恐れを分析する
Breaking Down Fear
March 12, 2024
引用文集
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人は生まれながらにして3つの恐れを抱いているという説があります。大きな音への恐れ、落ちることへの恐れ、見捨てられることへの恐れです。一部の心理学者によれば、これらの恐れは生まれつき備わっているもので、それ以外の恐れは後天的に身に付くものだそうです。クモが怖い、暗闇が怖い、歯医者が怖いなど、その他多くの恐れは、実体験や自分が取り入れた情報によって、私たちの精神にプログラムされるというわけです。
恐れは一般的に2つに分類されます。肉体的または精神的な真の脅威を警告する正当な恐れと、想像から生まれた、実際にはほとんどか、あるいは全く根拠のない恐れです。厄介なことに、私たちの脳にとって、この2つを見分けるのが難しく、多くの場合、両者に対して同じ反応をします。脳の扁桃体部位[1] の活動が亢進して、それが闘争か逃走かの反応を活性化させるのです。
恐れを克服するためにセラピストが用いる方法のひとつは、制御された状態において、何であれ恐れの反応の原因となっているものに自らをさらすことです。恐れが現実化しない時、つまり恐れていた結果が実際に起こらなかった場合が繰り返されると、思考は、想定される脅威に直面しても恐れの反応を起こさないように再訓練されるのです。
その他の恐れは、物理的な状況に結びついていないため、克服するのがより困難です。それらはむしろ内面的なもので、心配や不安と関係しています。現実と誤認を区別するためにそれらを分析することは助けになりえますが、そのような恐れに対する理解、慰め、安心の最大の源は神ご自身なのです。神が私たちにとって何が最善かを考え、現在の私たちとともにいて、神を愛する者にとっては万事が共に働いて最終的に益となる[2] と約束されるという確信があれば、物事を正しい見方でとらえることができ、恐れは次第に弱まります。
神は、神との個人的なつながりを通して恐れからの解放を与えてくださいました。私たちは祈りによってそのつながりを築き、神の御言葉を読み、学び、そこにある神の約束を信じ、日々の生活の中で実践することによって、そのつながりを強めます。神に立ち返り、神に頼ることを学べば学ぶほど、神は私たちが恐れに打ち勝つのを助けることができるのです。—ロアルド・ワターソン
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恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。—イザヤ 41:10
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聖書には、「愛は、神から出たものなのである」、「神は愛である」 (1ヨハネ 4:7–8)とあります。つまり、愛とは神という方の基本的特徴なのです。神が表す愛の種類を指す明確な言葉があります。その言葉とは、ギリシャ語で「アガペー」であり、愛する人のために最善を尽くす慈悲深く憐れみ深い愛を指します。…
「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである」(2テモテ 1:7)。時には、私たちはこの「臆する(恐れの)霊」に打ち負かされます。そして、それに打ち勝つには、神をより完全に信頼し、愛する必要があるのです。… 私たちが完全に愛することができるよう、神は聖書全体に恐れに対する励ましを惜しみなく散りばめておられます。神は、孤独になることを恐れるな、弱すぎることを恐れるな、祈りが聞かれないことを恐れるな、物質的な必需品に事欠くことを恐れるな、と告げられます。これらの訓戒には、「恐れの霊」の多くの側面が取り上げられています。
聖書は、恐れと疑いに打ち勝ちなさいという神の民への戒めで溢れかえっており、「恐れるな」という戒めは350回以上も記されています。実のところ、イエスが言葉によって与えている励ましは、他の何よりも、恐れのない生き方への呼びかけなのです(例:マタイ 6:25; 9:2; 10:28; 10:31)。
恐れに打ち勝つための鍵は、神への完全な信頼です。シャデラク、メシャク、アベデネゴが恐れることなしに火の燃える炉に立ち向かったのは、神への信頼があったからです(ダニエル 3章)。神への信頼は、ステパノが恐れることなしに殺人犯の前に立った姿に表れています(使徒 7章)。神を信頼するとは、恐れに屈しないことです。暗闇が最も深い時でさえ、私たちは物事を正してくださる神に信頼することができます。この信頼は、神を知り、神が良いお方であることを知ることから生まれます。—GotQuestions.org [3]
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空っぽになったイエスの墓の前に集まった人たちに天使が現れた時に、天使が最初に言った言葉を知っていますか?
「恐れることはない」。
これは実際、聖書全体を通して最も一般的に与えられている戒めであり … 365回も言われています。
つまり、1年365日、恐れずにいなさいという戒めなのです。
言うのは簡単ですが、実行するのは困難です。恐れは不安や心配、怒りとしても現れるからです。
では、[私たちは]いかにして、復活のゆえに恐れずに生きることができると確信できるのでしょう。
それは、次の5つの真理を知っているからです。
- 私たちは、イエスが真理であるので、真実を語っておられると知っている。
- 私たちは、神が私たちを途方もなく愛しておられることを知っている。
- 私たちは、神が私たちの人生のために良い計画を持っておられると知っている。
- 私たちは、神が私たちの必要を世話してくださると知っている。
- 私たちは、死が終わりではないことを知っている。
しかし、誰もがこの5つの真理を知っているわけではありません。… だから、この良き知らせをできるだけ多くの人に広めましょう。—リック・ウォレン [4]
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何年か前に、こんな話を読んだことがあります。
ある科学者と植物学者のグループが、新種の花を探してアルプスの僻地を探検していました。ある日、彼らは双眼鏡を通して、その珍しさと美しさから科学的価値が計り知れないと思われる花を見つけました。しかし、それは両側が断崖絶壁になっている渓谷のかなり底の方にあったのです。その花を手に入れるには、ロープで誰かを崖から降ろされなければなりませんでした。
それを好奇心旺盛な少年がそばで見ていました。科学者たちは、もし彼が崖から降ろされて、その下にある花を手に入れてもいいというなら、高額な報酬を払うと言いました。
少年は、目もくらむような急斜面の下をじっと見つめてから「すぐに戻るから」と言いました。しばらくして、彼は白髪の男性を連れて戻ってきました。少年は植物学者たちのところに行って言いました。「この人にロープを持たせてくれるなら、僕が崖から降ろされてあの花をとってくるよ。僕の父さんなんだ」。
父親が信頼できる人であるという事実が、彼の保証のすべてだったのです。これは、クリスチャンである私たちにとって、なおさら真実ではないでしょうか。—Our Daily Bread [5]
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慰めてくださる神、私はあなたが心の中でささやくのを聞くのが大好きです。「恐れるな。私はあなたと共にいる。気落ちするな。私はあなたの神である」。この愛に満ちた言葉は、あたたかな毛布のように私を包み込み、恐れや落胆の冷たさから私を守ってくれます。
悩みが私につきまとう時、あなたの手をしっかりと握り、あなたと交信し続けるよう私に思い起こさせてください。あなたは「わが力、わが歌」なので、「私は信頼して恐れることはない」のです。あなたの力強い臨在は、いつも私と共にあります。私は何事にも一人で立ち向かうことはありません。あなたが私を「強くし、助ける」と約束してくださったことを感謝しています。
あなたのたくましい御手は、良い時も悪い時も、私を支えてくれます。人生が順調に進んでいる時には、私はあなたの忠実な臨在にあまり気づかないことがあるかもしれません。しかし、「死の陰の谷」を歩いている時、私はあなたを必要としていることを深く自覚します。そのような時、あなたの御手を握り続けることで、私は立ち続けることができ、一歩ずつ前に進むことができるのです。
私があなたに信頼して逆境に耐えようとする時、どうかあなたの臨在にあって、平安と喜びにあずからせてください。
信頼できる御名、イエスによって、アーメン。—サラ・ヤング [6]
2024年3月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:マイケル・ドーリー
1 扁桃体は情動の中枢と呼ばれてきました。
2 参照:エレミヤ 29:11; ローマ 8:28.
4 Pastors.com.
5 https://www.sermonsearch.com/sermon-illustrations/6796/boy-trusted-his-father, https://www.sermonsearch.com/sermon-illustrations/6795/because-youre-my-dad
6 Sarah Young, Jesus Listens (Thomas Nelson, 2021).