:24 英語NKJV訳)。
今日、私がこれまでに何度も読んできた小さな詩を探してみました。そこにはこう書かれています。「disappointment(失望)という言葉の一文字を変えてみなさい。すると、それは His appointment(神の采配)になる。」 「disappointment」の頭の「d」を取って「h」に変えれば、「His appointment」になるというわけです。成熟したクリスチャンは、御言葉に深く根ざし、しっかりと立っているので、失望を「自分のための神の采配」として受け止めることができるのです。
主を知れば知るほど、主が真実な方であることがよくわかる。
そしてますます願う、他の人々もまた、主を知るように導かれますようにと。
—『主は信頼を裏切らない』(メアリー・W・ブース)より
ああ、友よ、イエスは信頼を裏切るような方ではありません。すべてを主の御手に委ねなさい。たとえ失望があなたの人生にやって来ても、それは主を通して、必ずあなたの益となるのです。アーメン。—バージニア・ブラント・バーグ
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「失望(Disappointment)—神の采配(His appointment)」
一文字変えてみれば、わかる
私の計画を阻むことさえも
神がより良き道として選ばれたことなのだと
神の采配には必ず祝福がある
たとえそれが姿を変えていても
初めから終わりまでを見通す知恵が
神には開けているのだから
「失望—神の采配」
誰の采配なのか? それは私を最も愛し
私を理解して知り尽くし
信仰と愛を試される主の采配
地上の愛にあふれる親のように
主は喜ばれる
主の知恵から流れるすべてを
神の子供が疑わずに受け入れるとき
「失望—神の采配」
「主は良いものを何ひとつ拒まれない」
拒絶の中にすら隠されているのは
測り知れない主の愛の宝
砕かれた計画は
より深い信頼へと導き
主のすべての取り計らいの結末は
神が知恵と義に満ちた方であることを証する
「失望—神の采配」
主よ、私はそう受け止めます
陶器師の手の中にある粘土のように
すべてを御手に委ねます
私の人生の計画はあなたが形作られたのであって
何一つ私の選択ではない
不平を言うことなく、ただこう答えられますように
父よ、「私の願いではなく、御心がなりますように」と
「失望—神の采配」
だから友よ、一文字を変えてごらんなさい
父の愛が送ってくださるすべてを
喜んで受け入れなさい
やがて信仰は目に見えるものへと変わり
栄光の中であなたは見るでしょう
「神の采配」こそが
あなたを故郷へと導く唯一の正しい道だったのだと
—ローラ・ソフィア・スール [2]
*
誰しも時折、失望を経験するものではないでしょうか。もしかしたら、友に裏切られたかもしれません。あるいは仕事で期待していた評価が得られなかったか、結婚生活が一生続くと思っていたのに、離婚という形で早く終わってしまったのかもしれません。あるいは子どもたちに大きな夢を託したのに、彼らが違う道を歩んでしまったかもしれません。
私たちが何かや誰かに対して抱いていた期待が裏切られ、失望すると、落胆したり、信頼できなくなったり、心を閉ざしたりしてしまうことがあります。不幸せになり、恨みや苦々しい思いや怒りにとらわれてしまうこともあります。これらは自然な反応ですが、もっと良い方法があります。そもそも、失望は私たちを打ち壊す必要はありません。それは、私たちに何かを教えることができるのです。
それぞれの状況の中で、良い面を探し、自分に問いかけてみましょう。「ここから何を学べるだろう? どうすればこれを前向きなこととして活かせるだろう?」と。もし私たちが直面するあらゆる状況の中で神を求めるなら、本来はネガティブに見えることも、ポジティブに変わるのです。—グロリア・クルス
*
人生で物事がうまくいかないと、あなたはこう尋ねたくなるかもしれない。「イエス様、あなたが必要だというのに、どこにおられるのですか?」と。あるいは、わたしがあなたを失望させてしまったのではないか、とか、わたしの愛や忍耐が尽きてしまったのではないか、と疑いたくなるかもしれない。あなたの信仰が試されているそんなとき、たとえ自分が揺らぐ大地の上に立っているように感じたとしても、信仰に立ち、わたしに信頼を置くと決心することが必要なのだ。
どんな状況の中にあっても前向きでいられる秘訣の一つは、わたしの愛と、わが言葉の約束とを信じ、必要なときにはわたしのもとに立ち返ることを学ぶことだ。あなたの信仰が決して試されないということではない。しかし、試練のときにも、どこに助けを求めるべきなのかを知ることができるのだ。
困難な時を乗り越える秘訣を教えよう。それは、うまくいっているときに信仰を強めることで、困難なときに備えることだ。あなたの周りで働いているわたしの愛の手を探しなさい。与えられている祝福を数えなさい。信頼と感謝の心を養いなさい。道が険しくなったときでも、わたしはいつもあなたと共にいると約束したことを信じなさい。—イエス
2024年9月アンカーに掲載 朗読:ジョン・ローレンス 音楽:マイケル・フォガティ
1 https://pastors.com/how-to-deal-with-disappointment-in-ministry/