なりうる最高の自分になる(パート1)
Be All You Can Be—Part 1
January 9, 2020
「ロードマップ」シリーズより
オーディオ・ダウンロード(英語)(9.8MB)
人は皆異なります。一人一人が独特です。私たちはそれぞれ異なる賜物、召命、ミニストリーを持っています。あなたは一個人として創造され、主はあなたを創造された時、その知恵によって、ご自分が何をされているかわきまえておられました。ご自分があなたに与えられた個性や才能を用い、あなたがそれらを伸ばすのを助けたいと望んでおられます。あなたがさらに前進して、自分の状況を最大限に生かすことができるように。
主はあなたが、可能な限り最高の者になることを望んでおられます。最高の自分になろうと努めてほしいと望んでおられるのです。つまり、自分の特定の賜物、才能、人生経験を用いて実際に何かをし、それに投資し、それを最大限に活用してほしいのです。中途半端な、あるいはあともう少し、といったレベルで満足するのではなく、自分の人生でできる限りのことを、最善を尽くして行いたいという気持ちで。
なぜ、これぐらいでいいだろうと満足してしまうのですか? なれる限り最高の人になってはどうでしょう? より多くを成し遂げようと懸命に努力し、より高い目標を目指して全力を尽くす人々には、ある種の幸福感や充実感という報酬が伴います。本当に素晴らしい成果は、多くの場合、何百、さらには何千という小さな犠牲や、正しい決断の結果として生じるのです。人生におけるどのような偉業にも犠牲が伴い、そしてその犠牲はしばしば、どのように感じていようと、雨が降っても晴れていても、来る日も来る日もこつこつと数多くの努力を積み重ねるといった形で払われます。
成功を収め、驚くべきことを成し遂げた人々はすべて、長年にわたる懸命な努力や犠牲、ビジョンや決意、そして忠実さを通してそうしました。喜んでそれを学ぼうという気持ちがあれば、自分がどんな状況にあっても、成功の秘訣が見つかるようになるでしょう。なぜなら、神の恵みによって、自分の状況を最大限に活用し、臨機応変に振る舞い、なれる限り最高の者になり、自己の最高のレベルに達するとはどういうことかを学ぶことになるからです。
あなたは必要な資質を持っています。主があなたに、そのような独特の賜物や人格を与えられたのは、あなたがそれらすべてを主に委ねる時、あなたのあらゆる性質や、学んだすべてのことを用いて、あなたの人生ばかりか、他の多くの人々の人生を豊かにすることができるようになのです。主はあなたのために素晴らしいご計画をお持ちです。
大勢が困難を乗り越えてきた
以下は『Developing the Leader within You(邦題:あなたがリーダーに生まれ変わるとき)』という、ジョン・C・マクスウェルの著書からの抜粋です。
多くの詩篇が困難の中で生まれました。聖書の書簡の大半が、獄中で書かれました。時代を通じて、最も偉大な思想家による最も偉大な思想の大半は、火の中をくぐらなければなりませんでした。バニヤンは獄中で『天路歴程』を書きました。フローレンス・ナイチンゲールは、体の具合があまりにも悪く、寝たきりの状態で、英国の病院を改革しました。パスツールは半身不随となり、絶えず発作に脅かされていたけれど、たゆむことなく病気に立ち向かいました。米国の歴史家フランシス・パークマンは、その人生の大半において、痛みがあまりにも激しいせいで、一度に5分以上働くことができませんでした。彼の視力はひどく衰え、原稿に巨大な文字で数語を走り書きするのがやっとだったにもかかわらず、20巻の壮大な歴史書を著しました。
バレーフォージで雪に閉じ込められた人、それがジョージ・ワシントンとなりました。激しい貧困の中で育てられた人、それがエイブラハム・リンカーンとなりました。幼児期に麻痺で打ちのめされた人が、フランクリン・D・ルーズベルトとなりました。二度と歩けないだろうと医者に言われるほど重度の火傷を負った人、それが1934年に1マイル競走で世界新記録を樹立したグレン・カニンガムとなりました。人種差別に満ちた社会で育てられた人、それがブッカー・T・ワシントンやジョージ・ワシントン・カーバー、またマーティン・ルーサー・キング・ジュニアとなりました。学びが遅く、知恵遅れだと言われ、教育の施しようがないと決めつけられた人、それがアルバート・アインシュタインとなったのです。
フランクリン・D・ルーズベルト、ヘレン・ケラー、ウィンストン・チャーチル、アルベルト・シュバイツァー、マハトマ・ガンジー、アルバート・アインシュタインといった、大いに成功を収めた300人の人物を研究したところ、その4分の1が失明や難聴や、不自由な手足などの障害を持っていたことが明らかになっています。また、その4分の3は貧しい環境に生まれたか、両親が揃っていない家庭の出身か、あるいは少なくとも非常に緊迫した不安定な状況を背景としていました。
何千という人々が問題に圧倒されてしまう中、なぜ偉業を成し遂げた人々はそれを克服できたのでしょう? 彼らは失敗した際に人々がよく用いる言い訳にしがみつくことを拒んだのです。そしてつまずきの石を、成功への踏み石としました。人生のあらゆる状況を自分で選択できるわけではないけれど、あらゆる状況に際して、どのような態度でそれに向き合うかは選択できると気づいたのです。
以下は『Developing the Leaders around You』という本からの抜粋で、これもまたジョン・C・マックスウェルが書いたものです。
専門家たちは言いました。1マイル(約1.6キロメートル)を4分以内で走ることは、決して誰にもできないだろうと。その後、1954年に、ロジャー・バニスターという若い医学生がその壁を破って、不可能だと言われていたことを成し遂げました。今日では、すべての世界クラスのランナーが1マイルを4分以内で走ることができます。なぜでしょうか。それは一人の男性が、記録を伸ばし続けようと決めたからです。一人の男性が、個人的な成長という代償を払おうと決め、喜んで先駆者となりました。その結果、彼は後に続く者たちが達成者となるための気風を生み出したのです。
障害を乗り越える
あなたは、状況が思わしくないからと落胆しているでしょうか。人生が自分に投げつけた大きな障害や困難を受け止め、方向転換して、それを成功への足がかりとして用いた、もう一人別の人の物語を紹介します。
1938年、本田氏は学校に通いながら、持ち物をすべて投資して、トヨタに販売するための、ある特別なピストンリングの製造に取りかかりました。
彼はしばしば自分の作業場に泊まり込み、日夜、製造に取り掛かりました。その仕事を続けられるように、妻の宝石を質に入れることさえしています。
ついにピストンリングを開発した彼は、それをトヨタに見せましたが、彼らの品質基準を満たしていないと言われました。彼はふたたび2年間学校で学び、設計を改良して、ようやくトヨタと契約を結ぶことができました。
その後第二次世界大戦が始まると、自分が新しく設計した製品を大量生産するために工場を建設しようにも、コンクリートが手に入りませんでした。そこで、彼は社員とともに、工場を建設するために新しいタイプのコンクリートを作り出したのです。
本田氏の工場は2回爆撃され、再建されなければなりませんでした。空襲があると、彼と社員は爆弾の殻を拾い、それを「トルーマン大統領からの贈り物」と呼びました。製造工程で使うための原材料となったからです。
最終的に、地震によって工場は倒壊し、彼はトヨタにピストンリング事業を売却しなければなりませんでした。
戦後、ひどいガソリン不足が日本を襲い、本田氏は家族のための食べ物を調達するために、車を運転することさえできませんでした。そこで彼は、自転車に小さなエンジンを取り付けて、移動しやすいようにしました。
大勢の人が、自分もその「エンジン付き自転車」がほしいので、作ってくれるよう頼んできました。あまりにも多くの人から頼まれたため、本田氏は工場を開いて製造を開始したいと思いましたが、その資金がありません。そこで、日本にある18,000の自転車屋すべてに直接手紙を書き、自分の新しい発明のことを伝えました。そして工場を建設するために必要な資金を出してくれるよう、その中の5,000店を説得できたのです。
後にエンジンを改良すると、それは「一夜にして成功を」もたらし、彼は藍綬褒章を受章しました。ホンダ社には今日、世界中で10万人以上の従業員が働いています。本田氏が思い切った決断を下し、目標をあきらめないでそれに全身全霊を注いだからです。
本田氏はかつてこう言いました。「多くの人が成功を夢見ています。成功というものは、ただ失敗と自己分析を繰り返すことによって収められると、私は信じています。成功はあなたの仕事のほんの1パーセントに過ぎず、残りは大胆に障害を克服する過程です。それを恐れなければ、成功は自ずとやって来ます。」 今日の本田技研工業株式会社の成功は、創業者の言葉が真実であることを証明しています。[1]
「刺激と反応のあいだには空間があります。その空間には、自分の反応の仕方を選択する力があるのです。その反応の中に、私たちの成長と自由が存在します。」—ヴィクトール・フランクル
なりうる最高の自分になるために、あなたは今日どのような選択を下しますか?
「ロードマップ」は若い大人向けにTFIによって制作されたビデオ・シリーズ 初版は2010年
2020年1月にアンカーにて改訂・再版 朗読:サイモン・ピーターソン
1 伝説の実業家本田宗一郎氏は、1991年8月5日に亡くなりました。その生涯を閉じるまでに、470の発明と150の特許、ミシガン工科大学とオハイオ州立大学の名誉博士号取得、母国日本で最高の栄誉の一つである藍綬褒章受章など、数々の功績を立てています。3,200ドル相当を資本に起業し、後に年間売上高が300億ドルを超える会社を作り上げました。(https://astrumpeople.com/soichiro-honda-biography-a-great-history-of-japanese-car-manufacturer)