神への情熱を育む
Cultivating a Passion for God
February 1, 2016
ピーター・アムステルダム
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私たちの主要理念のひとつに、神への情熱があり、それはこのように書き表されています。「私たちは、心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして神を愛します。イエスとの親しい個人的な関係を築くように努め、また、イエスの特性を見習い、その愛を実践することにおいて成長するように努めます。」[1]
神への情熱というのは、力強い表明です。情熱という言葉の意味の一つに、何かへの強い熱意や強烈な関心、というものがあります。ですから、「私たち は神への情熱を抱いている」と言う場合、それは、神への強い熱意、神に対する強烈な関心を抱いていると述べていることになります。情熱の類義語として、興奮、熱情、歓喜、熱心、願望 、熱望、渇望、切望、信念、衝動があります。神への情熱を持っていると言う時、それは、神への願望、熱望、渇望、切望を持っているということであり、熱情、衝動、熱心さ、興奮、そして言うまでも なく愛を持っているということなのです。
イエスが「律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」とたずねられた時、主の答えには熱が感じられます。こう言われました。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』」[2] これは力強い、情熱的な表明です。
クリスチャンとして、私たちは自分のすべて、つまり、心と精神と思いと力をつくして神を愛するべきなのです。豊かで、深く、あふれるほどの愛が求められています。欠けたところのない愛、自分のすべてをかけて主を愛そうという愛です。
私たちは父、御子、聖霊である神との親しい個人的な関係を求めています。神は相関的な方です。神が「相関的」であるというのは、父、御子、聖霊の三位が一体となっているからです。そこには相互関係があります。神は相関的な存在であり、それゆえに、私たちとの関係も求められます。私たちは神の姿に似せて造られたので、私たちもまた、相関的な存在です。
エデンの園で神がアダムとエバとの間に持っておられた美しい関係は、彼らが罪を選んだゆえに損なわれました。神は神聖であられるので、罪がこの世に入り込んだ後では、もはや人間との間に以前と同じ個人的な関係を持つことはできなくなりました。罪がその関係を損ない、神と私たちとを引き離したのです。それが理由で、神はイエスを通して救われることを可能として下さいました。神は、罪に切り離された関係を修復したいと望んでおられます。私たちが、ご自身との関係をまた持てるようにされたいのです。神が私たちとの関係を求めているのは、私たちを愛しておられるからです。
神は私たちとの関係を持つことについてそれほどの情熱を抱いておられるので、神ご自身と人類との間にできた溝を埋めるために、ひとり子であるイエスを送り、十字架上でその命を犠牲的に捨てるようにさせられました。それほども私たちを愛しておられます。それほども私たちとの関係を持たれたいのです。神は人類に対して、あなたに対して、私たち全員に対して情熱を抱いておられます。そして私たちも、神との関係を持つことに対して同じ情熱を抱いているのです。このような節があります。「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。」[3] この概念は、「わたしたちが神に対して情熱を抱くのは、神がまずわたしたちに対して情熱を抱いて下さったからである」と言い換えることもできるでしょう。私たちは、神の情熱を反射しているのです。
神は私たちに抱く深い愛と情熱を伝えるために、聖書で、私たちと神が結婚しているという言い方や比喩を使っておられます。次のようなものです。「あなたを造られた者はあなたの夫であって、その名は万軍の主。」 私たちは「死人の中からよみがえられたかたと結婚し、そうして、神のために実を結ぶに至る。」「花婿が花嫁を喜ぶように、あなたの神はあなたを喜ばれる。」[4]
これらをはじめとした結婚に関する比喩は、神が私たちに対して抱いておられる情熱を表現しています。神が私たち一人ひとりと持ちたいと願っておられる、心と思いと精神の情熱的な結合を表しているのです。
聖アウグスティヌスは言いました。「神を熱愛することは最高のロマンス。神を探し求めることは最高の冒険。神を見出すことは人類最大の達成。」
神を愛するなら、神との深い関係を築きたいとの願いを抱きます。そして、その関係を強めるための努力をしなければなりません。ですから、私たちは、祈ること、御言葉を読むこと、神が語りかける声に耳を傾けること、そして神が言われることに注目することによって、神とのコミュニケーションをする時間を熱心に取る必要があります。神は私たちの人生に欠かすことのできない方であり、神が言われることは私たちにとって非常に大切です。
神との関係を発展させていくと、私たちは神をより良く知り、それによって、もっと神に似た者になっていきます。私たちは神が望まれることや望まれないことを理解し始めます。そこで、神に喜んでいただけることを行う努力をするようになり、それによって、私たちは変わり始めます。神との関係を持つことは、私たちを変えるのです。
神が私たちに抱いておられる情熱を理解することは、他の人たちも神と関係が持てるようにしたいという神の願いの認識につながります。まだ神を知らない人たちに対して神が情熱を抱いていることに気づけば、私たちは人々に、彼らを深く愛し、彼らの人生の一部になりたいと願っている方がいることを、最善をつくして知らせたいという意欲がわきます。神の情熱が私たちのミッションとなるのです。
キリストへの愛、神への愛は、私たちに、心と魂と思いと力を尽くして主を熱烈に愛するようにと、また、主との親しい関係を育むようにと、強く迫り、強い、そうせざるを得なくさせ、駆り立て、要求します。それは、イエスに似た者となり、主の性質にならい、神の愛を他の人たちに分かち合おうと努力するよう、私たちに迫ります。それは彼らもまた主を知るようになるためなのです。
私たちのゴールの一つは、イエスに従う者として、キリストに倣うことです。私たちは主の性質や特質を身につけたいです。主との関係を育んでいくと、私たちはより良い人になります。神の御心にかなった態度を示し、神の御心にかなった道徳観を持ち、誠実になり、御言葉に生きるようになります。もっとイエスのようになると、イエスが私たちを通して輝きます。そしてその時、私たちが主に倣っていることを他の人たちが見る時、彼らがそれに気づいていてもいなくても、神からの何かを見ているのです。
では、どうやって神とのそのような親しい関係を培うのでしょう。次のようにすることができます。
- その関係に時間を費やし、他よりも優先する
- 神の言葉を読み、それについて黙想する。
- 祈りによって常日頃から神とコミュニケーションする。
- 神の言葉と、神が私たちに告げることに従う。
- 普段から罪を告白してゆるしを求めることで、清い心を持つ。
- 自分の人生のための神の目的と御旨をたずね求めるにあたり、神に従うという強い決意により、神に栄光を帰すように努める。
- 神にとって何が重要かを見いだし、それらを自分にとっても重要なものとする。
情熱は受動的なものではありません。何かに対して情熱的であるというのは、それについて何かをするつもりがあるということです。情熱は行動をもたらします。神について情熱的である人は、神のために行動的でもあります。苦労してでも神のために時間をつくり出します。そのために朝早起きをしてその時間を取れるようにするのであれ、何か好きなことを犠牲にするのであれ、そうするのです。神との親しい友情を強めるような選択をします。そのような情熱がほしいなら、毎日、神にそれを与えて下さるようお願いしましょう。神は喜んでそのような祈りに答えて下さいます。
そして、深い愛は時間をかけて育つのを覚えていて下さい。毎日の生活において、私たちに対する神の忠実さや、神の愛や祝福の感触、必要への供給、そして特に試練や患いの中で神の恵みと支える力を見る時、私たちの神への愛と信頼はますます強くなります。
多くの人は、自分は神への情熱が十分ないと感じています。感情的な情熱を実感しないので、それが、情熱のレベルが足りないと感じさせているのかもしれません。私たちの誰もが霊的生活において感情や高揚感を体験するわけではありません。そういうタイプの人もいれば、そうでない人もいます。神を深く愛していると知るためや、主が自分に与えられた召命を受け入れるためには、感情的な情熱感のあるなしは関係ありません。感情は、情熱をはかるための適切な尺度ではないのです。自分の内に何を感じるかは問題ではありません。大切なのは、あなたの情熱があなたを行動へと動かし、主のために何かのステップを踏むよう駆り立て、周りの人たちに良き知らせを伝えるメッセンジャーとなるための活力を与えるということです。
神との親しい関係、友愛と親密さの関係を育めば、あなたの情熱も育まれるでしょう。そして、その時、神から求められることも、自然とできるようになるでしょう。あなたの情熱は、神に従おうという決心と決意に現れるでしょう。ちょうど、自分の気持ちとは関係なく、人生とミニストリーを神の約束にかけた、神の偉大な宣教師たちのように。
最後に、エミー・カーマイケルによる、情熱を求める美しい祈りで締めくくります。
私にお与え下さい。導いてくれる愛を。
何ものにも動揺しない信仰を。
どんな落胆にも屈しない希望を。
火のように燃える情熱を。
私を土塊にならせず
神の炎よ、あなたの燃料にして下さい。
あなたに信仰の小さな火花さえあれば、神に近付きたいというかすかな願いさえあれば、神はあなたの心の中で小さくちらつく残り火に息を吹きかけて、生き返らせることがおできになります。そして、その火を大きく燃えさせ、ついには神の力強い愛の熱気と情熱を反映する、美しく目もくらむような炎にされるのです。
私たちが皆、神への情熱を育んで行くことができますように!
2013年9月初版。2016年2月に抜粋・再版。
朗読:ジェイソン・ローレンス。