決断ブルース
Decision-Making Blues
June 1, 2021
引用文集
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決断とは時に、麻痺状態に陥るような経験になりえます。
たとえば、別の州での新しい仕事のオファーがあったとします。受けるべきでしょうか。それは場合によります。その地域の学校環境はどうか。交通状況はどうか。近くに原子力発電所はあるか。給与が上がることは、家族で引っ越すことによる精神的な負担に見合っているだろうか。… こうしたさまざまな要素が重なって、決断は難しくなるものです。
さて、そこに「神の御心」という論点が加わったらどうでしょうか。本当に、引っ越すことは神の御心なのか。神の御心のように思えるけれど、もしかするとそうではないのかもしれない。もし大きな過ちを犯して、神の御心を外してしまったらどうなるだろうか。神の御心をうっかり見逃したせいで、煉獄のような状態に陥ってしまうのだろうか。
神の御心を見失うことへの恐れは、どんなクリスチャンをも麻痺状態にするほどです。けれど、ここで問うべきことがあります。クリスチャンは自分の人生のための神の御心を逃すことが本当にあるのでしょうか。神が備えてくださった良き計画の外で一生を過ごしてしまうことなど、ありうるのでしょうか。…
神の御心を逃す方法は、実に単純です。聖書を無視することです。聖書の中で、神は私たちが決断する際にどうすべきかをはっきりと示しておられます。第一に、その決断が聖書に明確に記されていることに反していないかどうかを見極めるべきです。…
第二に、私たちは神に知恵を与えてくださるよう求めるべきです。ヤコブ1章5–6節にはこう書かれています。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。」
神から知恵をいただくことは、神秘的で超霊的な体験ではありません。それは、目の前の決断について、明晰に、そして聖書にかなった考え方ができるよう神に助けを求めるということです。知恵を求めるときには、神が必ずそれを与えてくださると信じるべきです。神は私たちから御心を隠そうとしておられるのではありません。むしろ、私たちが正しい歩み方を理解するのを助けたいと願っておられるのです。…
私たちが聖書の教えに耳を傾けるなら、神の御心を逃すことはありません。神は御心を隠しておられるのでも、私たちをだまして誤った決断をさせようとしておられるのでもありません。自分の決断を聖書に照らして吟味し、知恵を求め、さらに他の人の意見を聞くならば、私たちは神が求めておられることを行なっているのです。そして神は、その過程を通して私たちを導いてくださると約束しておられます。…
聖書は、私たちが自分の決断についてどう感じるべきかを告げてはいません。むしろ、どのようにして聖書にかなった、神を敬う決断をするかを教えています。ですから、重大な決断をしなければならないときは … 御言葉に立ち返り、知恵を求め、そして他の人にも関わってもらいなさい。—スティーブン・アルトロッグ [1]
「もしも」シンドローム
生涯を通して、私たちは皆、大切な決断をしなければなりません。どの学校に進むか、何を専攻するか、どんな仕事に就くか、さらには誰と結婚するか。私たちは皆、決断し、その決断がもたらす結果に向き合わなければなりません。しかし、こうした決断をするとき、私たちはしばしば自分自身にこう問いかけてしまいます。「もしも … だったら?」と。もし別の大学を選んでいたら? もし違う専攻を選んでいたら? もしこの関係になかったら?
何かを選ばざるを得ないとき、私たちの思考はしばしば暴走して、もしもあの選択をしていたら、あるいはそうすべきだったかもしれない、と考えてしまいます。そして、あれは誤った決断だったと感じると、神が自分の人生に備えてくださっていたご計画を逃してしまったのではないかと考えてしまうこともあります。「もし私の選択が神の意図されたものではなく、神のご計画を台無しにしてしまったとしたら?」「もし完全に間違った道を選んでしまったのだとしたら?」と。…
確かに、間違った方向に進んで、神が備えられた道に回り道を加えてしまうことはあるかもしれません。しかし最終的には、神は必ずあなたを、ご自身が導こうとしておられる場所へと連れて行ってくださいます。エレミヤ29章11節にはこうあります。「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」
神はすでに、あなたがどこへ向かうのかをご存じです。あなたの行き先は神によって定められています。… たとえ道を間違えたとか、誤った決断をしたと感じるときでさえも、神があなたを御心の道に置いてくださっていると信頼しなさい。神に委ねるなら、神はあなたを御心の場所へと導いてくださいます。そのためには、神の声に耳を傾け、神があなたを正しい方向へと動かすままに委ねなければなりません。
今度「自分は神のご計画や道を外れてしまったのではないか」と思うときは、神を信頼しなさい。心配を手放し、神があなたを見守り、導いておられると信じなさい。—アリソン・プレスラー [2]
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もし、自分のための神のご計画を台無しにしてしまったと思っているなら、これを聞いて安心してください。愛しい友よ、あなたはそこまでの力を持ってはいないのです。—リサ・ビビア
プランBを見つける
私たちは皆、しばしば神の「プランA」を逃してしまいます。私自身も例外ではありません。イエスを除く聖書の人物たちも、人生のさまざまな局面で神の御心を誤解したり、聞き違えたり、無視することを選んだりしました。時には誤解することもあるし、自分のやりたいことを貫こうと固執することもあります。けれど良い知らせは、神は「プランB」の専門家だということです。人間が「プランA」を外してしまうのが得意である以上、神はそうならざるをえないのです。…
神はあなたを見つめ、あなたを愛し、あなたを喜んでおられます。そしてあなたも確かに、(私たち皆がそうであるように)神の「プランA」を見失ったことがあるでしょう。それでも神は、あなたを栄えさせ、祝福し、希望に満ちた将来を与える計画を持っておられるのです。
あなたが神の「プランA」を逃したかどうかは分かりません。けれどもしそうだったとしても、勇気を出してください。神の「プランB」が、あなたにとっての新しい「プランA」になるのです。神は私たちの失敗や過ちを用いて、ご自身の目的を成し遂げられます。あなたは今、まさに神が望まれるその場所にいるのです。まだ全てがどう収まるのかは見通せないかもしれません。しかし、神を信頼し、御心を行おうと求め続けなさい。困難は永遠には続かず、この存在的な不安の時期すらも、神によって用いられていることを知ってください。
神がろくろの前に座り、まだ見えない目的のために、あなたを形作っておられる姿を思い描いてみてください。—アダム・ハミルトン [3]
神の計画、神の御心
私たちは弱く、欠点だらけですが、私たちの神は無敵です。私たちは土の器にすぎませんが、神はその器を通して働かれます。そして私たちが神とその御言葉に導きを求め、神に道を委ねるなら、神は必ず私たちを通して働かれるという全き信仰を持つことができます。
神が私たちの人生において御心を成し遂げ、御心にかなういかなる目的のためにも私たちを用いることができると信じること、それが不可欠です。特に、私たちには、正しい決断をするための信仰が必要です。たとえ自分には見通せない状況にいるのにどうすべきかを決めなければならない時でさえ、それが主の御心である決断をするために信仰が求められます。あなたは主に目を向けるとき、主が正しい決断をさせてくださると信じることができますか?
あなたは神の御心を行えると信じてください。なぜなら、神があなたを通してそれを成し遂げられるからです。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」(ピリピ 2:13)。あなたは、神が御心を果たし、ご自分の喜びとすることを行われる力を信じられないために、神があなたを通して行おうとされていることに制限を設けてはいませんか? 神があなたのうちに働かれる力を信じなさい。
神が何かをするように求められるとき、それがたとえあなたにとってやりづらく感じることや、これまで一度もしたことがないことであったとしても、もし神が今日それをするように召しておられるなら、私たちはそれができると信じなければなりません。
私たちには、主が私たちを通して働き、成し遂げてくださると信じる信仰が必要です。なぜなら、それは私たちの信仰と信頼に応じて実現するからです。神はあなたのうちにおられ、あなたを通して働いておられます。ですから、途中でどんな過ちや間違った選択をしたとしても、神があなたを通して成し遂げると信じなさい。神はあなたを通して御心を実現されるからです。
私たちのそれぞれの人生において、「信じる信仰」の雰囲気を育んでいきましょう。それは、信じ、望み、最善を期待する信仰であり、神は決して私たちを見捨てず、御言葉にあるご自身の約束を裏切られることはないと知る信仰です。—ピーター・アムステルダム
2021年6月アンカーに掲載 朗読:ジョン・マーク