主を喜ぶことによって、強くあれ
Be Strong in the Joy of the Lord
November 19, 2024
引用文集
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憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です。—ネヘミヤ8:10
喜びを、単に抽象的な概念にとどめておくことはできません。喜びが持つ「強める力」にあずかるには、クリスチャン生活において喜びを実践しなければならないのです。しかし、世界がこれほども苦悩や苦痛に満ちているというのに、どうすれば喜びを感じられるのでしょうか。それでは、いくつかできることを挙げてみましょう。
1. 神をあなたの最高の喜びとする。何か別のものを自分の力にしているなら、主を喜ぶことを私たちの力とすることはできません。それは偶像崇拝であり、神ご自身よりも別の何かの方が、私たちにもっと喜びを与えるかのように振る舞っていることです。この世の贈り物や経験が私たちに喜びを与えられるとしても、それは最大の贈り物である神ご自身と比べると色あせてしまいます。神の愛が、キリストを通して私たちに注がれているのです。私たちは、詩篇作者と同じく、こう言うことができます。「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」(詩篇73:26)
2. 聖霊に焦点を当てる。聖書では、聖霊の臨在と喜びの存在との間に、強い相関関係が見られます。それどころか、ガラテヤ5章22節では、御霊の実の一つに喜びがあるとされています。使徒行伝13章52節には、「弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた」とあります。ローマ15章13節では、パウロがこう語っています。「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」 また、パウロはテサロニケの人たちを称賛して、このように語っています。「そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり …。」 喜びは … 神に従って生きる人生の素晴らしい副産物です。もし私たちが「御霊に導かれ」(ガラテヤ5:18)、「御霊によって生き」、「御霊によって進」むなら(ガラテヤ5:25)、 御霊が私たちの人生に喜びの実を結んでくださるのです。
3. 神の賜物について感謝を表す。神ご自身が私たちにとっての最高の喜びではありますが、神は多くの良い贈り物も与えてくださいました。伝道の書(コヘレトの言葉)の著者は、このように述べています。「人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。」(伝道の書3:12–13)… 毎日時間を取って、[神が与えてくださったものに]気づき、それを認め、自分が感謝していることについて神を賛美することは、力を与える主の喜びが私たちの内に湧き上がるのを経験するのに、大いに助けとなります。—ジェシカ・ユーダル [1]
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喜びは、力の源として非常に素晴らしいものです。… 数多くの聖句が、神がその民に与える喜びについて語っています。
「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」(ローマ15:13)
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」(詩篇16:11)
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。」(1ペテロ1:8–9)
「しかし、すべてあなたに寄り頼む者を喜ばせ、とこしえに喜び呼ばわらせてください。また、み名を愛する者があなたによって喜びを得るように、彼らをお守りください。」(詩篇5:11)
「主はわが力、わが盾。わたしの心は主に寄り頼む。わたしは助けを得たので、わたしの心は大いに喜び、歌をもって主をほめたたえる。」(詩篇28:7)…
神がどれほど多くのことを[私たちのために]してくださったか、また、どれほど素晴らしいことを用意しておられるかを理解するようになると、その結果として喜びが生まれ、その喜びが力を生み出すのです。… 主は、決して私たちを離れず、私たちを捨てません。(ヘブル13:5) 神の臨在と約束に焦点を当てるにつれ、私たちの喜びと力は増していきます。—GotQuestions.org [2]
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「主の喜びは私の力」とは、よく聞く言葉であり、私たちは自分自身や他の人を励ますために、この言葉を用います。しかし、それは実際どういう意味で、どこから来た言葉なのでしょうか。…
「主の喜びは私の力」という表現は、ネヘミヤ8章10節から来ています。それは、イスラエルの民が捕囚から解放されて、エルサレムに帰還した後のことです。彼らは、朗読されている律法の言葉に耳を傾けていたのですが、自責の念にかられて泣き出しました。
聖書には、こう書かれています。「総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって『この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない』と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。そして彼らに言った、『あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶこと[主の喜び]はあなたがたの力です。』」(ネヘミヤ8:9–10)
主の喜びとは、何か。
エズラが民に律法を朗読していた時、彼らは自分たちが律法に沿った生活や行動をしていなかったため、悲しくなりました。しかし、彼らは叱責と非難を受けるのではなく、「主の喜び」を祝うよう指示されたのです。彼らは「罪びとの集まり」であるというのに、主の喜びがあるとはどういうことなのでしょうか。
イスラエルの民は、完璧な行動で知られていたわけでは決してありません。神の民であることで知られていたのです。彼らは神のものでした。そして、神は彼らを愛されたのです。…
主の喜びは、どのように力を与えるのか。…
主の喜びは、私たちが神の愛と救いを求めて手を伸ばすための力を与えてくれます。
「あなたの神、主はあなたのうちにいまし、勇士であって、勝利を与えられる。彼はあなたのために喜び楽しみ、その愛によってあなたを新にし、祭の日のようにあなたのために喜び呼ばわられる。」(ゼパニヤ3:17)
「あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。」(詩篇16:11)
「あなたがたは喜びをもって、救の井戸から水をくむ。」(イザヤ12:3)
この力とは、何なのか。
神が私たちに与えてくださる力とは、神の恵みです。
「わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。」(エペソ4:7)
「これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。」(エペソ1:6)
私たちは神とつながり、神に愛されていると感じるので、それが、「恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために」、神に近づくための確信と大胆さを与えてくれるのです。(ヘブル4:16) そして、神が与えてくださるこの恵みは、私たちの人生にとって十分なものです。
「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。」(2コリント12:9)
「主の喜びは私たちの力」という言葉は、恵みによって主が与えてくださる義を受け入れる時に、完全に実現します。この義は、主の臨在を楽しめるよう、私たちを再び結びつけてくれるものです。
「神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。」(ローマ14:17)
「… あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。」(ローマ5:17)
「あなたは、いのちの道をわたしに示し、み前にあって、わたしを喜びで満たして下さるであろう。」(使徒2:28)—ダニエル・バーノック [3]
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わたしはあなたがわたしの喜びで満たされることを願う。それがあなたの力となる。わたしの愛を確信し、平安を持っていてほしい。
「自分はまだ、計画したこと、望んでいたことを達成していないから」というあなたの劣等感や心配を取り去ってあげたい。時にあなたの期待は非現実的なので、頑張りすぎることがあるし、そして結局うまくいかないと罪悪感に陥る羽目となる。そういう否定的な感情は全て拭い去ってあげたい。あなたの恐れや心配を拭い去り、平安をあげたい。すべてうまく行くのだから。わたしの言葉と計画に従って生きようとすれば、あなたはわたしの喜びを見つけるようになる。
聖書に「主を喜ぶことはあなたがたの力」とあるように、それは、あなたにとっても同じなのだ。その約束にしがみついていなさい。今日この日から、それをあなたのモットーにするといい。恐れや心配があると、弱められてしまう。神経質になり、恐れ、心配すると、それはあなたの人生におけるわたしの霊の流れを止めてしまう。だから、わたしがあなたを愛していると知って、わたしに信頼しなさい。
わたしの喜びを、あなたの強さとしなさい。あなたの勝利、戦い、祝福、勝利を喜びなさい。変化を喜びなさい。自分の欠点や敗北に思えるもののことばかり考えてはならない。わたしを知り、わたしに仕えることは、喜びに満ちた経験である。簡単とは限らないし、その過程で痛みや苦しみもあるが、心には常に、わたしの霊の喜びを宿らせることができる。覚えておきなさい、わたしの喜びがあなたの力なのだ。—イエス
2024年11月アンカーに掲載 朗読:ガブリエル・ガルシア・バルディビエソ 音楽:マイケル・ドーリー